威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

最近の読書

2018年01月27日 | 文学・評論(現代・近代)

最近読んでいる本

《おもかげ》浅田次郎
《魂の探求》ジョン・ヒック
《DNAに魂はあるか》F・クリック
《職業は武装解除》瀬谷ルミ子

など。

いずれも頭に記憶されてこない。だめだ。

岩波の「君はどう生きるか」は昔買って読んだんだが、再読しようと思ったら活字のちっさっさに愕然とした。昔は活字のサイズが小さかった。今このサイズに出会うとそれだけで「読む気が」すーっと消えて行くのですぅ。

《生き物をめぐる4つのなぜ》長谷川眞里子ってのも途中。

新書では、「バッタを倒しにアフリカへ」は面白い。作者の前野博士はスゴーく頭のいい人であり情熱家でいらっしゃる。ノンフィクションで久しぶりに抱腹絶倒であった。

《かがみの孤城》辻村深月 は中高生には最適なのではなかろうか。

で、やはりガンジーとかに代表される、自己中心にならずに「真理は1つ」なので色んな言説や生命の仕組みはあるがそれは真理に到達するべき方法論が沢山あるだけで、真理には優劣などなく、唯単に真理なのだと、「暴力」に頼らず(多少使うときはあろうが)自らがその生き方を実践する人の登場を期待してしまう。今の時代だからこそ。






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理想より常識

2018年01月25日 | 「今、ここで」

理想より常識

最近思うのだが、戦後が遠くなるに付けもう「理想」を語るのは面倒くさくなってきた。
そこで「常識」を語ろうと思う。コモンセンスは同じ集団内の秩序めいたものだから、地域によって異なるということだ。それを承知しておいて下さいね。企業風土や東北とか、アフリカやバリ島とかで当然食文化や礼儀作法が違いますよね。そういうことを踏まえて下さい。

我が企業では「挨拶励行」という常識があるんですが、《当たり前》だろう って思われるかも知れませんが、これがなかなかできない人がいます。なぜ自分から先に「こんにちわ」って言えないのでしょうか?不思議です。机の上にメモを置いてくれるのは良いのですが、記名をしないから誰が置いたか分かりません。皆さんの会社ではあり得ないでしょう?

常識。

友人の高校教師が言ってました。今の生徒達は、遅刻したとき、授業時間の終わりかけに平気で入室してくるらしいのです。これって常識外れでしょ。授業時間は知ってるわけだし、先生が熱弁ふるっている所へ平気ではいれる神経。僕が高校生なら休憩時間に合わせて入室しますがね。

非常識な人はいつの時代でも存在しますが、これもまた「個性の美」なんでしょうか?みんな自分を信じる結果は「常識」なんて糞食らえ!なのでしょうか?これは違いますよね。だって、盗みや殺人が駄目なように、非常識なこともしちゃいけない。いくら「自分は自分」であっても、わがまま勝手をして良いと言うことにはなりません。





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我慢する勇気を持って下さい

2018年01月21日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


我慢する勇気

「勇気」と言う言葉は非常に勇ましく、だいたい、男らしい、荒々しい、決断力があるといったイメージで理解する。しかし、よく考えて欲しいのだが、何も戦場で勇ましく自決できることが「勇気」ではないのである。

我慢するにも勇気は必要である。欲しいものを得ようとしない「抑制」をきかせるにも実は多大な勇気が必要である。私が近年払った大きな勇気は

禁煙

これは、煙草に縁がない人からすれば何のことはないのかも知れないが、かなり勇気が必要であった。格好良さや一つの強がってみせるポーズとしての喫煙から私は始まったので、「肉体」の欲求ではなく、精神的な作用であった。最終的には「臆病さ」から止められたようだ。つまり身近で心臓疾患を患った人と直面したからだ。じゃぁ、体重も減らせよ、って話なのだが、これがなかなか上手く行かない。食事を減らすというのが至難の業なのだ。

「我慢する勇気」勇気を払うにもこれは感情であり行動だから、何らかの原因があって発生しているわけだ。その原因は『健康感』である。健康感から幸福感を得ようとして勇気を振り絞る。煙草は煙を肺まで入れながら、「身体に悪いなぁ、、、」と思っていたから、禁煙には成功したが、食べるというのはその行為が「幸福」「健康」「友好」に直結しておりなかなか量が減らせない。

さて、僕たちはどう生きればよいのだろう?

瀬谷ルミ子さんの『職業は武装解除』を読ませて頂いた。発想が自由。表出はされていないが、激しい「人間の平和」への情熱を感じたわけです。

若者よ。本を読もう。そして、街に出よう。矛盾を感じて成長しよう。








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驚きの私学1月卒業式???

2018年01月19日 | 「今、ここで」

今日はある驚きを伝えたいと思います。
息子の友だちが通う某高等学校、私立です。たいへんスポーツで有名。
何と明日が卒業式なそうな。

まだ1月だぜ。
私立は学習指導要領とか、国民の祝祭日に関わる法律とか完全に無視し、クラブの活動も他の科目設定にして単位を認めているような所もある。公立小中も制度をこねくり回して土曜日授業をやっているところもあるが、

世の中絶対におかしい。


1月の卒業式って一体何だ???

もう僕は 非常識なのかもなぁ。





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寒い1日

2018年01月15日 | 第八章 魂と聖霊
石上私淑言

本居宣長の歌論である。センター入試に出題された。江戸時代に彼が現出することで、『源氏物語』や『古事記』『日本書紀』の日本人の「古精神」が保たれたと思う。しかし、だ。

源氏物語は一時期の日本では、女々しい書物、男子が読むものではないなどとして、発禁の憂き目に遭ったとかあわなかったとか。こういう所をよく考えて貰いたいのです。

「情」よりも「欲」が優先されてしまった時代があったことを記憶しておくべきだと思います。
この「ヤマト心」は聖霊によってもたらされた、一種の日本人の『魂』でもあります。大事にしたいですね。

一般に、入試問題等作者の意図も考えず、馬鹿げたことだという論調もありますが、確かに選抜するためのものなので「非生産」的計測方法だとは思います。しかし、日本の国が、どの様な文学を大学入試問題として選択しているかは、「国家観」を知る上で非常に大事なのです。

教育勅語の神聖さについ述べよ なんて問題が出題されるような国になったらどうします?あ、反対もあったりしてね。あーー、くわばらくわばら






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