創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会に未来はあるか?-26

2019-03-15 08:30:00 | Weblog

 〈「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相 〉  1979/昭和54
創価学会に未来はあるか     藤原弘達/内藤国夫    曰新報道出版
    ------(P.137)---(以下、本文)-------

◆ 共産党を利用したのか、されたのか
藤原 袴田里見(元日本共^党副委貝長)が暴露しているんだが、宮本顕治は「ワシは池田大作の批判をしていないから、いつでも会おうと思えば、会えるんだ」と言ってるとか、そんなバカなことはないだろうと思うんだ。例の言論出版妨害事件の時には、さんざん批判しているわけだよ。そういうことをケロッと忘れて、利用できるものは何でも利用しょうという姿勢だね。
 もっとも宮本顕治の場合は、ワシが直接批判したわけじやない、といった言い逃れの用意はしているかも知れないが、そんなことは一般社会の常識では通用しないんだよ。

 こういった日本共産党の姿勢というのは、非常にブルジョワ的に大衆マスコミ化してきている、ということなんだ。宮本顕治もある意味ではアカハタ㈱の社長になってしまった。前術党、共産主義者の集団からズルズル後退していってしまった。その原因になっているのが、「赤旗」の販売部数を伸ばすことに重点をおいた党の方針そのものなんだな。
 革命政党というものが持つ純粋性が完全になくなっているんだ。同じことは創価学会にも言えるんだ。宗教という人間の精神を向上させる分野でありながら、現世利益、金儲け奨励、物質万能といった具合に、宗教者の集団から逸脱してしまっている。その点で、創価学会と日本共産党という二つの集団は、ともに創成期の目的、理想というものから完全に踏みはずしてしまった、不義の子、という相似性を持っている。

 特に最近の日本共産党の堕落ぶりは目にあまるものがある。その堕落ぶりが、創共協定という水と油を無理にくっつけるような動きに乗ってしまった。「赤旗」の売り上げを伸ばし、部数を伸ばすことが財政的な基礎を作れるし、同時に議会主義政党に徹するんだ、宗教と共存するんだという姿を見せられる、という一石二鳥を狙ったんだろうが、思想的なあるいは理論的な節操というものが全然感じられないんだ。
 しょせん、創価学会と日本共産党というまったく異質の集団の“同床異夢”を、無理にくっつけたものだけに、遅かれ早かれ有名無実になるのは避けられなかった。それが創価学会のスッパ抜きで、たまたま早まったにすぎない、とぼくは見るね。

内藤 共産党が先頭に立って、創価学会の言論出版妨害事件を取り上げた時、ぼくは新聞社という組織にいる人間だし、ジャーナリストとしての公平さ、中立性といった考え方もあって、党派や党利、党略に利用されるのをできるだけ避けようということで、集会なんかにもほとんど出なかったのですが、一度だけ文京公会堂に出たことがあるんです。その時も冒頭に「今日はこうして英雄のように迎えられているけれど、じつは学生運動の報道ぶりをめぐって紙上では、ジャーナリストを名乗る資格もない、堕落した記者だと書かれたこともあります」と自己紹介したところが、集まっていた人たちからドッと笑われたりもしました。

 最近の日本共産党には、自分たちの都合に合わせて簡単に人や組織の評価をコ口コ口変えてしまう習性がある。
 今は認められ、支持されているような人でも、いつ状況が変わって、極悪非道、残酷無惨な人間のようにいわれるかもわからない。この一貫性のなさが大衆の信頼を失わせている、一番大きな原因ではないかと思うんです。
 その点、創価学会・公明党もまったく似ているところがあり、創共協定ひとつとっても、不信感が強まるばかりです。本心から互いに相手を信頼し、共存共栄していこうというならともかく、内心では、とても協調・共闘してやっていける相手ではないと思いながら、ポーズだけの握手をしてみせる。ごまかしの、“偽りの仲好し協定”です。お互いに決っして溶け合うことのない、この二つの組織が、空理空論というか、だましあいによって、あたかも一時的にしろ仲直りしたかのようなポーズをとって、少なくとも党や学会の組織を純粋に信じて一生懸命活動している一般の学会員や党員を裏切り、一般大衆をあざむいていることにならないかと思いますね。
     ----------(次回に、つづく)---------139

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする