25 日露関係Ⅰ (江戸時代~第一次世界大戦) -10-
ⅰ 江戸時代~日露戦争直前までの描き方 -10-
■まとめと考察 2/2
4 「日清戦争ごろから日露戦争開戦直前までの状況」の描き方
●「三国干渉後の、ロシアによる遼東半島の租借」という重要な史実を描いていない。 → × 学び舎。
※日清戦争も日露戦争も、その大きな原因の一つが「ロシアの南下政策」。当時の日本(人)の「ロシアの脅威」に対する恐怖感や不安は、重要な史実だ。また、日清戦争の勝利により獲得した遼東半島の返還と”ロシアの横取り”に対する日本国民の不満・反感がとても高かったことも事実。
●「ロシアによる朝鮮半島進出、および、その支配への日本人の危機感」を描いていない。 → △ 帝国書院、教育出版、日本文教、清水書院、学び舎。
●日本による朝鮮半島への干渉の動機・目的について、《①日本の国防に関するロシアへの懸念(不安、恐れ、危機感など)》が大きな原因となって、②朝鮮半島への日本の影響力強化、という因果関係があるのに、まるで、《②が原因になって日露が対立しているかのように、因果関係を逆転して描いている。 → △ 教育出版、日本文教、清水書院。
※人間の内心(主観、認識、判断)が関わることなので、かなり微妙な問題だが・・・ここでは《日本(軍)による朝鮮半島と中国亜大陸への進出・侵攻の動機・目的》について以下のように考えている。
日本人もいろいろいたので、日本全体としては、動機・目的もいろいろあったと思われる。また、同一人物であっても、以下の2つあるいは3つすべてが共存できたはず。
⑴ 外国(ロシアなど)からの自国防衛、あるいは ”やむをえない対応”
⑵ 他の列強国(露・英・米・仏)との競争・対抗
⑶ 侵略(軍事的あるいは経済的な、占領や支配)
したがって、例えば「朝鮮半島への日本の影響力強化」という結果(現象)の原因を、ただ一つに決め込むのはまちがいではないかと思う。
上記3社の表現では、上記⑴の動機を無視しているので、中学生には、ただ単に、《ロシアと日本が朝鮮半島を取り合いしている》としか理解できないだろう。
3社は、極東軍事裁判で主張されたような、《大日本帝国は、覇権的な”侵略国家”そのものだった。》とか、《世界征服をめざしていた。》という歴史観、”単純な歴史認識” を前提としているように思える。日本人の一部には、「戦前アメリカ人」による、《戦前の日本はすべて「悪」だった。》とか、《神道や天皇制が諸悪の根源だった。》などの単純で悪質な”プロパガンダ” にまだだまされている人々がいるのだろうか?
~次回から、日露戦争~
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《著者:松永正紀 教育評論家 /h22年度 唐津市・玄海町:小中学校校長会長》