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フェルメール特集のレヴュー続き。
前回の記事がうっかり番組の外堀を褒めたたえて埋めるような作業に終わってしまいましたので本題に。なお番組の忠実な再現ではなく、一部、拙いながら自分の知る情報で補足しています。
この番組、なんといってもおもしろかったのが構成でした。フェルメール作品と画家の人生、そしてそれに人生を狂わしてしまったといえる三人の男たちにスポットをあてているのですが、その紹介のしかたが時系列というわけでもなく、謎を小出しにしていく感じ。まさにミステリー小説を読むように伏線をはりめぐらしていく手法。TBS系列は「世界ふしぎ発見」でミステリー式で歴史番組をつくることに実績がありますので、よいですね。
司会が関口宏というのも、アタリ役。ちなみに私、日曜夜九時にやっていた彼の番組「知ってるつもり?!」が好きでした。いまのおかしな法律番組よりよっぽど面白かったのに、視聴率というものさしだけで番組の価値を図るひずみが、TVCMからの企業離れを起こしている気がしますね。
フェルメールといいますと、映画にもなりました『真珠の耳飾りの少女』が有名。
「北欧のモナリザ」と称されるこの絵画にからめて、導入部にはレオナルド・ダ・ヴィンチ作の『モナリザ』にまつわる怪が報じられます。ビートたけし司会の番組で特集されたことがあるらしいので、今般はじめての新説公表というわけではないのですが。『モナリザ』が二枚存在したという話。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/be/aee65d5b9d9b23883f06a7eefb8c7ebc.jpg)
二〇世紀に英国の美術専門家ピューリッツアー氏は、ルーブルの『モナリザ』が偽物であるとの書物を著します。そして自身の保有していた「モナリザ」を「アイルワースのモナリザ」と名づけ、真作として世に知らしめたのです。ルーブル版はあきらかに壮年の女性を描いたもので、美術史家G. ヴァザーリの有名な『美術家列伝』に記されたモデルのジョコンダ夫人の年齢二十五歳と一致しません。また、アイルワース版には、ルネッサンスの巨匠である若き日のラファエロ・サンティが模写したモナリザにあった、背景の日本の柱が描かれていたのです。とすると、ルーブル版は偽物なのか?!番組はこう結論づけています。両者ともおなじジョコンダ夫人を時の隔たりをおいて描いたものだと。
なお、二年ほど前の日本テレビの特集でこの説を発表したところ、東北大学教授の田中英道氏から抗議文が届けられたとか。
番組では触れられていませんでしたが、北川健次氏の研究本で『モナリザ』はレオナルドが亡き母親の面影を託して描いたという説を発表しています。でも、こういう日本人の書いた研究論文ってたいがい、海外の研究ですでに発表されていることの後追いなんですよね。
『モナリザ』もふくめ謎の多い画家レオナルド。今年の春先、海外の英字ブログで彼の未公表のデッサン数点が見つかったというニュースを拾ったのですが、万能の天才であったことにくわえ、その作品や生涯にミステリーの多いことが彼の人気をおおきくしているようです。
そして、歴史上謎の多いことで知られるもう一人の画家が十七世紀オランダの巨匠ヨハネス・フェルメール。大航海時代をむかえ、当時世界有数の裕福な海港都市として栄えたデルフトに生まれた彼は、現存するかぎりで三十数点の作品しか残さなかった。子だくさんで生活は苦しいのに,当時としては高価なラピスラズリの絵の具をふんだんに用い、デルフトの豊かな市民階級の日常を描きあげました。今でこそサザビーズの落札では時価数十億はくだらない巨額で取引される画家の絵は、当時はした金でしか売れませんでした。「牛乳を注ぐ女」は現在の日本円でいうと七万円ほど。しかもこの絵は、パン屋の壁を飾っていたとか。晩年は姑の営む貸付業の取り立て人をさせられろくに絵筆も握れなかったフェルメールは一六七五年、四十三歳で死去。
番組では画家としての誉れたかき処遇を得られずに無念の最期をむかえたように紹介されていたのですが、一説によると、画家組合の権威である聖ルカ組合の理事に就任するなど、生前もある程度高い評価を得ていたらしいです。
北欧のモナリザも、ルーブル同様ミステリーを抱えているらしく、そのひとつがモデルの謎。映画『真珠の耳飾りの少女』では下働きの少女にされていましたが、画家の亡くした娘とも言われています。
さて、フェルメール絵画によって人生の道を決定づけられたが人生を誤った三人の男。
そのひとりが、フランスの美術評論家のトレ・ビュルガー。彼は不正に加担したかどでフランス議会を追われた落ちぶれた革命派議員でした。失意のうちにある美術館でであったフェルメールの一枚の絵の虜にされた彼は、憑かれたようにヨーロッパ各地を転々と訪ね歩き、フェルメールを収集します。当時随一のコレクターであり、二百年間忘れられていたオランダ画家の発見者を標榜した彼は、フェルメールの第一人者として美術界に自分を売り込んだのでした。しかし、彼のコレクションの大半はその後の鑑定によって贋作とされ、ペテン師とのそしりを受けます。
二番目の男は、悪名高き恐怖政治の支配者、アドルフ・ヒトラー。青春時代に画家を志していたアドルフ青年は、母の急死と美術アカデミー入学試験の失敗によって、その道を閉ざされてしまいます。が,持ち前の煽動的な話術で大衆のこころを掴むと、ヨーロッパを虐殺の大地へと変えるおぞましい政治家に変貌。彼がドイツ国家に足りないと気づいたもの、それはすぐれた芸術でした。古典美術かぶれで、当時美術界を席巻していた表現主義を退廃とさげずむ彼が求めていたのが、フェルメールの絵画。それはあの失意のビュルガーが運命を狂わされたあの一枚だったのです。ドイツの中心部リンツに建設予定の国立美術館の目玉作品として、ヒトラーはフェルメールの作品をなかば強引な手法で収集してきました。しかし、それも連合国軍の勝利によってわずか三年後に奪われてしまいます。
そして最後の男は、ハン・ファン・メーヘレン。彼の巻き起こした騒動についてはいまやかなり人口に膾炙しているので、いまさら触れる必要もないのでしょうが。いますこし、考察を深めたいことがあるので稿をあらためて論じることにします。
ところで、ビュルガーとヒトラーをひきつけたフェルメールの一枚とは、「絵画芸術」(この記事のトップ画像)
他の作品と違い、かなり観念的なタイトルが附されたこの作品は、寓意に満ちています。奥の天秤をもつモデルの女性は、歴史をつかさどる女神クリオの化身とされ、また手前の画家はフェルメール自身とも言われます。裏ぶれた影の人生を歩んでいたふたりの男は、その絵画に暗号のようにすりこまれたフェルメールのもくろみを読みとったのでしょうか。
番組では、その画のなかの画家の視線が女ではなく、彼女の向かって右後ろの壁掛け地図にあると主張。男の視線の先にあったのは、フェルメールのサインだったのです。つまり、風俗画でありながら古典的主題をモチーフにもりこみ、さらには画面中央に自身の名を記すことによって、この一枚が画家の強烈な自我の現れを示し得ている、ただの職人仕事には終わらない,神から創作の霊感を得たまことの芸術家である自分をほのめかしているのだと。
それはやや強引な解釈だったのですが、ともかくこの一枚が、歴史の表舞台に登場しようと野心に燃えた男を惹きつけてしまったのは間違いないようです。フェルメールの絵画は贋作や盗難が多いことでも知られていますが、それだけひとを魅してやまない魔力があるということなのでしょう。
名画とはたんに美の精髄が体現された絵画のことをいうのではない。どんなに沈んだとしても歴史のうわばみに浮かび上がり、権力者を吸い寄せる絵画のことではないでしょうか。そしてそれを保持した者を滅ぼすほどの魔力をもつのです。
番組ではビュルガー、ヒトラーそしてメーヘレンの三人をつなぐ一本の糸としてフェルメール絵画があったことを結論づけていました。功名心をいだき実行したという点で彼らはまぎれもなく英雄になりたかった男たち。そしてたしかに英雄と言えるでしょう。たとえ、最後が悲惨なものであれ、すぐれた芸術と膝を接するほど親しくなるには権威を手に入れなければならないのですから。そしてまた、英雄とは一度でも勝利を得て、時代の寵児たりえた者たちの謂いなのです。
しかし、おなじ論議の平面上にならべれたこの三人。もっとも英雄として成功した人間はひとりだけ。私はそう思います。
次回はそれについてレポートを。
【関連記事】
TV番組「フェルメールの暗号」を見て(1)~(4)(月光院璋子の日記 〇八年十一月五日)
番組ではあまり紹介されていなかった、フェルメール鑑定家アブラハム・ブレディウス博士についての履歴などが詳しいです。画像も豊富で読み応えがあります。また月光院様の映画ブログのほうで現在上映中の「消えたフェルメールを探して」の紹介記事があります。
【補記】
この番組は、現在、上野の森の東京都立美術館で開催中のフェルメール展とタイアップして放送されたようです。
ちなみに管理人は、数年前、大阪市立美術館ではじめてフェルメール絵画に触れる機会を得ました。そのときの報告はこちらを参照。
前回の記事がうっかり番組の外堀を褒めたたえて埋めるような作業に終わってしまいましたので本題に。なお番組の忠実な再現ではなく、一部、拙いながら自分の知る情報で補足しています。
この番組、なんといってもおもしろかったのが構成でした。フェルメール作品と画家の人生、そしてそれに人生を狂わしてしまったといえる三人の男たちにスポットをあてているのですが、その紹介のしかたが時系列というわけでもなく、謎を小出しにしていく感じ。まさにミステリー小説を読むように伏線をはりめぐらしていく手法。TBS系列は「世界ふしぎ発見」でミステリー式で歴史番組をつくることに実績がありますので、よいですね。
司会が関口宏というのも、アタリ役。ちなみに私、日曜夜九時にやっていた彼の番組「知ってるつもり?!」が好きでした。いまのおかしな法律番組よりよっぽど面白かったのに、視聴率というものさしだけで番組の価値を図るひずみが、TVCMからの企業離れを起こしている気がしますね。
フェルメールといいますと、映画にもなりました『真珠の耳飾りの少女』が有名。
「北欧のモナリザ」と称されるこの絵画にからめて、導入部にはレオナルド・ダ・ヴィンチ作の『モナリザ』にまつわる怪が報じられます。ビートたけし司会の番組で特集されたことがあるらしいので、今般はじめての新説公表というわけではないのですが。『モナリザ』が二枚存在したという話。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/be/aee65d5b9d9b23883f06a7eefb8c7ebc.jpg)
二〇世紀に英国の美術専門家ピューリッツアー氏は、ルーブルの『モナリザ』が偽物であるとの書物を著します。そして自身の保有していた「モナリザ」を「アイルワースのモナリザ」と名づけ、真作として世に知らしめたのです。ルーブル版はあきらかに壮年の女性を描いたもので、美術史家G. ヴァザーリの有名な『美術家列伝』に記されたモデルのジョコンダ夫人の年齢二十五歳と一致しません。また、アイルワース版には、ルネッサンスの巨匠である若き日のラファエロ・サンティが模写したモナリザにあった、背景の日本の柱が描かれていたのです。とすると、ルーブル版は偽物なのか?!番組はこう結論づけています。両者ともおなじジョコンダ夫人を時の隔たりをおいて描いたものだと。
なお、二年ほど前の日本テレビの特集でこの説を発表したところ、東北大学教授の田中英道氏から抗議文が届けられたとか。
番組では触れられていませんでしたが、北川健次氏の研究本で『モナリザ』はレオナルドが亡き母親の面影を託して描いたという説を発表しています。でも、こういう日本人の書いた研究論文ってたいがい、海外の研究ですでに発表されていることの後追いなんですよね。
『モナリザ』もふくめ謎の多い画家レオナルド。今年の春先、海外の英字ブログで彼の未公表のデッサン数点が見つかったというニュースを拾ったのですが、万能の天才であったことにくわえ、その作品や生涯にミステリーの多いことが彼の人気をおおきくしているようです。
そして、歴史上謎の多いことで知られるもう一人の画家が十七世紀オランダの巨匠ヨハネス・フェルメール。大航海時代をむかえ、当時世界有数の裕福な海港都市として栄えたデルフトに生まれた彼は、現存するかぎりで三十数点の作品しか残さなかった。子だくさんで生活は苦しいのに,当時としては高価なラピスラズリの絵の具をふんだんに用い、デルフトの豊かな市民階級の日常を描きあげました。今でこそサザビーズの落札では時価数十億はくだらない巨額で取引される画家の絵は、当時はした金でしか売れませんでした。「牛乳を注ぐ女」は現在の日本円でいうと七万円ほど。しかもこの絵は、パン屋の壁を飾っていたとか。晩年は姑の営む貸付業の取り立て人をさせられろくに絵筆も握れなかったフェルメールは一六七五年、四十三歳で死去。
番組では画家としての誉れたかき処遇を得られずに無念の最期をむかえたように紹介されていたのですが、一説によると、画家組合の権威である聖ルカ組合の理事に就任するなど、生前もある程度高い評価を得ていたらしいです。
北欧のモナリザも、ルーブル同様ミステリーを抱えているらしく、そのひとつがモデルの謎。映画『真珠の耳飾りの少女』では下働きの少女にされていましたが、画家の亡くした娘とも言われています。
さて、フェルメール絵画によって人生の道を決定づけられたが人生を誤った三人の男。
そのひとりが、フランスの美術評論家のトレ・ビュルガー。彼は不正に加担したかどでフランス議会を追われた落ちぶれた革命派議員でした。失意のうちにある美術館でであったフェルメールの一枚の絵の虜にされた彼は、憑かれたようにヨーロッパ各地を転々と訪ね歩き、フェルメールを収集します。当時随一のコレクターであり、二百年間忘れられていたオランダ画家の発見者を標榜した彼は、フェルメールの第一人者として美術界に自分を売り込んだのでした。しかし、彼のコレクションの大半はその後の鑑定によって贋作とされ、ペテン師とのそしりを受けます。
二番目の男は、悪名高き恐怖政治の支配者、アドルフ・ヒトラー。青春時代に画家を志していたアドルフ青年は、母の急死と美術アカデミー入学試験の失敗によって、その道を閉ざされてしまいます。が,持ち前の煽動的な話術で大衆のこころを掴むと、ヨーロッパを虐殺の大地へと変えるおぞましい政治家に変貌。彼がドイツ国家に足りないと気づいたもの、それはすぐれた芸術でした。古典美術かぶれで、当時美術界を席巻していた表現主義を退廃とさげずむ彼が求めていたのが、フェルメールの絵画。それはあの失意のビュルガーが運命を狂わされたあの一枚だったのです。ドイツの中心部リンツに建設予定の国立美術館の目玉作品として、ヒトラーはフェルメールの作品をなかば強引な手法で収集してきました。しかし、それも連合国軍の勝利によってわずか三年後に奪われてしまいます。
そして最後の男は、ハン・ファン・メーヘレン。彼の巻き起こした騒動についてはいまやかなり人口に膾炙しているので、いまさら触れる必要もないのでしょうが。いますこし、考察を深めたいことがあるので稿をあらためて論じることにします。
ところで、ビュルガーとヒトラーをひきつけたフェルメールの一枚とは、「絵画芸術」(この記事のトップ画像)
他の作品と違い、かなり観念的なタイトルが附されたこの作品は、寓意に満ちています。奥の天秤をもつモデルの女性は、歴史をつかさどる女神クリオの化身とされ、また手前の画家はフェルメール自身とも言われます。裏ぶれた影の人生を歩んでいたふたりの男は、その絵画に暗号のようにすりこまれたフェルメールのもくろみを読みとったのでしょうか。
番組では、その画のなかの画家の視線が女ではなく、彼女の向かって右後ろの壁掛け地図にあると主張。男の視線の先にあったのは、フェルメールのサインだったのです。つまり、風俗画でありながら古典的主題をモチーフにもりこみ、さらには画面中央に自身の名を記すことによって、この一枚が画家の強烈な自我の現れを示し得ている、ただの職人仕事には終わらない,神から創作の霊感を得たまことの芸術家である自分をほのめかしているのだと。
それはやや強引な解釈だったのですが、ともかくこの一枚が、歴史の表舞台に登場しようと野心に燃えた男を惹きつけてしまったのは間違いないようです。フェルメールの絵画は贋作や盗難が多いことでも知られていますが、それだけひとを魅してやまない魔力があるということなのでしょう。
名画とはたんに美の精髄が体現された絵画のことをいうのではない。どんなに沈んだとしても歴史のうわばみに浮かび上がり、権力者を吸い寄せる絵画のことではないでしょうか。そしてそれを保持した者を滅ぼすほどの魔力をもつのです。
番組ではビュルガー、ヒトラーそしてメーヘレンの三人をつなぐ一本の糸としてフェルメール絵画があったことを結論づけていました。功名心をいだき実行したという点で彼らはまぎれもなく英雄になりたかった男たち。そしてたしかに英雄と言えるでしょう。たとえ、最後が悲惨なものであれ、すぐれた芸術と膝を接するほど親しくなるには権威を手に入れなければならないのですから。そしてまた、英雄とは一度でも勝利を得て、時代の寵児たりえた者たちの謂いなのです。
しかし、おなじ論議の平面上にならべれたこの三人。もっとも英雄として成功した人間はひとりだけ。私はそう思います。
次回はそれについてレポートを。
【関連記事】
TV番組「フェルメールの暗号」を見て(1)~(4)(月光院璋子の日記 〇八年十一月五日)
番組ではあまり紹介されていなかった、フェルメール鑑定家アブラハム・ブレディウス博士についての履歴などが詳しいです。画像も豊富で読み応えがあります。また月光院様の映画ブログのほうで現在上映中の「消えたフェルメールを探して」の紹介記事があります。
【補記】
この番組は、現在、上野の森の東京都立美術館で開催中のフェルメール展とタイアップして放送されたようです。
ちなみに管理人は、数年前、大阪市立美術館ではじめてフェルメール絵画に触れる機会を得ました。そのときの報告はこちらを参照。
後半の日記記事を、とても愉しく拝見させていただきました。拙ブログをこのようにご紹介いただいて恐縮です。
またまたですが、TBさせていただきますね。
ごきげんよう、月光院様。
再コメントありがとうございます。
こちらこそ、拙所の記事をリンクしてくださってありがとうございます。ふだんアニメのおふざけブログですので、マトモなところに紹介してくださると恐縮です(笑)
あと二回分の記事は昨日にもう書き上げましたので二日以内に掲載いたします。内容はあまり被っていないのでだいじょうぶかと思いますが。
研究していたのが近現代美術のかなり狭い範囲でしたので、じつは一般に人気の高い名画についての知識を意外ともちあわせておらず。そちら様のすごくていねいな解説には感動しました。
たしかにあの番組、私のような無知な人間にとってはありがたいでしょうが、ちゃんと美術に造詣の深い方からすれば首をひねりたくなるような内容だったのかもしれませんね。
ただ美術(だけに限らず人文学すべてがそうでしょうが)の研究は、人の数だけ学説が存在するようなものですから、どれが正しいと言い切れないでしょう。ですから、あの番組のようなやや強引な解釈があってもよいかと思います。すこし人物の悲壮感(とくにフェルメールの評価について)を煽るきらいはありましたけれど。
真贋問題が浮上して以来、フェルメールの研究には学界も慎重になっていることが、人気にも関わらず関連論文の少なさとなっているような気がいたしました。
映画「消えたフェルメールを探して」は当地ではまだ未公開のようです。ただこういう芸術系のドキュメンタリー要素もある映画は、物語にメリハリがなくてかなり眠くなってしまうので、劇場では観ないかもしれないですね。
TBは関連記事であれば特にお断りしておりませんので、ご遠慮なく。
では。