そのとき、折よく、空におわす神様がたちの悪い咳をしたかのように、唸るような強風が吹きおこったのです。
その強風のせいで、またしても洗濯物が横着にも暴れはじめたのでございます。いたずらっ子たちをおしおきしようと、風が鞭のように服を叩いて回っているようでございました。そして、また一枚、また一着と、服が驚いたように敏捷に跳ね上がり、頼れる先を求めては隣にしなだれかかっていくのでした。
お嬢様は静かな笑みをたたえたまま、そちらにお近づきになりました。
わたくしは肝を冷やしたものです。なにしろ、濡れそぼって手強い感触を帯びた干したての衣類ほど、体のいい凶器に変わるものはございません。水で浸した手ぬぐいを打ち据えれば、立派に身をも引き裂く棒となりえるように。わんぱくな風にそそのかされて、美しい装飾を施したカフスのついたシャツの袖が、お嬢様の美しい頬にうっかり平手打ちなど喰らわせやしないかと気を揉んで、お嬢様につづき、取り急ぎそちらに駆け寄りました。お嬢様を傷つけるものがございましたら、たとえそれが布一枚であろうと、容赦はすまい。もし、うっかり、そのせいでお召し物の一枚、二枚、台なしにするようなこととなり、わたくしの身の上がどうなりましょうとも。
ところが、ふしぎなことが起こるものです。
お嬢様がお近づきになったとたん、シャツの袖はお嬢様の腕にするりと巻きついたかと思うと、たちまちくるりと翻って離れました。のみならず、風はたしかに止んではいないだろうに、その一帯だけがぴたりと静まり返っているのです。まるでおいたをした子どもが、母親に恫喝されて身をすくめてしまったかのように、でございます。指揮者が登場しタクトを構えたとたん水を打ったかのごとくさらりと静まりかえる、緊張感高まる演奏会の開幕直前の礼儀正しさに倣ったかのようではございませんか。
そして、わたくしははたとこの目で確かめたのです。
十年と見慣れたお嬢様ご愛用の、あの愛おしい卵いろのパジャマがそこで、風と戯れていますのを。ただ、それ一着のみがゆったりと揺れているのでございます。なぜかというならば、その一着だけが、不自然なほど雫を滴らせながらそこに垂れ下がっていたのでございます。わたくしは、それを見た瞬間、胸を衝かれた思いがいたしました。そのパジャマからは、お嬢様の手のひらからとおなじ薔薇の石鹸の香りが、あたりはばかることなく、漂っているのでございました。
その夜着を昨晩、どこのどなたがお召しになっていたかなど、あえてわたくしがこの口で申し上げるまでもございません。それをご覧になっていらっしゃるお嬢様の恍惚としたまなざしが、もはや、その袖を通した人物を物語っているのですから。わたくしがそれを見るときに、かならずや、中学生のときのお嬢様を思い浮かべるのと同様に、お嬢様はそこに、その夜の愛おしい空蝉に、一片の曇りも乱れもなくまっすぐな情念を注いでいらっしゃるのです。
あまりのやるせない想いのために、わたくしは思わず目を伏せてしまいました。
しかし、すぐさま目を開かされたのでございます。お嬢様の次なるお言葉によって。
「螺旋の神様が、きょうも舞い降りたのね」
なんということでございましょう。
わたくしの全身の血がぞろりと沸き立つようなお言葉を、ふと何の前触れもなく、お嬢様は洩らされたのでした。その美しい口もとになんとも鷹揚な柔らかな微笑みを添えられたまま。
わたくしはお嬢様のお顔を勇気をもって見上げました。
しかし、すぐにまた、目を逸らしてしまいました。わたくしをご覧になられているお嬢様の美しい瞳に、自分の愚かしいほどうろたえている映像がありはしないかと気がかりで気がかりでならず、まともに視線を交わすことすらもできずにいたのです。そしてまた、自分の内側からじわじわと滲み出そうとする喜びを認められてはならぬ、と必死なのでございました。