創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価公明党との決別-27

2016-07-02 10:37:56 | Weblog

  創価公明党との決別    --OB議員の赤裸々な体験集
     創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編(2012/11-人間の科学社)
       ------(223P、以下本文)-------

 最後に、戸田会長が渾身の情熱を捧げて論述した“王仏冥合論”について概略を述べていく。
「王仏冥合論」
 われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、本門戒壇の建立だけが目的なのである。ゆえに政治に対しては、三大秘法稟承事における戒壇論が、日蓮大聖人の至上命令であると、われわれは確信するものである。

 三大秘法稟承事(さんだいひほうぼんじょうのこと)
「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一間浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。」
 以下、主な項目を列記する。(一~四、までは詳細を省く)
一、総じて王仏冥合を論ず
一、人法論
三、時を論ず
四、本門戒壇論
五、実践活動の先例
六、結論として

【五】実践活動の先例
 第一章 日蓮大聖人の実践活動
 戸田会長は、日蓮大聖人の実践例として、時の権力者・宗教界の巨悪に対し、少しも恐れることなく王仏冥合の精神を示されていたとし、「国を思うの熱情、民衆をあわれむ慈悲の広大、いまの政治家,評論家,宗教家と称するもの、何の顔あって大聖人にあいうるものであろうか。」と断じられている。
 これらの権力者・宗教家名を列記する。(御状の内容は省く)
 一、北条時宗への御状
 二、宿屋左衛門光則への御状
 三、平左衛鬥財頃網への御状
 四、北条弥源太への御状
 五、建長寺道隆への御状
 六、極楽寺良観への御状
 七、大仏殿別当への御状
 八、寿福寺への御状
 九、浄光明寺への御状
 十、多宝寺への御状
 十一、長楽寺への御状
 そして、弟子檀那中への御状を通し、「十一通の書状を以て方方へ申せしめ候、定めて日蓮が弟子植那・流罪・死罪一定ならん、少しも驚くこと莫れ」「各々用心有る可し少しも妻子眷属を憶うこと莫れ権威を恐るること莫れ、今度生死の縛を切って仏果を遂げしめ給え」との御金言を通し、末代の我等に強い自覚を促されたのである。

第二章 日興上人の実践活動
 日與上人もまた宗祖大聖人のお心を心として、五、六度にわたって、王仏冥合の精神を国家に対してのべられている。
 さらに、日目上人の実践活動、日道上人の実践活動、日行上人の実践活動、日有上人の実践活動と続く。戸田会長は、日蓮正宗の代々の御法主上人が、広宣流布への御遺命実現に向け、実践活動なされている尊業に、深く敬意を抱きながら“王仏冥合論”を論述された。
 日蓮正宗の二大行事である御会式における御申状の御奉読を私たちは、総本山や末寺において拝聴している。これこそ、日蓮正宗に連綿と続く、国家諫暁・王仏冥合の精神であるといえよう。
       ---------(226P)-------つづく--

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創価公明党との決別-26

2016-07-02 10:11:25 | Weblog

  創価公明党との決別    --OB議員の赤裸々な体験集
     創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編(2012/11-人間の科学社)
       ------(208P、以下本文)-------

【4】戸田会長の珠玉の指導集
「創価学会の使命」
 苦悩の世の中を救うには、仏教の真髄を世に広める以外に方法はない。仏教の真髄とは、日蓮正宗を除いては真の仏教はない。我々は、日蓮大聖人様に随順して大聖人様の文底秘沈の妙法を、個人の救いのために、国土、民族いな全宇宙の衆生を救わんがために、説かなくてはならないのであります。
 迷える人々を仏のもと、すなわち、日蓮正宗の御本尊様の御もとに、案内するのあつまりであると、知らなくてはならない。(昭和二十二年十月十九日、創価学会第二回総会、東京教育会館)

「大御本尊様の車引き」
 日蓮大聖人様から六百年余年、法統連綿と正しく続いた宗教が、日蓮正宗である。もっとも完全無欠な仏法が、日蓮正宗である。
 大聖人様の教えに随順して、世に最高唯一の大御本尊様の子として、弟子として、家来として拝することは、無上の大果報である。
 わたしたちは、無智の人々をみちびく車屋である。
  迷っている人があれば車にのせて、大御本尊様の御もとに案内して行くのが、学会唯一の使命である。(昭和二十四年十月二十四日、創価学会第四回総会、教育会館)

「学会は信心一途に」
 立正佼成会にせよ、霊友会にせよ、宗教で金もうけをしているやつが世の中にいる。こういうインチキ宗教どもを、ひとつ退治してやろうというのが私の根本精神なのです。
 信者をだまして金を取る。
 これくらい、世の中にかんたんなことはない。
 やりたければやってもよいが、必ず地獄へ行くからやってみたまえ。
 戸田は会長だからといって、権力を使いませんぞ。
 おれは会長だからお前ら金をもってこい、物をもってこいとか言いませんよ。
 君らの中で、私になにか、くれたい人がいるかもしれませんけど、断じてもらいませんよ。
 創価学会は、信心一途にいくものだと私は考えるが、どうか。
 創価学会の会長なんて、なにも偉くありません。
 金でも権力でもない。学会の位置を使って、金のことや権力の行動をしたなら、必ず罰を受けるということを、きょうは宣言して、私の話を終わります。(昭和三十二年二月二十八日、本部幹部会、豊島公会堂)

「僧俗I致の誠を尽くせ」
「あるものは、僧を軽侮する風潮すら萌せるを感ぜられることは、概嘆を禁じえないのてある」とのおことばを拝しましたことは、とくに宗徒として、もっとも厳戒せねばならぬ点でありながら、ご心痛をいただいたことについて、各人、深くおのれの謗法の有無をかえりみねばならぬところであります。
 立正安国論にのたまわく、
「大集経に曰く頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも天人彼を供養す可し、即ち我を供養するに為りぬ、是れ我が子なり若し彼を打する事有れば則ち我が子を打つに為りぬ、若し彼を罵辱せば即ち我を毀辱するに為りぬ」と。
 また、御開山上人の御遺誠置文を拝するにつけても、このたびのご訓諭のままに、僧俗一致のまことを尽くすべきことを、お誓い申し上げるしだいであります。(昭和二十六年九月二十六日、日昇上人の御訓諭に答えて、聖教新聞紙上談話)

「僧侶の大功績」
 日本中にいる一般の坊主は、全然不要なものである。(乃至)宗教の衣を着ているが、宗教の使命を自覚もないし、なんら宗教行為を実践していないのである。(乃至)
 同じ姿こそしておれ、厳然として人であり、人の中でも、りっぱな僧侶と名づくべき百数十人の小さな教団がある。この教団こそ日本の宝であり、仏のおおせの僧宝であると、万人の尊敬すべきことで、まことにめずらしい教団である。日蓮正宗の僧侶の教団こそ、これである。
 大聖人ご出世のご本懐より、または仏法の大局視よりなすなら、口にも筆にも表せぬ一大功績が、この教団にはあるのである。
 大聖人の「ご出世のご本壊」たる弘安二年十月十二日ご出現の一閻浮提総与の大御本尊様を守護したてまつって、七百年間、チリもつけず、敵にもわたさず、みなみな一同、代々不借身命の心がけで、一瞬も身に心に心身一つに、御本尊を離れずに、今日にいたったのである。(乃至)
 天台大師いわく、「霊山一会の大衆、厳然としていまだ散らず」と。
 私のいわく、「大聖人ご在世の一会大衆厳然として石山にあり」と。
 もったいなくも、代々の法主上人の丑寅の勤行は、御開山より、ただの一日も休んだことがない。丑寅の勤行とは、夜の二時からの勤行で、暑くとも、寒くとも、大衆救護の御法主上人はじめ石山僧侶一同のお勤めである。
 もったいないではないか。神々しいではないか。
 ありがたいではないか。(乃至)
 他山に、かかる勤行があるであろうか。かくも、法体を守護し、かつ他儀連綿たる功績こそ称えねばならぬことである。
 これ日蓮正宗僧侶の大功績と称えなくてはならない。
 この大功績によって、真に大衆の苦を救う広宣流布するの日には、東洋の民衆は、大聖人の仏慧をこうむり、世界平和の礎が、きずかれるのである。(昭和二十六年六月十日、「大白蓮華」巻頭言)

「信者の大精神に立て」
 突然、御法主上人様のお座替わりのご意向発表を伺い申し上げた。聞くところによれば、過日、本山内の重役会議の席で、日昇上人様からご隠退の意をもらされ、その席上でご決定とのことである。
 学会再建以来、御法主上人よりは数限りないご慈悲をたまわって、いまの学会発展をみることができ、まことに、いつまでも法主様としてお仕え出来たらばと思うが、御仏意であるから私の感情は恐れ多い。
 先代牧ロ先生当時から、学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、今後も、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえども即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。(乃至)
 どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、私は水谷猊下にお仕えしてきたのと、いさかかも変わりない。
 新猊下を大聖人さまとしてお仕え申しあげ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである。
 思えば、こんどは二御隠尊様、一御法主様の三猊下がおいでになるから、宗門はますます磐石だ。
 これは、まことに喜びである。(昭和三十二年一月二十九日、『戸田城聖全集』ニ卷論文より)

「折伏は最高の供養」
 今、末法においては、法の布施と申しまして、布施をすれどもすれども、尽きない布施がある。
 それはすなわち折伏行である。
 折伏行と言って時間の供養である。
 広宣流布というのは、みんな人のためにやるのではない。
 みんなあなた方自身のために広宣流布をやるのです。
 自分の商売をがっちりと守って、広宣流布のために使って欲しい人のためではありませんよ。がっちりと足を地に踏みしめて、絶対に幸福をつかんでほしい。どうだい、やってくれるか。
 文化活動というものは、広宣流布の大構想からみれば、それは子供のオモチヤのようなものである。
 それが、広宣流布のための本格的な闘争であると思ったら大間違いだ。
 そう思われたら困る。
 本当の広宣流布の時は、国会議員にも、地方議員にも、仏法を信ずる学会員が沢山出るのです。ただし政治のための政治でなくして、広宣流布のために、私はそういうことがあるということを確信している。
 政治のみでなくして、あるいは教育界、あるいは小説雑誌、新聞、音楽にも、また生け花、茶道にも通じることであります。
 最近、学会にこういうことを言つてくる者がいる。
「創価学会として応援してくれるだろうか」と私は断じてしない。
 政治のための政治ではない。
 だから自由党で立ちたかつたら自由党、社会党ならば社会党、共産党で立ちたかつたら共産党で立てばいい。
その人の主義、政党には私は干渉しない。
 胸の奥底に広宣流布をしまっておけば、何党でもさしつかえない。
 (昭和三十年四月六日、都議選個人演説会、大田区民会館)

 戸田会長の信仰に対する赤誠が如実に出ている指導の一端を示した。これを見ても分かるように、現今の池田創価学会の変質ぶりが悲しいほど迫ってくるではないか。
 公明党OB有志は、議員活動の合間に、この戸田会長の指導を何度となく熟読し、次に述べる“王仏冥合論”と共に、己の使命に奮い立ち、活動の源泉にしていたのてある。
 ここで、御隠尊日顕猊下と戸田会長とのエピソードを紹介する。御隠尊猊下の誠実なお人柄に感動すると共に、戸田会長の猊下様に対する信心の姿勢を享受しなければならない。このエピソードは、平成六年五月二十六日、全国教師・寺族指導会の砌にお話されたものである。

「私は、創価学会が宗教法人を取得するという時に、弱冠二十何歳でしたけれども、「これは違います」と、時の宗務院の人に言ったのであります。(乃至)
 その後、戸田城聖氏と会って二時間、酒を酌み交わしながら話をしたことがありました。
 その時に戸田城聖氏より、これから命がけで広宣流布をするということを聞いて、それまでは嫌っていた創価学会を、自分の心を打ち破りながら無理に好きになろうとし、そして本当に好きになっていったのであります。すなわち、『戸田城聖氏のもとにおける創価学会は、本当の広宣流布の団体である」というように思っていきました」

 御隠尊日顕上人猊下は、戸田会長の真摯な広宣流布への思いを承認されたのである。その後、池田大作時代になって、悉く、戸田会長の精神とは真反対の“池田本仏論”“池田神格化路線”を進める、エセ宗教団体へと堕落し、結句、日蓮大聖入様の王仏冥合の御遣命を放棄してしまった。
 その“王仏冥合論”は、機関雑誌、大白蓮華第六十三号の巻頭言(昭和三十一年八月一日)に出されてから、十回以上に亘り連載されたものである。
 その骨子を述べる前に、前段として、昭和二十五年三月十日に戸田会長は「王法と仏法」と題された小論文を発表されている。重要な内容なので一部を列記する。

「王法と仏法」
「一国の王法の理想は、庶民がその所を得て、一人ももるる所なく、その業を楽しむのが理想である。
 最近のある政治家のいうがごとく、一国の政治目的のためには、一部中小工業者の犠牲はやむをえないとか、税金に苦しんで自殺する者があっても、いたしかたないとかいうような政治方程式は、決して一国政治の理想的なものではない。
 太平洋戦争中の軍部の政治において見たような、戦争目的のためには、大半の民衆を犠牲にしても正しいという考え方は、理想的王法とは、決して言えないのである。(乃至)
 ただ悲しみと苦しみが一国に充満し、業をうしない、業に従うものも楽しむことはできない。
 平和と幸福と希望をうしなつた民衆ほど、あわれな存在はないと思う」
  昭和二十五年といえば、今から六〇年ほど前の論文であるが、今の政治状況・経済状況とも何ら変わっていない。
 自・公政権一〇年の結果が、“福祉の党”との看板を掲げ福祉政策を推進し、セィフティネットワークの充実を目指しておりながら、庶民の生活困窮度は悪化し続け、とうとうこの一四年間、自殺者が三万人を越えているのが実状である。
 どこに「生活に人生に楽しみを享受している政治政策」があるのか、戸田会長のいう理想的政治を公明党はどこかに忘れてきたと、いわざるを得ない。いな、戸田会長があらゆる論文ゃ卷頭言の場で警鐘をならしていた、既成政党の悪政ぶりを公明党が追随しているのである。

 更に後半の部分を引用する。
「仏法は、だれ一人をも苦しめない、あらゆる民衆の苦しみをば救うというのが根本であり、今一つの根本は、あらゆる民衆に楽しみをあたえることであり、仏の慈悲というのは、これをいうのである。
 この慈悲の理論が、王法に具現するならば、前に述べたような劣悪な政治はなくなるのである。
 政治史において、われわれが尊敬をはらう政治は、その政治をとった人たちが、仏法を知ると知らずとに関せず、仏法の極意が王法に具現されたのにほかならない。
 二の理論を、大聖入様は、つぎのように、おおせられているが、まさに政治の極意を喝破せられたものである。
『王法仏法に冥じ仏法王法に合す』
 この一句のおことばは短いけれども、政治をとるものの心すべき事がらではないであろうか。
 また、おおせには、「大衆一同の異の苦しみは、日蓮一人の苦しみ』と。慈悲の広大をうかがえるとともに、政治の要諦は、この一言に帰するのである」(昭和二十五年三月十日)

 公明党結党のスローガンは「大衆と共に生き大衆と共に死す」である。そのスローガンの立案は、この戸田会長の“王法と仏法”から依所したものであろう。
 ともかく、戸田会長は、時代を変革し、真底から民衆を救うべく、高潔な人材群を政治家として送り込むことに熱い思いを馳せていた。戸田会長の政治感覚は、今では、近代政治にそぐわない一面も散見されるが、政治の持つ魔力、すなわち権力という力学で政治が動く本質を鋭く分析していたことは間違いないと思う。
「水滸会記録」によれば、“政治家”の質が、国にとっていかに大事であるのかを、たびたび言及されている。紙数の関係で戸田会長の水滸会での指導は除く。
 清潔にして高邁な理想政治を目指し、一九六一年「公明政治連盟」を結成してより、半世紀あまりが経過した。
 庶民の味方である政治から、政権党に加わるまでになつた公明党は、もはや、戸田会長が唱えた理想政治からは遠い存在になってしまった。
 それでは、公明党の歴史を見てみよう。

主な公明党の沿革
1961年(S36年11月7曰)    「公明政治速盟」結成 
1964年(S39年11月17日)   公明党I結成 
1965年(S40年7月4・24曰)  第7回参院選11人当選・都議選23人全員当選 
1967年(S42年1月29日)   第31回衆院選25人当選(衆院選初進出)
1969年(S44年12月28日)   第32回衆議院選挙、47人当選(第二党になる) 
1971年(S46年6月)      公明党第一次訪中団
1975年(S50年4月)       統一地方選(地方議員3千300人)
1979年(S54年10月7日)    衆院選58人当選(結党後、最高議席)
1980年(S55年6月22日〉    衆・参同日選挙(衆院34議席に後退) 
1983年(S58年12月18日)   衆院選59人当選(結党以来最高議席数・以後低落)
1993年(H5年8月9曰)      細川連立政権が発足、公明党から4人人閣
1994年(H6年11月5日)     「分党~二段階」方式を決定、「新進党」結党大会 新進党へ参加。
2003年(H15年11月19日)  第2次小泉内閣「自・公」連立政権、小泉首相・池田公明に跪く
2006年(H18年9月26日)   安倍内閣発足 安倍首相、池田大作に跪く
              ※福田内閣,麻生内閣と続き「自公」政権10年継続 
              ※失われた10年の国家の損失は計り知れない
2009年(H21年8月30日〉 第45回衆院選公明党惨敗(21議席に後退)
  --以降省略--

 この沿革の表から、創価公明党は、重大な岐路に立っているにもかかわらず、相変わらず、政権党の旨みが忘れられず、党利党略の醜い政治をおこなっている。今年(二〇一二年)に入り、『創価学会を斬る・41年目の検証』本が日新報道より出版された。
 この本は、創価学会・公明党による“言論出版妨害事件”を風化させてはならないという識者たちが、いまだ人権侵害や政権を壟断したり、挙げ句、歴史を改ざんする池田創価公明党に対し、厳しく断罪している書である。
 藤原弘達氏は、四〇数年前から「自公政権」の危うさを指摘していた。
「もし自由民主党が過半数の議席を失うというようなことになつた場合、公明党に手をさしのべてこれとの連立によって圧倒的多数の政権を構築するならば、そのときは、日本の保守独裁体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う(乃至)ちょうどナチス・ヒトラーが出た時の形と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における宗教的ファナティックな要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制を安定化する機能を果たしながら、同時にこれを強力にファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性も非常に多くもっている」と述べている。

  社会の識者も一応に、この問題の持つ危険性を批判してきた。この一〇年、マスコミで取り上げられた公明党「自公」連立への批判記事を一部列記する。
〇与党か学会か、米のイラク攻撃支持で公明板挟み/「読売新聞」H15.2.17
〇平和と人権を捨てた公明党と創価学会/「週刊金曜日」H15.6.13
〇政党政治を否定する集団/「共同通信ニュース速報」H15.11.9
〇自らの存在理由を否定し合う自公連立/田中康夫=長野県知事/「日刊ゲンダイ」H15.11.13
〇自公連立"X望ましくない/「共同通信ニュース速報」H15.11.16
〇選挙協力の見返りに「大衆迎合」政策/「毎日新聞」社説H15.11.21
〇「総体革命」と自公連立/溝ロ敦=ジャIナリスト「フォーラム21」H15.12.1
〇自公連立は「名誉会長守るため」/参議院議員・平野貞夫「月刊現代」H16.6
〇「自自公」で日本の政治は後退/「月刊現代」H16.2
〇連立政治打算も鼻につき始めた/「毎日新聞」社説H16.6.19
〇自民、公明とも「拒否度」アップ/「朝日新聞二ュース速報」H16.9.7
〇何が何でも与党でいたい/「朝日新聞二ュース速報」H16.1.3
〇公明党よ、権力に味をしめたのか/慶応大教授.小林節「週刊朝日」H19.8.17
〇権力に加わることのみが連立の目的/「朝日新聞」東京朝.社説H19.9.20
〇「庶民の党」の看板が色あせて見えた/「河北新報」社説H20.4.21
〇「与党ボケ」してしまい、自民党の一派閥のような存在/東大先端科学技術研究センター教授・御厨實「週刊朝日」H20.6.6
〇池田喚問阻止のために政権にしがみつく/元公明党委員長・矢野絢也「月刊現代」H20.12
〇自公政権一〇年の総決算/ジャーナリスト・松田光世「週刊朝日」H21.8.21・H21.8.28

 前述した』言論出版妨害事件”の渦中で、池田大作氏は「国会喚問」を極端に恐れていた小心翼々の指導者である。真に戸田門下生ならば、国会の場に呼ばれれば、「王仏冥合論」を全国民に向かって叫ぶ、またとない機会であったはずだ。
 戸田城聖会長ならば、喜び勇んで赤じゅうたんを踏みしめたに違いない。一方、池田大作氏は、国家諫暁の最大のチャンスの到来を目前にして、スタコラ逃げ出した卑怯者である。
 そんな池田大作氏に盲信する公明党議員は、なんとあわれであろうか。池田氏の走狗として、反社会的な国税に対する手心や事件処理、選挙違反のもみ消し等などに精力をそがれているのである。憐れむと同時に後生の与同罪恐るべしである。
 それにしても、創価公明党の魔窟から、みごと公明党OB有志が日蓮正宗に帰伏されたことは、只事ではないと今さらながら思うのである。
 生涯、法華講衆としての人生をまっとうすることが、これからの大きな使命であり、今後、陸続として日蓮正宗法華講に帰伏してくる公明党議員たちの模範となる先達なのである。
       ---------(223P)-------つづく--

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