陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

日本映画「永遠の0(ゼロ)」

2015-08-16 | 映画──SF・アクション・戦争
終戦記念日が近くなると、メディアが戦争特集を組みますよね。
特番のドキュメンタリーがあったり、ドラマが放映されたり。ラジオでも軍役経験者の証言インタビューがあったり。今年の終戦記念日の式典では、はじめて戦没者のひ孫世代が参列したそうです。戦後一世紀経っても風化させたくないですね。

2013年公開の日本映画「永遠の0(ゼロ)」は、百田尚樹原作の小説の劇場版。
特攻隊を舞台にしたお話は過去いくらでもありますし、自己犠牲を厭わなかった青年たちを美化したもの、と鼻白む想いもありつつ、地上波ノーカットなので視聴。感動の名作との評判は裏切っていないでしょう。文庫本でベストセラーになり、また関連本も出されたり、コミック版も刊行されるなど話題作。映画も大ヒットしましたね。ただその一方で、宮崎駿ら有名人による否定的見解も表明されるなど、論議を呼んでいます。




司法浪人で将来が掴めない青年健太郎は、祖母が亡くなったおり、実の祖父が特攻隊で戦死したと知らされる。その海軍航空隊の零戦乗りだった祖父・宮部久蔵の足跡をたどって、生前を知る関係者たちを訪ね歩く。しかし、彼らの語る祖父の素行はあまり芳しくないものであった…。

この宮部久蔵役が、なにせ岡田准一なので、けっしてただの卑怯者、臆病者だったわけではないことは、まあ事前にわかりますよね。失望しながらも祖父の名誉回復をかけて足を棒に振りつつ証言者を求めた孫息子は、やがて、祖父の意外な一面を知る人物に出逢います。あるときは強面のヤクザの親分、あるときは大企業の経営者など。宮部を知る男たちは、宮部の正義感や仁愛に感化されていって戦後を生きのび、日本の成長を支えてきました。祖父を知る旅は、人生の経験者から若者が教えを請う道筋でもあったといえるでしょう。

家族に会うまでは死ねないと頑なに生存を願っていた宮部ですが、戦局が悪化していくごとに、その信念が揺らいでいきます。これからの日本の将来を担うべき教え子たちが、つぎつぎに命を散らしていく。彼はこころを病む。そして、彼がとった奇跡的ともいえる行動は、ある人物に希望を託し、家族を守り、次世代へ希望を繋ぐことでした。宮部が妻に別れ際に残した言葉の真意が明らかになると、冒頭のお葬式のシーンで、なぜ、「彼」が号泣したのか胸に痛いほど理解できます。戦闘シーンが安っぽく感じるので、最初は冷めて見てたんですが、この映画が伝えたいのは迫力ある空戦劇ではないと思われたので。

孫息子が同窓生たちの合コンで特攻隊を話題にし、馬鹿にされるというシーンを入れたのも若者批判っぽいのですが、「お国のために自死を選ぶ、武士道的な潔い生き方」という偏見が、かつての特攻隊に対してあったのは事実ですよね。豊かな経済基盤の上に築かれた資本主義や個人主義に育まれた世代と、個人よりも共同体,国家との調和を望んだ奥ゆかしいかつての日本人。他人を思いやるというこの美徳を、戦争賛美、全体主義傾向への盲目的信頼とはき違えてはいけないように思うのですが。

監督は「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴。
助演の濱田 岳と岡田准一のコンビって、どうしても大河ドラマ「軍師官兵衛」を思わせますよね。第38回日本アカデミー賞で最優秀作品賞はじめ多くの受賞をしています。

作中で橋爪功が語った「家族の為に生きて帰る事を誓うこと。それこそ愛しているという表現である」という言葉、くさい台詞といえばそうなんですけど、これって愛の真実ですよね。これを若い人に聞かせたかったためにこの映画は作られたと言っても過言ではないかと。こんな当たり前のことを口にするのが、個人の我がままだとか自己中だと非難される世の中であってはいけないのです。


(2015年7月31日)


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 教養だけでは生きていけない... | TOP | 映画「青燕-あおつばめ-」 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 映画──SF・アクション・戦争