陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

日本映画「佐賀のがばいばあちゃん」

2007-11-23 | 映画──社会派・青春・恋愛

読者の皆様、ごきげんよう。
勤労感謝の日の本日、いかがお過ごしでしたか。
管理人は、今日の日に反しまして、ひじょうに怠惰な一日を過ごしてしまいました。(いつものことです)

ネットで情報漁りが日課になってから久しくテレビを観ない生活がここ二、三年つづいています。いま時分、アニメも動画やレンタルDVDで時を選ばず観れますので、昔みたく新聞のテレビガイドにかじりついて、是が非でも観たいと思う番組がございません。お笑いコントや、音楽番組、タレントのトーク、クイズもの、などなど詳しくないものですから、人様と会いましても話題についていけず、常日頃はずかしい思いしている私です。

さてそんな私めですが。今日ひさしぶりにチャンネルをひねって、偶然目にしたドラマに釘付けになりました。

日本テレビ系列金曜ドラマシアターで放映された、「佐賀のがばいばあちゃん」
〇六年六月に全国公開された映画。
漫才師の島田洋七原作のベストセラー自伝小説が原作。
時代は戦後動乱期、舞台は城下町のなごりをみせる佐賀。広島にすむ母から祖母の元へ預けられた少年、明弘くんの八歳から十五歳までをつづる物語なのです。
この映画版の祖母役は吉行和子ですが、品のいいおばあちゃんを好演しています。

この原作は、九三年に著者が自費出版したものが〇四年に徳間書店から再出版され、ブームになったものです。
今年一月には、泉ピン子が主役の祖母役でフジテレビ系列の新春ドラマとして放映されたとか。現在、漫画化や、名古屋での舞台化もされている話題作。

じつは私は、この原作情報についてはオンエアを見終えたあとネット検索ではじめて知りました。(どんだけ世事に疎いんですか?)私は基本タレントの出す本はだいきらい、ひとを卑しめて笑いをとるお笑いタレントなんぞはとくに毛嫌いしていますので(関西に住んでるのに関西文化を理解しないアウトサイダーですから)、きっとあらかじめ知っていたら、ぜったい観つづけなかったでありましょう。

最初、この物語をみたときは、日本がまだ経済成長をとげる前の、田舎風景に惹かれたのですね。主人公の少年は、家計を支えて都会に出稼ぎにいった母親をひたすら恋い慕っていて。中学卒業後に祖母の膝下を離れてしまうのは、いわゆる集団就職で働きにでるからだと、かってに思っていました。(じっさいは、徳永(島田洋七の本名)少年の高校進学のため)

そんなわけで、すこし裏事情を知って感動はうすれた感がありますが。現に、この出版をつよく勧めたビートたけしとの対談でも、この感動秘話はやはり小説でいくぶん脚色がなされている趣きがあると、著者自身述べてはいます。

物語の筋は、ひじょうに単純なんです。佐賀の田舎の小学校に転校してきた徳永少年、野球は得意だが、勉強のほうはからきし駄目。著者の分身である彼の視点から、話は動いていきます。なにか大きなことが起こったりはしないんですね。当初、このおばあちゃんが最後亡くなって(かってに吉行さんを殺さないでください)主人公がそれを糧に成長するなんていうビルトウングスロマンを、安直に想い描いていたりしたのですが、みごとに裏切られてしまいました。
ちなみに作中では、成人した主人公が少年の自分と出会うという『おもひでぽろぽろ』ごとき演出もされています。

彼じたいは、よくいえば純粋だけれど、わるくいえばなんの変哲もない子ども。ですが、彼をとりまくまわりの大人がとてもあたたかなのです。
たとえば緒方拳演ずる豆腐屋のおじさん。貧乏な徳永少年のために、角のくずれたところのない木綿豆腐をわざと指でつついて、不良品だから半額で売ってあげる。でもなにも、あんなに上からど真ん中つつかなくても…って内心思いました(笑)

学校の先生もいいひとばかりです。
運動会の昼休み、家族といっしょにグラウンドでランチを囲む級友たちをよそに、徳永少年はひとり教室で、新聞紙につつまれたステンレスのお弁当箱をひろげようとしていました。そこへ、とある男性教師が近づいて。お腹を壊したから、そっちのショウガと赤梅干しだけがおかずのお弁当と、自分のものとを交換してくれないかともちかけます。もちろん、こころよく応ずる少年。教師からいただいたお弁当の中身は、ウインナーや海老フライなど少年にしてみれば豪勢なものでした。

(むかし中学生あたりだったか国語の教科書に載っていた小説で、友人の晩ご飯に海老フライがでるという話をききつけてうらやましがるという話を読んだことがありますが。いまじゃ数百円出せば買えるお弁当のおかずも、当時はぜいたくだったんですね。)

で、驚喜して舌鼓をうっている少年でしたが。なんと、その後、二、三人の教師がおなじように腹痛を訴えてお弁当の交換を要求してきたんですね。さすがに、このあたりはわざとらしいと思って観ていましたけれど。彼の家庭の事情を知っていて、先生方はみんな心配していたんですね。そして、かわいそうだからと恵んでやるつもりで与えるのでなく、少年の自尊心を傷つけない方法を選んでいた。きっと、恩着せがましいやりかたをしていたら、彼が自分の惨めさをさらに深くしてしまうことを知っていたからなんですね。十代の頃のトラウマって、あとから眺めたら笑えるような軽いことに思えるかもしれないけれど、本人にとってはいち大事なのです。

(遠足のときのお弁当とかって、そのご家庭のエンゲル係数がわかったりするのです。そういえばクラスに蓋でかくすようにお弁当を食べていた子がいました。みんなはハンバーグとか甘い玉子焼きとか、色づけされたごはんとかお母さんの腕ふるわせたお昼を楽しんでいるのですが、自分はスーパーで買ってきたおかずの詰め合わせ。母親がかけてくれる愛情のうすさをひとに覗かれるのがいやだったのですね。ちなみに、私は小中学時代のイベントのお弁当は母が精をこめてつくってくれましたので誇らしかったですが、高校時代からは自分でつくるようになり、ひとに見られるのがひじょうにいやでたまりませんでした(苦笑))

こういうあたたかい嘘がつける大人っていいですね。むかしは、こういうほんとに人格として教師の条件をそなえたひとが先生って呼ばれていたはずですが、いまは…とつくづく嘆きたくなります。と、小学生から大学時代まで、ふできな生徒であった人間がほざいてみる。

さて、このドラマなんといいましても、主役をはる方はタイトルにもありますとおり、少年の祖母、徳永おさのさん、そのひとです。
ところどころ欠けた瓦屋根、真昼でもうすぐらい室内灯、陽にやけて濃度の違うぶかっこうな障子窓、ひとの足で磨かれた黒光りしているつめたげな床。そんな家でつつましやかに暮らす彼女は、鉄くずあつめと、娘からの仕送りを頼りに、少年と暮らしています。

このおばあちゃん、ひじょうに君子なおかたです。数々の箴言を吐いてくださいます。貧乏を嘆いている孫に向かっては。
「貧乏には暗い貧乏と明るい貧乏がある。うちは明るい貧乏だ」と諌めます。
はじめから汚い服なら、雨が濡れようと風にすり切れようと気に病むことはないのだと。
また、母親恋しくて、約束どおりに会えないと落胆する少年に対しては。
「つらい話は夜するな。どんなつらい話も昼にしたらつらくはない」
と諭すのです。
しばしば歴史は夜つくられるといいいますが、それは征服者の暗黒な野望であったもの。歴史の勉強が苦手だと教科書をほうりだす孫を、過去にこだわる生き方をしないのはいいことだと笑ってうけとめる寛容さ。彼女ははたして器の大きい凡人なのかもしれません。

貧乏ではありますが、彼女は吝嗇家ではありません。中学生の孫が野球部の主将にえらばれた記念にと、スパイクを買い求める。がま口には、この日のためにととっておいた一万円札いちまい。その店でいちばん高いスパイクを買ってもじゅうぶんお釣りがでるのでるのですが、彼女はぜひそのスパイクは一万円で譲ってくれと、店主にせがむのです。このあたりも、かなり演出されたけはいが感じられるのですが。ようは、かわいい孫の足下をまもる野球靴、それぐらいの価値はあるということなのでしょうか。ものの価値を値段以上にたかめるのは、その使用者しだいではありますが、とかく安かろう、タダでよかろうに惑わされて、ものを買うことの道義をなにか歪めている時代に生きている私には、身につまされるエピソードではあります。

そんなこころ温かい祖母に対し、孫の少年もまっすぐです。
こわれた老眼鏡をみかねた徳永少年は、ひそかに酒造り会社でアルバイトして新しい老眼鏡をプレゼント。しかも、こっそり新聞紙にくるんで机において、祖母にといただされたら、天国のじいちゃんが贈ってくれたとシラを切る、いさぎよさ。ちなみに、そのあと祖母は水道の蛇口をあけて涙をぬぐうというとってもベタな対応をしてくださいました。

全編(といっても私が観た時点ですでに話の三分の一は過ぎてしまっていたのですが(汗))こういった感じで、おしきせがましくない人情味がかんじられるヒューマンドラマなのです。
城郭をめぐるマラソン大会では、祖母と、広島からかけつけた母、ふたりの母の声援に背中をおされて、いちばんにテープを切る。ここもすごく、あざといといえばあざとい逸話ですが、なぜか作中の担任教師とおなじく、ブラウン管のまえで泣いてしまいました。

このドラマに惹かれたのは、そのレトロな風景にあるかもしれない。
色褪せた写真のようにセピアいろに染まった映像は、愛郷心をかきたてます。私はもちろん、この物語の時代には生をうけていませんでしたけど、城址のある町並みですとか、川岸にかかった橋ですとか、足をひんやりさせる清流ですとか、坊主頭の歓声がひびく学校のグラウンドなどなど。およそ懐かしい風景であったわけです。いちばん胸にぐっと迫ったのは、おその婆さんが寝ている蒲団でした。白いカヴァーで覆われた、水を吸ったように重くて冷たい、渋染めいろの木綿の掛け蒲団。幼い頃、母方の祖母の屋敷に泊まったときにはかならずその蒲団で寝かされたものです。ひごろ家では軽い質感のふわりとした羽根布団で寝ていた私には、その祖母の蒲団は鉛をのせられたように重苦しく、寝返りをうつのもままならなかったわけです。しかし、あの座布団を大きくしたような和布団、いまから思えば、からだの自由を奪うことで寝相をよくしてくれていたように思います。着物というのも乱暴にうごけば気崩れてしまう。だから、自然と無駄のないうつくしい所作がうまれたわけで。武道で歩運びの基本とされる摺り足も、足裏のすべりのいい足袋やかかとのない草履という服飾文化がなければ成立しないわけで。
衣にせよ食にせよ住にせよ、おしなべて民俗文化というものが、日本人の身体感覚をつくり、長じて鍛えられた肉につつまれる魂魄をかたちづくってくれたのですね。寝心地のわるいむかしの蒲団は、そこに潜りこんで抜けられない夢の迷宮におちいる前にひと目覚めさせ、朝の仕事に向かわせるために必要だったのかもしれません。あまりに快適な眠りやゆとりは、ひとを退化させてしまうのかもしれません。(と眠るの大好きな人間がほざいています)

ちなみに原作本の表紙にある著者の祖母の顔は、どことなく私の父方の祖母に似ていて、それも親近感の理由のひとつ。うつくしいとは思わないが、いとおしいと思える日本女性の顔です。最近は美顔技術が浸透していて老婦人でも年齢を感じさせない方がおおいのですが、こういう苦労を肌年輪として刻まれた皺の笑顔というものは、私は賞賛されてよいように思います。

日本の老婆といえば、そのむかし、青島幸男元都知事の「いじわるばあさん」が思い起こされますが。いまはアイドルにしろ作家のデヴューにしろ低年齢化がすすみ若さがもてはやされている時代。おばあちゃんがいっていたことを後生大事にしているひとは、少なくなってきたのかもしれないですね。某ライダーを覗いては(笑)
日本男児の大和魂は、やはり無名多数のグランドマザーたちのあたたかい懐にいだかれて育まれてきたのではないかと思う次第。母なるひとは偉大ですね。



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Unknown (たかパパ)
2007-11-24 18:33:15
こんばんはです。



携帯から失礼しますね。

この度は勇気付けられるコメントありがとうございました。



今回の件を良い機会にし 皆さんに料理で応え コミュニケーションを深めたい次第です。



では 自身も応援し続けますよ~♪



がばいばあちゃん 過去に実費執筆だったのですね 心込めたものは報われるのですね

めでたしです。



ばあちゃんに感謝ですね。
返信する
よかったですね。 (万葉樹)
2007-11-24 22:01:16

ごきげんよう、たかパパ様。
今回の騒動、いちじはどうなるかと思いましたが。とにかくまるく収まってよかったのではないかと、思います。
私もおせっかいなコメントを寄せてしまったのかなとも、反省はしていましたが。

正直いいますと、お付きあい疲れから脱会したくなることしばしばですが(苦笑)あの場所がなければ、これまで好意的なコメントをくださった方々との出会いは生まれませんでした。
それにしても、ネットのコミュニケーションはしばしば、とんでもない奇跡をうんだりもするものですね。ひとの言葉のちからの不思議さを感じます。

私もしょせんは人の子、いきおい読者数稼ぎでリンクを増やしてみたくはなりますが、やはり自分の本分をまもって記事書きに専念したいなと思っております。数は少なくても、ここの中身(紹介している作品)に理解を示してくれ、支えてくれた方々にこそ、いい記事を提供したい、そう願っております。

ほんらい、多くのひとと意思疎通を深めるために創設したコミュニティシステムであったはずですが、なんとなく意想外なつかい方をされていて、(すなわち、相手の言葉にじっくり応えられないコミュケーション不全におちってしまっているような)運営者側もいろいろ戸惑っているのではないでしょうか。けっきょくは、システムをよくするのも悪くするのも、使用者のこころがけ次第ではないかと、考えています。
私がお世話になっているブログ様はひじょうにていねいなコメントをくださる方でしたので、あのコミュニティに参加してからは、足跡の応酬ばかりの実態にかるいカルチャーショックをうけてしまいました。逆に私もコメントを寄せると負担になるかなと思い、控えていたりもするのですが。読者数が増えても、なにかこうした虚しさ、もどかしさを感じることもしばしばですね。それも一種の勉強にはなりますけれど。

本題のがばいばあちゃんついてですが。
むかしは、コミュニケーションツールが発達していなくても、いたるところ、こうした貧しくても明るい、ものは少なくてもこころは豊かな生き方をするひとがいて、いまの社会を支えた世代のお手本になっていたのだろうと思いますね。いまは資産のあるお年寄りが多いので、お小遣いめあてでつきあっているしたたかな子どももいたりするでしょうが。年齢が蓄えたものがお金だけではないことを、この物語は伝えているのだと。このおばあちゃんがいなければ、著者の名声も存在もありえなかった。日本の母に感謝は忘れてはならないという思いで、記事にしてみました。


では、コメントありがとうございました。

返信する
こんばんわ(^・^) (ともたん)
2007-11-25 00:35:59
私は万葉樹さんとは逆にテレビの方は半分居眠りして見てたので分からないんですが、島田洋七本人の話とか、他の番組で再現ドラマとかしていたのを見ていたので昨日のテレビの方は万葉樹さんの言う通り本当大分脚色がかってるみたいですね☆私が前テレビでみた時はそのお世話になった先生も出て来てました!「がばいばちゃん」ってシリーズものでかなり出てます!でも、昔は結構田舎の子は貧乏人が多かったと母は言ってますけど!再現ドラマでもともたんは号泣したのに、昨日のテレビも見てたらきっと号泣だったな!
(#^.^#)
返信する
貧しくてもあげられたモノ (万葉樹)
2007-11-25 22:14:37

ごきげんよう、ともたん様。
記事を補完するコメントをいただき、ありがとうございます。この映画をめぐって(?)ともたん母子様の会話がはずんだと聞きおよび、こころなしか嬉しい管理人です。
原作がシリーズ物だったのですか。たぶん、「男はつらいよ」とか「釣りバカ日誌」とか、日本人大好きな人情ものに属する昭和ちっくドラマなんでしょうね。

視聴時はまったくのフィクションだと思ってましたので涙すらしましたこの映画。が、タレントが原作だって聞くと、どうしてもそのひとのキャラを思い浮かべてしまうので、まるごと好きになれないのですね。
あとから考えたら、たしかにやらせっぽいかなという話しづくりではありましたが。吉行和子さんの品のいい老婦人ぶりがよろしくて魅入られてしまいました。

でも、泉ピン子さんのほうが、実物にちかいのではと思います。ちょっとうす汚れた生活感がすごくうまく表現できそうな気がして(笑)新春ドラマや舞台では、著者本人も登場していたようですしね。原作をよんでいないので憶測ですが、映画版は監督の演出もあってさらに光ったのではと感じます。電柱の広告とか、どこか物悲しい豆腐屋のラッパの音とか、がたがた揺れながら三つの輪で走るトラックとか。いかにも、こてこてな昭和初期の時代の空気が、じんわりと滲み出ていたんですね。島田紳介がやっているスポーツグッズの店主も、かなりいい味だしていました。

再現ドラマって、新春ドラマでなくて、バラエティ番組かなにかでの特集で、ということなんですね。日曜に日本テレビ系列でやっている「波瀾万丈」という番組なんかで、よくタレントの生い立ちが語られていますけれど、やはり有名人の苦労時代をささえたひとの愛というのは偉大なのでしょうね。

この戦後の復興期は、物資も不足してて一家の大黒柱や跡継ぎをうしなった家庭も多かったのではないかと思います。主人公が母子家庭でしたので、そういった感慨も読みこんで、眺めていました。徳永少年は私の父と同世代。子として生まれたからには見ることができなかった彼の少年時代は、垢染みたシャツを着て、刈り込まれた頭に肌寒い秋の寒気を感じながらも、野原のマウンドでボールを投げていたのだろうと想像してみたりもするのです。

田舎の貧乏というのは、情報の流れの遅さや与えられるモノの乏しさ、狭隘(きょうあい)な人間関係で、たしかにそれはいまも、変わっていない気がします。あのころ、刺激のない田舎に嫌気がさして、若い働き手は都会におしよせた。気まぐれな天候に左右されてしまう農林業などになじんでいたひとたちは、至極ヴァイタリティに溢れていて、ありふれたものがあたりまえのごとく在ることに感謝して生きていけただろうって思います。でも、なんだかひとびとがこみあって暮らしているような灰いろな空間では、近くにあるひとの声こそとおくに疎んじられてしまう。最近の家庭内悲劇を耳にするにつけ、そう感じますね。もちろん、それはいちぶの極端な例にすぎないのでありますが。

戦後半世紀過ぎて、仮想アドヴェンチャーゲームから迷彩服やガンコレクションまで。戦争がフィクションであり、ファッションとしてもてはやされるほど、既存の平和を謳歌している時代にうまれた人間として、こうしたつつましやかな生活を営みながら豊かでこころ高いことばを贈れた人とおなじくらいの言葉がけと態度をとれるのだろうか、自分のうしろの世代に。この映画を観て感じた、最大の自己疑問です。私の大好きな閨秀作家の樋口一葉のことば「貧しいから あなたにあげるものは 五月のやわらかな若葉と 精一杯の愛情だけです 」を、つくづくと思いだした逸話でありました。いまは、掛け値なしの愛をもらうほうが、よほど高くつくのかもしれませんね。


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