ⅲ まとめと考察
1 索引語
「神話」は重要語句なので、載せないのは× →帝国書院、清水書院
2 分量:頁数
民族や国家における神話の重要性は、世界中(の知性)が認めていること。
そのなかでも、日本神話は現代との継続性を保持しており、世界で類例がないもの。
したがって、教えるにはそれなりのスペースが要る。
少なすぎるのは× →日本文教。
足りないのは△ →帝国書院、学び舎
3 具体的な内容紹介の量
スペースには限りがあり、7つの構成要素のすべてを紹介するのは難しいと思われる。
しかし、0(無し)は論外として、1/7でもまったく不十分なので× →帝国書院、教育出版、日本文教、学び舎。
4 外国の神話内容の紹介や比較
「世界史的認識の導入」や「神話学の入門」として、一般人向けの意義はある。
しかし、義務教育としては、《自国の神話を教える》のが教科書会社や学校・教師の第一義務。
したがって、任意におこなうとしても、使用スペースのバランスに配慮する必要がある。帝国書院は異常では?
5 風土記の割合
日本神話の元は「古事記」・「日本書紀」と「風土記」。
一般的に、まずは全国版の記紀が紹介される。
義務教育(全国民)用の教科書ではそれが当たり前であり必須。風土記の内容紹介はどちらかと言えば任意事項にあたるのではないだろうか。
風土記中心の清水書院と偏重の学び舎は×。
6 特徴
日本の教科書が日本神話を尊重するのは当然のこと(育鵬社、自由社)。
・呼び捨て
日本の伝統にも常識にも反する。
例えば、普通の日本人なら、自社の社長のことを言うとき、「○○社長」とか「○○社長さん」と言うはず。
尊敬・尊重されるべき人や、目上・年上の人を「○○」と呼び捨てにすることはありえない。
そうするのは悪意や軽蔑を伝えるとき。
我が国の神々の名を書くのに、「学問的表現」の名目で呼び捨てにする東京書籍・帝国書院・教育出版の態度には、悪意がちらほら見える気がするが…
・概論的、評論的記述
どちらも学問的にはおかしくない。
しかし、自国の神話を義務教育として自国民に教えるのに、《まるで第3者・部外者・外国人のような表現で教える》国家はない(ようだ)。
著者も編集者も、「国を愛する心」はないのだろう。
・悪い印象…
教育出版の記事を読むと、多くの中学生が《日本神話は特別なものではないし、中身は残酷だ》と思ってしまうのでは…?
~次回から「万葉集」~