皆さんは冒頭の写真をご存じだろうか。
日本のマスコミはローマ法王がこの写真を広めるようにと言っていると結構大々的に報道したが、欧州のマスコミではそれほどでもなさそうだ。
世間は矛盾に満ちている。あるいは混沌としたことばかりだといってもよいかも知れない。法王はそこに秩序をもたらそうとアプローチしている気がする。
この写真を見て何を感じるかはきっと人それぞれだと思う。背負われている赤ちゃんはもう死んでいると解釈する人もいよう。また、こういう風景、例えば赤ちゃんをおんぶしながら買い物をしているお母さん。その背中の赤ちゃんは首を後ろにだらんと下げて眠っている。「あれ、目覚めたら首痛いだろうなぁ」「俺にもあんな時があって、首を下げていた気がする」「あかちゃんって、頸椎の関節柔らかいんだなぁ」とかいうように。
この写真から何かを解釈して欲しいのだ。イメージしてと法王は言っているようだ。直立不動で立つはげ頭の少年の目は「希望に輝いている」「無我の境地」「暗くはない」など。
光と復活体
新年から真面目な話のようだが、そうでもない。悲惨な現状は引き起こさないに限るのだ。なぜ同じ失敗をくり返そうとするのか?見栄や自我、虚栄心、格好良さ、もう勇みあしにはこりごりだ。そんな目を少年はしていて、背中の赤ちゃんは何も分からずに深い眠りにあると解釈したい。
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