陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

日本映画「ALWAYS~三丁目の夕日~」

2011-06-07 | 映画──社会派・青春・恋愛
ひとが「古き佳き時代」なんぞと口にする時期というのは、たいがいひと世代前ぐらいを指すのではないだろうか。
歴史ブームでやたらと幕末がクローズアップされているけれども、ほんとうにこの時代に戻りたいなんぞ、と思うような人はいまい。幕府がなくなっても根強い身分制度は残っていたし、公務員だった藩士たちはいっせいに失職したし、急速な近代化思考についていけず落ちこぼれて鬱病になってしまう人もいた。
一世紀もさかのぼった時代への憧憬というのは、髪型や服装など外観を好むファッションのような興味が凝り固まったものにしかすぎない。

現代の日本人がおおよそ懐かしむというのは、たいがい昭和の30、40年代の高度経済成長期のことだ。理由ははっきりしているが、それは現在、活躍する団塊の世代が幼少期を過ごした時代だからだ。

ALWAYS 三丁目の夕日 豪華版 [DVD]
ALWAYS 三丁目の夕日 豪華版 [DVD]山崎貴 おすすめ平均 starsとんでもないクソ映画stars涙でズルズルになるstarsリアリティの欠如が問題stars最高!!stars小雪さんが・・・。Amazonで詳しく見る by G-Tools



昭和33年の東京の下町の二世帯を舞台にして繰り広げられる、2005年の映画「ALWAYS~三丁目の夕日~」も、また、そんな中高年たちの懐旧心をくすぐるようなドラマである。

建設中の東京タワーが臨める、夕日町三丁目。
田舎から上京してきた女学生六子は、就職先での新生活に胸ふくらませていた。しかし、職場の「鈴木モート」は聞くのと見るのと大違いの小さな自動車修理工場。仕事の覚えが悪く経営者の鈴木と衝突してしまうが、そこには思わぬ誤解がふくまれていた。

いっぽう、駄菓子屋を経営する傍ら、少年雑誌に小説を投稿するしがない作家の茶川は、なじみの居酒屋の若女将に言い寄られて、身寄りのない少年淳之介をあずかることに。

劇場公開当時は大きく宣伝されて、日本アカデミー賞も受賞したというから期待していた。たしかに、当時の下町風景の再現はよくできていると感じるが、前半の中途半端なコミカルパートがありきたり。
後半に涙を誘う部分があってほろりとさせられるが、読める人には読めてしまうような展開だ。とくに終盤、お約束な流れで淳之介と茶川に別れが訪れるが、つごうよく縫いあわせたように再会してしまうくだりでがっかり。淳之介を迎えにきた父親というのが、どうみても金持ちの社長でなく、ヤクザの幹部みたいな風体の人物で笑ってしまう。

仕事のミスマッチで労働意欲を失いかけた若者を、家族同然の温かさで迎える。
また、血の繋がりもなにもない孤児を育てるうちに、愛着心が湧く。たしかに古き佳き日本人の人情がにじみでている。

しかし、丁稚奉公のような感覚で、住み込みでめんどう見てもらえる職場なんぞ、今になってはほとんどないし、若者だって私生活と労働の境目がないような暮らしなんぞまっぴらごめんではないだろうか。

また、後者の例は、昔は貧しいながらも子どもを育てたのに,今の若い親は虐待に走って…とでも言いたげなのだが。この作家が少年の子育てに苦労惨憺するといったような描写はほとんどない。むしろ、男は文才のある少年の着想を盗んで食い扶持の種にするような人間で、かなりみっともない。

そして、私が気になるのは、鈴木夫妻とその息子そして六子、および茶川と淳之介の絆を深めるエピソードが、つねに「何か物やお金を与える」という消費行動によって成り立っていることだ。
私はここにこそ、実はこうした昭和世代へのノスタルジーが、じつは、ブリキのおもちゃやメンコに囲まれて、生活の心配もなく、夕日が暮れるまで遊び暮らした子ども時代はよかったな、などとぼやく中高年世代の甘えじみた思想をみてとってしまう。こんな貧しく、なにもない時代から、俺たちは必死にがんばって日本を発展させてきたんだぞ、それを今の若い連中はモラルもなにもなくてけしからん、と。

バブル経済破綻後に青春時代を迎えた世代以後からすれば、高級なブランド品をひけらかすが頭が空っぽな人種を馬鹿だと思うし、企業が一生涯自分の生活の面倒をみてくれる保障なんぞどこにもない、と覚悟している。
こういう世代からすれば、はたして、この「昔はよかった」節のおしきせがましい感動話にうかつに乗せられたりはしないだろう。「佐賀のがばいばあちゃん」が典型例だが、昔のお母さんは優しくてよかった、みたいな時代遅れな女性観を、知人を騙して大金せしめた詐欺師の原作者が描いて好評を得ていることを、とても奇異に感じてしまう。

平成世代に生み出された、昔の人情を謳った昭和神話によく感じられる違和感は、しぐさや喋り方がまったくその当時の人らしくないという失望感である。
これは、小津安二郎の映画などと比べれば明らかで、はなはだ落胆することこの上ない。小津は、家電で生活が豊かになっていく一方で、家族関係が崩れていく予兆をシニカルに描くことに成功している。それは、成人としてこの時代の暗い雰囲気を感じて生きてきた小津が、当時の世相を冷静に捉えていたからに他ならない。

洋画をまねたようなカメラワークや小道具の作りこみだけはいいが、感情の機微をあやつるような台詞や、当時の生活人らしい風習などに欠けている。当時の居酒屋の女主人ならば、もっとアダっぽい口調だっただろうし、堤真一演じる工場主は鉄火肌というには、雰囲気が柔和すぎやしないか。
笑いと涙の稜線がはっきりしていて最後がひきしまるようなすっきりとした構成が、本作にはまったくない。

サンタクロースネタが登場したので、「素晴らしき哉、人生!」「34丁目の奇跡」みたいな感動ものに倣ったのだろうが、最後の生半可な終わり方がいただけない。
小雪演じる若女将のあつかいが、いくらなんでも酷すぎる。

監督は山崎貴。
原作は西岸良平によるコミック『三丁目の夕日』

(2010年4月9日)

ALWAYS 三丁目の夕日(2005) - goo 映画

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画「めぐり逢えたら」 | TOP | 映画「パッチ・アダムス」 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 映画──社会派・青春・恋愛