威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

福祉を考えません?

2016年11月27日 | 第四章 愛とゆるし


私は前からそうだが、「消費税」賛成派である。付加価値税を導入せよという意見である。大平正芳首相時代から賛成なのだ。だから特に、細川(小沢)政権の「福祉目的税」の時とかね。大企業の法人税を高くするとか、今回のような「年金改革」や介護保険料の負担増とかをするんなら絶対に消費税の増税の方が公平負担になると思っている。先延ばし先延ばしで結局、高齢者とか、今の中高年とか、各層、各層で「若年層を救うため」とか格好いい理由付けで大きな損失を被っているわけだ。

財務省的には消費税を上げて、年金もカットして、医療費も負担増、介護保険料も負担増をすればよいのだろうが、年金のカットもなく、消費税も上がらない、それで今まで通り医療費国民皆保険制度を維持し、介護料も据え置くなんて素人考えでも無理なのは分かる。だから、消費税増税が一番公平だと思う。それで経済活動が冷え込もうが、これが一番普通の道なのだ。今回の年金改定と介護保険負担増は、当事者にしか「ヤバイ」ってことが絶対に分からない。日本人全体が、周囲を公平に見られなくなっているからだろうか、どうも変だ。首相が言うとおり、これでは民進党の支持率は上がるわけがない。(別に政治的に好きな党派はないが)消費税増税する代わりに今後10年は年金カットはしない。医療費も据え置かれる。介護料も負担増しませんか?という取引じみたことがあってもいいのではないか?結局、年金が下がる世帯や介護料負担が近々重くのしかかる世代は消費増税よりも痛い目をみているのでありませんか?

近視眼的に、米国追従や増税に二の足を踏む我々の集団は根本的に「内発的」変革を出来ないと言いきった明治時代の漱石先生が見抜いていた日本人像となんら変わっていないようだ。

でも、赦そう。

君子は豹変する筈だからだ。最近元首相を務めた御仁が「原発はまずい」と言い切りだしている。本当にそう思っている私は漸く首相経験者が言い出したか、と結構関心を持って推移を見直している。彼は現首相とは違ったタイプのポピュリストだが、現首相より機を見るに敏なタイプだと思う。





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メランコリー親和型性格をご存じですか

2016年11月26日 | 第四章 愛とゆるし

私は メランコリー親和型鬱病で苦しんだ人間である。
じゃ、そのメランコリー親和型なる性格は一体どんなものなのか。ネットから検索してみた。
「私達の普段の生活の中には、社会一般的なのから自分だけといったものまで様々な
「ルール」
が存在します。メランコリー親和型という性格の特徴に、こうしたルールを
『是が非でも守る』
という強い気持ちがあり、この特徴から
~しないといけない
~しなければならない
という考え方となりがちです。ですから、メランコリー親和型の人が「この仕事を、今日中に終わらせないといけない」と感じると、そこには「出来たら」というような希望的観測はなく、「(絶対に)今日中にこの仕事を終わらせないといけない」というルールが出来てしまい、会社に深夜遅くまで残ってでも、または家に持ち帰ってでもこのルールを守ろうとします。だからメランコリー親和型の人には、真面目、几帳面、責任感が強いというタイプの人が多くみられるそうです。」

と書いてあった。皆様も多かれ少なかれこういった傾向を持っておられる人もいるんじゃなだろうか。

「時には『自分を押し殺してでも』ルールを守る事を優先してしまいます。自分を押し殺してでもルールを守った時「ルールを守れた」という安堵感はありますが、その裏に「押し殺された自分」が「ストレス」に変わって蓄積され、これがやがて抑うつ症状やうつ病を患うきっかけへとなっていきます。」と続けて書いてある。

で、結局人とのトラブルを避けようとしていらぬ気を使い、神経をすり減らし、ルールを守るために他人優先になってしまうのである。


なんていい人。て感じだが、これも度が越すといけない。鬱病を発症してしまうのである。確かに~すべき という感覚はあって、ヘイトスピーチする人種や異常に革新派だったり強固な保守派だったりする御仁に出会うと許せなくなるわけだ。さて自分の性格とどう付き合うのか。これが問題である。


自分の性格の欠点を知りこれを赦し、広い気持ちで受け入れて、もっとさらなるステップへと進んでゆきたいものである。






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必死に生きる

2016年11月25日 | 第四章 愛とゆるし


 私の考えでは、自分が赦されるとき私の罪悪感は多少とも軽減される。当たり前だと言われてしまいそうだが、自分が色々と悪いことをした自覚があると実に気分が落ちこむ。まともな感覚だと思うのだが、これをあまり感じなくなるときがある。それは「馴れ」た時におこる。

 人間は完璧ではないので悪いこともしてしまう。嘘をついたり、その場を誤魔化そうとしたり、それは色んなケースだ。

 負けん気がもっと強いといいなぁと思うことがしばしばで、ならば「悪いことをした」という感覚も減る気がしている。自分が嫌になるときもあるのだが、神仏に祈ることで救いを求めることもある。しかし、何か行動を起こさないと変化がないので、無理矢理に行動を起こすときがある。

 しかし、人生は不公平 なので善行を重ねたからといって幸せになるとは限らない。しかし、「幸福感」と「幸福」は違うので、そこの所ははき違えないように冷静になることが肝心である。神様は越えられない試練はお与えにはならない、という言葉を信じているので毎日一つ一つ積み重ねてゆくしかないのが実情である。彼岸と此岸。今は悩み多き煩悩の世に存在しているのだから。






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僕は本当にがんばっているんだろうか 2

2016年11月19日 | 第八章 魂と聖霊

ふと最近、自分は結構今まで頑張ってきたなぁと思うことがある。

・結婚相手に巡り会った
・この場に住むことになった
・子ども達に恵まれた    等である

結婚当初、住む家探しは今から思うと私によくもまぁ、あんなエネルギーがあったなぁって思う。親の家に住むわけでもなく、自分で1から探したわけで、町の不動産屋巡りから初めて、公団とかなんやかやと。今それが出来るかと思うととても無理だ。結婚式場探しも独力でやったわけだが、色々と苦労した。だが、飛び込みでいったカトリック教会は非常に対応が冷たかった。「未信者には冷たい」と印象づけられた。その頃はまだ入信もしていない私である。プロテスタント系は普通。神社はもう企業って感じだった。現代では1つのイベントとして結婚式も宴会の1つとして扱われている感じがする。私の頃はまだ、式や披露宴は仲人をたてていたものだ。これも誰に依頼するか結構面倒なので、よく頑張ったなぁと我ながら感心しきりだ。

こんな若いときの一コマも自分の行動力だけで出来たんだと割り切るには少し無理があるような気もしている。自分が「こうなりたい」と思って行動はするのだが、果たして自分の行動力だけで実現したのか?と思うとそうでもない気がする。皆さんはどうお思いだろうか?





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カリタスカウンセリング 106

2016年11月12日 | 第四章 愛とゆるし


ロジャーズ 命題18

個人が自分の感官的・内臓的経験の一切を知覚し、それを首尾一貫した統合されている1つの体系へと受容するならば、その時にはその個人は、必然的に人々をより一層理解したこととなり、かつ人々をそれぞれ独立した個人として一層受容していることになる



人間は、相手とともに生きている。それは好むと好まざるとに関わらず、誰かと一緒に生存している。だから「孤独」はない。しかし「孤立」はある。一人対集団。いじめられることもある。しっかりした自分を持つことで周囲を理解して行くことになる。

環境・加齢・遺伝という自分の意思ではどうやっても動かせない要因が人間にはあって、時にそれを変えようとしてきた歴史がある。秦の始皇帝も不老不死を望んだし、古来の権力者や現代の庶民までアンチエイジングに大わらわである。遺伝子組み換えや遺伝子治療、また、自分にとって住みよい環境作りに余念が無い。それは私とて同じ。そこで肝心なのは、例え独身であっても、「私」は一人じゃないって思えるかだ。

これから時代は激変する予感が私にはある。災害かも知れない、戦争かも知れない、自分の病気かも知れない。だが、その事件を1つずつ咀嚼して、解釈をあくまでも明るく保って生き抜きたいと思っている。他者を赦すことの困難さはよく分かる。私も心の中では「赦せないもの」がいくつかあるし、毎日の生活の中で「死んでしまえ」と呪うときもある。だが、そんな自分を赦すことにしている。そうしないとその人も赦すことが出来ないことに気がついたからだ。


我々は一人ではない。そして、「君子豹変す」なのだ。幾らでも機会はある。





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