A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ジェリーマリガンのコンサートジャズバンドの特徴はアレンジだけではなく・・・

2015-03-08 | MY FAVORITE ALBUM
Gerry Mulligan The Concert Jazz band at Newport 1960

編曲を得意とするミュージシャンは、他のバンドにアレンジを提供するだけでなく、もちろん自分のバンドでもそのアレンジを披露する。しかし、ビッグバンドとなると自分のバンドを持つのは経済的な面からも難しい。そこで、どうしてもリハーサルバンドが主体になってくる。

ジェリーマリガンはバリトンサックスプレーヤーとして有名だが、一方で作編曲でも活躍した。1982年に自らのビッグバンドの演奏でグラミー賞を受賞したが、このマリガンのコンサートジャズバンドが最初に編成されたのは1960年。
世の中ハードバップからファンキーブームへまっしぐらであったこの時期、マリガンが世の中の流れに反して、自分のアレンジを好きに演奏できるレギュラーバンドとしてビッグバンドを立ち上げられたのには一つ理由があった。

マリガンの代表的な曲にI want to live (私は死にたくない)という作品があるが、これは同名の映画の主題歌。主題歌だけでなくサウンドトラック全編がマリガンのグループの演奏であった。
これをきっかけに、マリガンは映画にも多く出演することになり、マリガンのグループ御一行様はロスに長期間滞在することになる。実は、この映画出演はマリガンを日々のツアーから解放しロスに落ち着けただけでなく、経済的も恩恵を与えた。要は自分のやりたい演奏活動の軍資金を映画で稼ぐことができたというだ。
そこで、念願であった自分のビッグバンドである、コンサートジャズバンドを編成することができた。

このバンドは普通のコンボより大編成でビッグバンドよりは小振りな編成だが、実にユニークなサウンドをしている。ソリストが充実していてあるだけでなく、マリガンをはじめとして他のアレンジャーの編曲も多く採用しているが、もうひとつ大きな特徴があった。

このコンサートジャズバンドに関しては、そのグループにも参加したベースのビル・クロウが、自らの著書「さよならバードランド」の中でも書き残している。そこにその特徴についての記述があるので引用しておくことにする。

「素晴らしいソロイストが揃っていることはもちろんだが、そのバンドの大きな財産はそれぞれのセクションに腕利きのリフ・メーカーが控えていることだった。ジェリー、クラーク、そしてボブだ。大抵の場合、僕らは誰かがソロを終えても、ジェリーの指示があるまでは、すぐに次の譜面部分に移らなかった。ソロイストが2コーラス目、3コーラス目に入ると、ジェリーは即興でバックグラウンド・リフを作り上げ、他のリード奏者たちもユニゾンなりハーモニーなりでそれに加わった。一方ブラスセクションではボブやクラークがそれに対するカウンターリフを作っていった。そして僕らは力強く新しいものをどんどん展開していって、そのまま次の譜面部分に突入していくことになった。」とある。

これが、マリガンのコンサートジャズバンドの特徴であった。
モダンビッグバンドになってソロが重視され、アンサンブルが多様化していったなかで、古いジャズが持っていたソロを盛り立てるためのバックの即興的なリフがいつの間にか無くなっていったが、それをグループの演奏で見事に復活させた。これが、参加しているミュージシャンがこのバンドで演奏することが楽しかったという一つの理由であったのだろう。

ニューヨークで立ち上げたバンドは、西海岸でもコンサートを開き、その年のニューポートの舞台にも立った。その時の演奏がオコナー神父のアナウンスから、マリガンのMCまでそのままアルバムになっている。通して聴くと、このバンドの特徴に合わせて会場の雰囲気も良く分かる。

このバンドは、その後ノーマングランツがバックアップしていたが、グランツがVerveをMGMに売却すると同時に、それまでのような活動の支援は無くなり、存続できなくなり解散してしまった。レコーディングやコンサートのために再編されることはあっても、メンバーの中でも最初の熱気は感じられなくなったという。

やはり、ビッグバンドを継続的に運営し、参加するミュージシャンが熱くプレーし続けるためには、経済的な支えとその演奏を楽しむファンの存在の両方が必要ということだろう。

1.  Utter Chaos                Gerry Mulligan  1:25
2.  Broadway             H.Woods/T.Mcrae/B.bird 10.03
3.  Theme From 'I Want To Live         Johnny Mandell 5:27
4,  Out Of This World        Harold Arlen/Johnny Mercer  4:03
5.  Manoir De Mes Reves           Django Reinhard  4:32
6,  18 Carrots For Rabbit            Gerry Mulligan 6:18
7.  Walkin' Shoes                Gerry Mulligan 5:41
8,  Sweet And Slow           Harry Warren/Al Dubin 5:29
9.  I’m Gonna Go Fishin'        Duke Ellington/Peggy Lee 6:27
10.  Blueport                    Art Farmer 6:31
11.  Utter                       Chaos/Closing 0:48


GERRY MULLIGAN AND THE CONCERT JAZZ BAND
Don Ferrara, Phil Sunkel, Conte Candoli (tp)
Bob Brookmeyer (vtb), Wayne Andre (tb), Alan Raph (b-tb)
Gene Quill (as, cl), Dick Meldonian (as), Jim Reider (ts), Gene Allen (bs, bcl),
Gerry Mulligan (bs, p)
Buddy Clark (b)
Mel Lewis (dm)

Recorded live at Newport Jazz Festival, Freebody Park, Newport, Rhode Island, July 1, 1960


The Concert Jazz Band at Newport 1960
クリエーター情報なし
Ais
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分でエアチェックした物は、アルバムとはまた違った楽しみがあるような・・

2015-02-05 | MY FAVORITE ALBUM
Aurex Jazz Festival '81 / All Star Jam Session

一時お蔵入りしていた自宅のアナログのレコードが再びターンテーブルに乗って10年近く経つ。当時は仕事とゴルフに熱中していたが、歳をとったら好きだったジャズをもう一度聴き直したいと思ったのがきっかけだ。

ちょうどその頃このブログを開設した。最初は、ゴルフの記録を残すことが主な目的であったが、このブログのタイトルでもあるウェスモンゴメリーのアルバムを取り上げたのを機にジャズのアルバム紹介もするようになった。

三日坊主にならないように、それをきっかけにレコードの棚卸も始めた。昔聴きこんだアルバム、一回聴いてお蔵入りしたものまで、今聴き返すとそれなりに新たな印象が生まれる。レコードを棚卸すれば、当然CDも。一時、新たにアルバムを買う事も無くなっていたが、聴き始めるとまた新たなアルバムが欲しくなる。新しいアルバムというよりは、古いアルバムを聴いて気になったものがまた増えてくる。昔は、欲しいアルバムを探すのも楽しみであったが、今ではネットで簡単に探せる。簡単に買えるようになったのが、いいのか悪いのか、店に足を運んで探す楽しみは無くなった。

お蔭で、棚卸は遅々として進まないが、最近は、ゴルフの記事よりももっぱらジャズアルバムの記事になっている。別にゴルフを辞めた訳ではないが、プレーへの執着心が無くなると、書く事も無くなる。
最近はアルバムそのものの紹介よりも、アルバムにまつわる話が多くなっている。これも、棚卸をやっている中で、好きなサドメル(ビッグバンド)、ペッパーアダムス、そしてConcordに関しては、せっかくなので少し突っ込んで調べてみたいと思う、ファンの心理からだろう。

段ボールに詰まったままであった古いスイングジャーナルも再び書棚に陽の目を見た。良く読んだ記憶のものもあれば、全く記憶にないものもある。確かに、仕事が忙しかった時期は読む暇もなく、定期購読して毎号届くものの、ただ積んでおいたものも多かった。

昨年は、ベーターのデッキを復活させた。これで段ボールに詰めてあったβのテープが陽の目を見た。30年以上前の懐かしい映像に見入ってしまうことも。

そこに、また一つ最近復活させたものがある。カセットテープである。当時エアチェックをしたものがこれも一山ある。元々整理ができない質なので、タイトルはあってもインデックスが記されていない物が大半。中身は聴いてみてのお楽しみということだ。

もうひとつ物置にオープンテープが一山あるが、これもいつかは手を付けなければと思うが、これはいつになることやら。

こんな生活ができるようになったのも、最近は仕事を減らして比較的自由な時間がとれるようになったのもひとつの要因だ。
程ほどにしようとは思うが、元々凝り性。次の楽しみが見つかるまではしばらくは続きそうだ。



さて復活したカセットで最初に聴いたのは、この81年のオーレックスのオールスターズの演奏のエアチェック。レコードではカットされている、ゲッツとブルックマイヤーのそれぞれのソロが異色だ。アルバムではゲッツはミルトジャクソンとのイマネマと、ブルックマイヤーはマリガンとバニーズチューンの再演となるが、それぞれのソロは懐メロではなく全く違う雰囲気の演奏だ。

というのも、この81年というと、ゲッツはサンフランシスコに居を移しConcordで復活する時。そしてブルックマイヤーも古巣のメルルイスオーケストラでも本気モードを出していた頃だ。
此の頃は、ジャズフェスティバルも全盛期、世界中で色々なコンサートが開かれていた。今聴き返してみると、お祭りは別の場として割り切り、皆、本業では真剣モードだった気がする。このようなお祭りでは、自分のソロの時だけは、今の自分のせめてものアピールの場だったのかもしれない。

コンサートのプログラム作りも、一般受けを狙って(それはそれで楽しいものだが)出演者の普段の演奏とは違う物であったことが良く分かる。

ということで、表題のアルバムはこの時のライブアルバムだが、今回は自分のカセットのエアチェックで聴いてみた。曲が違い、順番が違うだけでもアルバムとはまた違った印象を受けるものだ。

1. Crisis
2. Bernie's Tune
3. Song For Strayhorn
4. What Am I Here For
5. Take The 'A' Train - Caravan - Things Ain't What They Used To Be
6. A Night In Tunisia
7. Time For The Dancers
8. The Girl From Ipanema
9. Bag's Groove

Freddie Hubbard (tp)
Stan Getz (ts)
Bob Brookmeyer (vtb)
Gerry Mulligan (bs)
Milt Jackson (vib)
Roland Hanna (p)
Ray Brown (b)
Art Blakey (ds)

Engineer : Yoshihisa Watanabe, Yutaka Tomioka
Executive-Producer : Nobuo Ohtani
Producer : Yoichiro Kikuchi

Live recorded at Budokan, Tokyo on September 3, 1981
Live recorded at Osaka Festival Hall, Osaka on September 2, 1981
live recorded at Yokohama Stadium, Yokohama on September 6, 1981
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔懐かしい曲の演奏も、好アレンジとバックの好演に支えられると・・・

2015-01-07 | PEPPER ADAMS
Creole Cookin’ / Bobby Hackett

ボビーハケットは、最初はビックスバイダーベックに憧れるシカゴ派のコルネット奏者だった。いわゆるオースティンハイスクールギャングの面々よりは一回り若い。エディーコンドンなどとプレーした後は、グレンミラーなどオーケストラでの演奏が中心になる。そして、戦後はジャズというよりはムードトランペットの世界で一躍有名になった。
昔、トラッド、スイング系を良く聴いていた時には彼の名前は良く耳にしていたが、ジャズ奏者としての演奏は1955年のコーストコンサート以降は聴いた事が無かった。

最近はアルバムを持ってはいなくとも簡単に演奏を聴く事ができる。そして、YouTubeを見ると音楽に併せてハケットの色々な写真や映像を目にすることができた。晩年でも決してジャズを忘れていた訳ではなかったし、アメリカでの人気の程を窺い知ることができる。その中で1962年の映像が目に留まった。テレビ番組の映像だとは思うが、ピアノがデイブマッケンナ、トロンボーンがアービーグリーンだ。こんなメンバーともやっていたのかと。楽しいディキシーの演奏だ。



ここでクラリネットを吹いているのが、先日紹介したライオネルハンプトンの音楽生活50周年の記念コンサートで、ベニーグッドマン役を務めたボブウィルバーである。スイング系のクラリネット、ソプラノサックス奏者として、コンコルドレーベルの初期にはケニーダーバンとのコンビでアルバムを残しているが、好きなアルバムであった。

1967年にこのボブウィルバーがアレンジャーとしてボビーハケットの為にアルバムを作った。この当時、ハケットはトニーベネットのツアーに一緒に参加していたという。60年代の後半というと、メジャーレーベルでは大編成のオーケストラをバックにしたアルバムが多く作られた時代であるが、この手のアルバムは、アレンジ次第で面白くもつまらなくもなるものだ。

プロデューサーのボブモーガンとウィルバーが用意したのはディキシーの名曲ばかり。ハケットがまだ駆け出しの頃、バイダーベックを目指して日々演奏していた曲だ。これらのニューオリンズジャズの原点ともいえる名曲をハケットとウィルバーが今風に料理したので、タイトルのクリオールクッキンという名前も付いたのであろう。

素材が素材だけに、ハケットのプレーはムードトランペットというよりはスインギーなメリハリのついたプレーとなっている。それを支えるウィルバーのアレンジが素晴らしい。ディキシースタイルを単に大編成にしたというのでもなく、かといって良くあるスイングオーケストラ風にしたのでもなく、自分の好みのモダンスイングなサウンドに仕上げている。なかなかいい感じだ。やはり、この手のアルバムはアレンジャーの腕とセンス次第で良くも悪くもなる。

もちろんハケットのソロが前面に出ているが、ボブブルックマイヤーのトロンボーンのデュエットやウィルバーのソプラノサックスのソロも印象的だ。その昔、ニューオリンズジャズが、シカゴに来て泥臭さが抜けて白人好みになってシカゴジャズになったのと同様、今回の料理はニューヨークモダンに仕上がったともいえる。

このバックのオーケストラのメンバーに、ボブブルックマイヤーだけでなく、ジョーファレル、ジェリーダジオン、そしてペッパーアダムスなど、当時のサドメルのオーケストラの面々が参加している。アダムスにとっては、デュークピアソンに付き合って、ブルーノートのアルバムへの参加が多かった中で、少し毛色の違ったレコーディングであった。

後に、このアルバムのアレンジをしたボブウィルバーが語っている。「このアルバムはハケットの希望もあって、慣れ親しんだ曲ばかりだがすべて今までとは違ったチャレンジをしている。それを実現できたのも、それを理解して演奏してくれるプレーヤーがいたから。ペッパーアダムスは自分の意を組んでくれるバリトン奏者だ」と。

サドメルのメンバー達が一発勝負の"Hawaii”を録音した一週間にこの録音はスタートしたが、5月まで録り直しを含めて4回に分けてじっくり時間をかけて録音されたアルバムだ。

1. High Society
2. Tin Roof Blues
3. When The Saints Go Marching In
4. Basin Street Blues
5. Fidgety Feet
6. Royal Garden Blues
7. Muskrat Ramble
8. Original Dixieland One Step
9. New Orleans
10. Lazy Mood
11. Do You Know What It Means To Miss New Orleans
12. To Miss New Orleans

Bobby Hackett (cornet)
Rusty Dedrick, Jimmy Maxwell (tp)
Bob Brookmeyer, Lou McGarity, Cutty Cutshall (tb)
Bob Wilber (cl, ss, arr)
Jerry Dodgion (as)
Zoot Sims (ts)
Pepper Adams (bs)
Dave McKenna (p)
Wayne Wright (g)
Buddy Jones (b)
Morey Feld (ds)

Produced by Bob Morgan
Engineer : Val Valentin
Recorded on January 30, February 2, March 13, May 2, 1967, NYC
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューポートでの再会を機に、すぐにレコーディングとはなったものの・・・

2014-11-05 | PEPPER ADAMS

Presenting Joe Williams and the Thad Jones / Mel Lewis Jazz Orchestra / Joe Williams



ペッパーアダムスは9月22日のスタンレータレンタインのアルバムの録音の後、9月30日にはこのアルバムにも参加している。アダムスの出番はCome Sundayで少しだけだが、さて、どういう経緯でこのアルバムが生まれたかというと・・・。

1966年に誕生したサドジョーンズ・メルルイスオーケストラは、毎週月曜日にヴィレッジバンガードに出演を続け、あっと言う間に世の中に知れ渡ることになる。そして、トントン拍子にその年のニューポートジャズフェスティバルへの出演も決まり、7月2日の夜の部のトリを務める。



当時のプログラムを見ると、メルルイス・サドジョーンズオーケストラとなっており、ボブブルックマイヤーとハンクジョーンズが共演となっている。当時のメンバーの知名度の一端を表しているようだ。そしてそこに、共演ジョーウィリアムの記述も。
蛇足ながらゲッツにアル&ズート、そしてジェリーマリガンの加わったハーマンオーケストラにも惹かれる。

さらに、記録を見ると、その時演奏された曲は、
The Second Race
Willow Weep for Me
The Little Pixie
Big Dipper
に続いて
Come Sunday
Jump for Joy
Roll ‘em Pete
と続く。

この3曲でジョーウィリアムの登場となった。

サドジョーンズとジョーウィリアムは長年カウントベイシーオーケストラで一緒にプレーした間柄、それも50年代後半の全盛期アトミックベイシー時代を一緒に過ごした旧知の仲である。出演が決まったサドジョーンズがジョーウィリアムスリアムスに声を掛けたのか、主催者のジョージウェインが2人のマッチメイクをしたのかは定かではないが、久々のビッグバンでの共演であった。

5月にサドメル初のスタジオ録音を終えてニューポートの舞台に臨んだが、このニューポートの共演で2人は早速レコーディングを思いついたのだろう。早々に9月30日にこのレコーディングは行われた。

このアルバムは、以前紹介したこともあるが、サドメルのアルバムの一枚という位置づけでもあるが主役はジョーウィリアムス。ウィリアムスにとってもベストアルバムの一枚になるのではないかと思う。ジョーウィリアムスがベイシーオーケストラに入った時から、自分をブルース歌手とは規定することは無く、スタンダードやバラードもレパートリーに加えていた。ここでも全編ブルース色が強いが、あくまでもジャズ歌手というジョーウィリアムスの良さを引き出している。もちろんそれはサドジョーンズのアレンジの秀逸さによるものだ。

当時メンバーの一員であったエディダニエルスは後に当時を振り返って、「月曜日は夜中の3時近くまでヴァンガードで演奏をした後で、そのままスタジオ入りして一日仕事が続き、翌朝になってしまうのは日常茶飯事。時には更にもう一晩続いて次の日の夜が明けることもあった。この録音もそんなセッションのひとつであったと。」
「さらに、何せジョーンズがこのアレンジを始めたのはヴァンガードの仕事が終わってから、写譜屋さんを従え突貫作業で仕上げていった。ジョーンズはこのようにプレッシャーを受ける中での仕事を好んでいたようだ。」と。

事実、サドジョーンズはペッパーアダムスの送別アルバムでもあったモニカジタールンドのアルバムのアレンジを移動中のバスの中で行ったという。典型的なギリギリにならないと仕事をやらないタイプだったのだろう。



記録によるとこのアルバムのレコーディングは9月30日に行われたとある。この日は金曜日、最後の曲Woman's Got Soulのセッションを録り終ったのは土曜日の朝、この後皆でコントロールルームで聴き合ったともライナーノーツに書かれている。
ダニエルスの記憶のようにこのセッションが月曜日の夜から延々続いたということは流石にないとは思うが、アレンジが出来上がった所から片っ端からリハーサルもそこそこで12曲一気にレコーディングが行われたというのは事実であろう。

その事実を知ると、余計にこのアルバムのジョーンズのアレンジとウィリアムのコンビネーションを素晴らしく感じる。アレンジは明らかにベイシーオーケストラのバックとは異なり、ソプラノリードのサックスなどサドメルの味がする。
さらに、ダニエルスもそれを「CAMEO」とコメントしているが、バックのメンバー達が入れ替わり立ち代わり歌とアンサンブルの合間に綺麗な装飾のように輝く短いソロやオブリガードを散りばめられているのが素晴らしい。また、後にサドメルではレギュラー構成から外されたフレディーグリーンライクのサムハーマンのギターもここでは効果的だ。このアルバムからピアノはハンクジョーンズからロランドハナに替わっているが、そのハナのピアノもソウルフルにツボを得たバッキングだ。



ジョーウィリアムはベイシー時代、新しい曲をやりたいと思うと、アーニーウィルキンスやフランクフォスターにアレンジを頼んだそうだ。ベイシーオーケストラ時代、サドジョーンズのアレンジはダメ出しされる事が多かった。ウィリアムスも頼み辛かったのかもしれないが、ここでは、サドジョーンズのお蔭で新境地を開いているような気がする。



1. Get Out of My Life Woman" (Toussaint) -- 3:21
2. Woman's Got Soul (Mayfield) -- 2:22
3. Nobody Knows the Way I Feel This Morning  (Delaney, Delaney) -- 4:30
4. Gee Baby, Ain't I Good to You  (Razaf, Redman) -- 2:52
5. How Sweet It Is (To Be Loved by You)  (Dozier, Holland, Holland) -- 2:32
6. Keep Your Hand on Your Heart  (Broonzy) -- 3:37
7. Evil Man Blues (Feather, Hampton) -- 3:26
8. Come Sunday (Ellington) -- 3:16
9. Smack Dab in the Middle  (Calhoun) -- 3:29
10. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)  (Ellington, Mills) -- 3:04
11. Hallelujah I Love Her So  (Charles) -- 3:01
12. Night Time Is the Right Time (to Be With the One You Love)" (Sykes) -- 5:13

Joe Williams -- vocals
Thad Jones -- flugelhorn
Mel Lewis -- drums
Richard Williams -- trumpet
Bill Berry -- trumpet
Jimmy Nottingham -- trumpet
Snooky Young -- trumpet
Bob Brookmeyer -- trombone
Garnett Brown -- trombone
Tom McIntosh -- trombone
Cliff Heather -- trombone
Jerome Richardson -- saxophone
Jerry Dodgion -- saxophone
Joe Farrell -- saxophone
Eddie Daniels -- saxophone
Pepper Adams -- saxophone
Richard Davis -- bass
Roland Hanna -- piano
Sam Herman – guitar

Produced by Sonny Lester
Recording Engineer : Phil Ramone
Recorded on 1966 September 30, at A&R Studio New York City




Presenting Joe Williams & Thad Jones/Mel Lewis
Joe Williams
Blue Note Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家のゴミと思った中にも宝物が・・・

2014-08-20 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
One More Time / Terry Gibbs’s Dream Band Vol.6


歴史を語る時に古文書の存在が大きい。歴史小説を読んでも、あるいは今流行りの官兵衛をみても、よく元になる史実が詳細に残っているものだと感心する。このような古文書はどこかに保管されていたのだろう。今でこそ博物館にあっても、それがあったのは寺や神社だけでなく、一般の家庭に先祖代々引き継がれているものの中から見つかることも多い。

一昨年親を亡くして家の整理もまだ終わっていないが、確かに思い出のある物も多く、中には家の歴史になるものもあるので簡単には捨てられない。
一方で、いま時代の価値観は「断捨離」。親や先祖のものだけではなく、自分自身の身の回りも何も無い方がスマートな暮らし方のようだ。確かに、その日を楽しく快適に過ごすだけであれば、それは理想だろう。しかし、それならば何も家を持たずにホテル暮しをすればいいのにと思ってしまう。
この「断捨離文化」が本来残さなければならない歴史と文化も捨て去ってしまっているように思えてならない。もう一回世代替わりをすると、歴史を持たない民族が生まれる。恐ろしいことだ。

こんなことを考えると、自分はどうもゴミ屋敷にならない程度に物に囲まれた生活が合っているようだ。これはどうやら一生変わることが無さそうなので、家の大整理は息子に引き継ぐことになるかもしれない。

ところが、天変地異が起こるとそうそう悠長な事は言っていられない。今日も大きな災害があったが、津波や火災で全てを失えば諦めもつくが、引越しをしなければならないとか、家を修理しなければならない事態に陥ると最小限の整理は必要になる。自分は、引越は何度もやったが結局一度も開けずのダンボールが行き来することも。

1994年1月17日(これも117だ)ロスアンジェルスで大地震が起こった。これで被害を受けたのはかなり広範囲に及んだそうだ。ロスといえばジャズプレーヤーも多く住んでいる所、被害を受けたミュージシャンも何人もいたと思うが、その一人がヴァイブ奏者のテリーギブスであった。
自宅が大きな被害を受け、修理のために荷物をすべて一旦家の外に出さなくてはならなくなった。8ヶ月後にすべての物を元の位置に戻したつもりになっていたのだが・・・。
2001年8月になって、クローゼットの中に見知らぬダンボールを発見。中身を改めると、何と録音済のオープンリールのテープが25箱。本人もすっかり存在を忘れていた30年以上前の録音の数々だった。

どこの家にも何かこのような宝物が出てくる可能性があるので、簡単に物を捨てられないということになる。

早速、聴いてみると何とそれらは、ギブスが華々しくドリームバンドを率いていた頃のライブの録音がザクザク。録音状態も非常に良く、それらの演奏がCD時代になってから陽の目を見ることになった。
それがこのアルバムだ。それまでも、自分が残した録音からアルバムを出してきたが、さらに新たなソースを発見したということになった。

新たな未発表録音やプライベート録音が続々見つかって世にはでてくるので、物珍しさから興味を惹くが、名盤、名演というのにはなかなか当たらない。まあ宝探しの楽しみと思えば、好きなミュージシャンの思わぬ発掘品も見つかるものだ。

このギブスのドリームバンドの中身はいうと、当時の西海岸在住のオールスターバンド。
ウェストコーストジャズが下火になった中、地元でホットな演奏を繰り広げていたバンドの一つだ。
そのライブ録音となると少しは興味が沸く。ファンの歓迎を受けて、2枚目、3枚目・・と続いていたが、これが2002年になってVol.6となってリリースされた。

このアルバムには1959年3月と11月の2つのセットが収められ、メンバーも若干入れ替わっているがどちらもスインギーなプレー。またトップミュージシャンを起用に若手アレンジャーのスコアが提供されている。同じジャンプナンバーでも、同じヴァイブをリーダーとしたハンプトンのバンドと較べるとはるかに中身があるし、スマートな演奏だ。

ラストのジャンピングアットザウッドサイドではテナーバトルが素晴らしい。その後、アレンジャーとして活動がメインになったビルホルマンのホットなプレーが聴ける。
盛り上がったところで、ギブスの2本指のピアノプレーも。

おまけに、先日メイナードファーガソンで紹介したアイリーンクラールのボーカルが3曲。どうやら客席にいたのを引っ張り出しての飛び入り参加らしく、スコアが用意されていなかったようだ。
そこは、プロの集まり、彼女が曲とキーを言うとピアノがさりげなくイントロを務めると、ベースとドラムが加わる。様子を見ていたギブスも2コーラスから参加、最後はバンド全体で即興のアンサンブルも。ライブの楽しいところだ。


このアルバムをリリースするにあたって、テリーギブスはドリームバンドに貢献した特に3人にこのアルバムを捧げたいと言っている。

一人は盟友コンテカンドリ。素晴らしいトランペットプレーヤーであるだけでなく、無二の親友で兄弟のような関係。いつも一緒にいてくれただけでなく、素晴らしいプレーを随所で聴かせてくれる。
素晴らしいリーダーには優れた女房役が必要。ギブスにとってはカンドリがその役割であったようだ。

そして次がメルルイス。
バディリッチとは対局を為すドラミングだが、2人はバンドをスイングさせる名手だと褒め上げている。ギブスはメルを”The Tailor”と呼んでいた。スインギーな演奏のタイムキーピング役だけでなく、ソロやアンサンブルを実にうまく縫い合わせていってくれる、ドリームバンドに不可欠な存在であった。

西海岸で活躍していたメルルイスが、東海岸に活動拠点を移したのはジェリーマリガンのコンサートジャズバンドに加わったのがきっかけという。この59年から60年にかけてメルルイスが参加したアルバムは非常に多い。どうやら、この辺りが西海岸での最後のプレーになってくる。
メルルイスにとって、ビッグバンドのドラミングはケントンで鍛えられたと思っていたが、サドメルのドラミングの原点はこのドリームバンドの演奏にあるのかもしれない。

最後に、この素晴らしい録音をしてくれたWally Heider.。
やけにいい音だと思ったらやはりハイダーであった。ギブスが言うように、40年後に「昨日録った録音」といってもいい程のクオリティーだ。さすが、ライブレコーディングの魔術師。このアルバムの価値を高めるのに一役かっている。

このテリーギブスが亡くなったという話はまだ聞いていない。流石に現役は退いたとは思うが・・・。
晩年になって、ファンから「ドリームバンドはまたレコーディングしないのか?」という問いかけは良く出るが、返事はいつも「やらない」であった。

ギブスにとっては、59年から61年にかけてのこのバンドが「ドリームバンド」。まさに、この録音そのものが。
メンバーの何人かは残っていても、このメンバーでなくては駄目だということのようだ。ベニーグッドマンのバンドといえば、ジーンクルーパ、テディウィルソン、そしてハンプトンがいなければダメなのと同じようにと例えている。ライブはやっても、それはメモリアルドリームバンドなのだろう。

確かに、これまでの人生を振り返ると、誰もが自分にとってドリームチームといえるメンバーとやった仕事(遊び)は一生忘れることができないものだ。これがその人にとっての宝物だ。



1. The Fuz                    Al Cohn 4:20
2. The Subtle Sermon              Sy Johnson 9:13
3. Opus On Sid                 Garris / Sy Oliver 9:03
4. Smoke Gets in Your Eye       Otto Harbach / Jerome Kern 3:26
5. Slittin' Sam (The Shaychet Man)            Al Epstein 3:18
6. Prelude to a Kis   Duke Ellington / Irving Gordon / Irving Mills 2:58
7. Flying Home   Benny Goodman / Lionel Hampton / Sydney Robin 11:27
8. I Remember You      Johnny Mercer / Victor Schertzinger 2:41
9. The Fat Man T                  erry Gibbs 7:16
10. Just Plain Meyer              Bob Brookmeyer 4:01
11. Sometimes I'm Happy  Clifford Grey / Leo Robin / Vincent Youmans 3:07
12. Moonlight in Vermont     John Blackburn / Karl Suessdorf 3:12
13. Lover, Come Back to Me Oscar Hammerstein II / Sigmund Romberg 2:07
14. Jumpin' at the Woodside              Count Basie 10:53

Terry Gibbs Producer, Vibraphone

#1,3,4,8,10,and 14

Al Porcino (tp)
Conte Candoli (tp)
Ray Triscari (tp)
Stu Williamson (tp)

Bob Enevoldsen (tb)
Vern Friley (tb)
Joe Cadena (tb)

Joe Maini (as,ts)
Charlie Kennedy (as)
Med Flory (ts,arr)
Bill Holman (ts)
Jack Schwartz (bs)

Pete Jolly (p)
Max Bennett (b)
Mel Lewis (ds)

# 2,5,7,8,9,11,12,and 13

Conte Candoli (tp)
Stu Williamson (tp)
John Audino (tp)
Lee Katzman (tp)

Bill Smiley (tb)
Bob Burgess (tb)
Vern Friley (tb)

Joe Maini (as,ts)
Charlie Kennedy (as)
Bill Perkins (ts)
Med Flory (ts,arr)
Jack Schwartz (bs)
Benny Aronov (p)
Lou Levy (p)
Buddy Clark (b)
Mel Lewis (ds)

Irene Kral (Vocals)

Al Cohn Arranger
Manny Albam Arranger
Bob Brookmeyer Arranger
Wes Hensel Arranger
Sydney Johnson Arranger
Marty Paich Arranger

Wally Heider Engineer

Recorded live at the Seville and Sundown, Hollywood, March & November, 1959


One More Time 6
Terry Gibbs
Contemporary
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亡きリーダーを悼んで、残されたメンバーからの贈り物・・・

2014-05-04 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
To You ・A Tribute To Mel Lewis / The Mel Lewis Jazz Orchestra

先日、まつきり三郎のライブで久々にサド・ジョーンズのTo Youを聴いて、思わず他のアルバムを紹介したが、大事な一枚を忘れていた。

サドメルオーケストラが、リーダーの一人サド・ジョーンズがバンドを去って残されたメルルイスが、色々苦労はあったがバンドが生まれ育ったビレッジバンガードでの演奏を続け、
今のバンガードジャズオーケストラに引き継いだのはご承知の通り。メルルイスの踏ん張り、そしてそれを支えたメンバー達の努力があければ、今のVJOは無かったということだ。

サド・ジョーンズが抜けたといという意味は、単にリーダーが抜けたという以上に影響が大きかった。というのも、サドメル時代はレパートリーの大半をサド・ジョーンズのアレンジで構成していた。残されたメルルイスはしばらくサド・ジョーンズの曲を封印した時期もある。当然代わりの曲が必要だが、そこでの救世主は、昔のメンバーでありメルルイスとも昔からの仲間であったボブブルックマイヤーだった。結果的にボブブルックマイヤーのアレンジャーとしての活躍の場ができたという事にもなるが。さらに、メンバーの中から新たなアレンジも多く登場した。中でもピアノのジム・マクニーリーの存在が大きく、サドメルの後継バンドとしてメルルイスオーケストラの位置づけが確固たるものになった。

そのメルルイスが、この世を去ったのが1990年2月。がんと闘いながら死ぬ直前までプレーをしていたようが、亡くなった数日後にはビレッジバンガードの24周年の記念ライブも予定されていたという。サドメルを引き継いで12年が経っていた。メルルイスオーケストラとして最後のアルバムは、1988年の本拠地ビレッジバンガードでのライブ“Soft Light Hot Music”だと思う。

メルルイスが逝ってしまった後、バンドの存続に尽力したのは、ジム・マクニーリーであり、今のリーダー格であるサムモスカ、そしてディックオーツ達である。その残されたメンバー達が、亡くなったメルルイスに追悼の意を込めて作ったアルバムが、このアルバムである。

タイトルは”To You”。
かっての盟友サド・ジョーンズが作編曲したこの曲が、手向けの曲として最後に捧げられている。という経緯の中で演奏されているこのTo Youはメンバー皆の気持ちが籠っているように思う。
サドのアレンジはアップテンポの曲に関しては、サド独自のイントネーションを上手く再現するにはそれなりのテクニックが求められる。一方で、このようなバラード曲は美しいハーモニーと同時に、プレーヤーの情感が籠った演奏が不可欠である。先日、堀恵二のメローサキソフォンアンサンブルで「難しい譜面を間違いなく吹くだけであれば音大の学生なら誰でもできる。その譜面をどう解釈して吹くのかがプロなんだ」といっていたが、まさにそのようなことなのだろう。

“To You”以外の他の曲も、このアルバムでピアノを担当しているケニーワーナーが3曲提供しているが、その内一曲はこのオーケストラに関係が深いボブブルックマイヤーそのものをタイトルにした曲、他にもマクニーリーやテッドナッシュのオリジナル、スタンダードのナイチンゲールはメンバーのエドノイマイスターのアレンジ。そしてブルックマイヤーの作品でサドメルのファーストアルバムにも収められているABCブルースも取り上げている。

このアルバムを本当はアルバム2、3枚にしたかったそうだが、予算の都合でこの一枚に。サドメル時代からの歴史を語るには確かに物足りないが、新旧の作品を持ち寄り皆でメルを悼んで演奏したアルバムとして意味ある一枚。ちょうどメルルイスオーケストラとバンガードジャズオーケストラの狭間で節目となる一枚のアルバムだ。

主の居なくなったバンドというものはなんとなく寂しい演奏になりがちであるが、これはそのようなことはない。立派な後継者がたくさん現れてメルルイスも安心してあの世に旅立てただろう。

早いものでそれから24年経ち、後を継いだバンガードジャズオーケストラのこれらの遺産を大事に引き継きながら元気に活動しているようである。過去の名声と遺産だけで生き残っているオーケストラはいくつもあるが、メンバーやリーダーが代替わりをしてもコンセプトを引き継ぎ進化し続けるオーケストラはめったにない。
「月曜日の夜のビレッジバンガードに皆で集まる」という基本コンセプトはいつまでも続いて欲しいものだ。

1. Paper Spoons              Jim McNeely 9:03
2. 5 1/2 Weeks               Ted Nash 7:07
3. A Nightingale Sang in Berkeley Squar  Eric Maschwitz / Manning Sherwin 8:08
4. Nocturne                Kenny Werner 8:21
5. ABC Blues               Bob Brookmeyer 14:01
6. Bob Brookmeyer             Kenny Werner 10:50
7. To You                 Thad Jones 4:51

The Mel Lewis Jazz Orchestra

Earl Gardner  (tp,flh)
Joe Mosello  (tp,flh)
Jim Powell  (tp.flh)
Glen Drewes  (tp,flh)
John Mosca  (tb)
Ed Neumeister  (tb)
Earl McIntyre  (btb)
Douglas Purviance  (btb)
Dick Oatts  (as,ss,fl)
Ted Nash  (as,ss,fl)
Ralph Lalama  (ts,cl)
Joe Lovano  (ts.ss.cl)
Gary Smulyan  (bs)
Stephanie Fauber  (french horn)
Kenny Werner  (p)
Dennis Irwin  (b)
Dennis Mackrel  (ds)

Produced by John Snyder
Engineer : Joe Lopes & Jay Newland

Recorded on September 10, 11 &12,1990 at BGM Studios, New York


To You: A Tribute to Mel Lewis
Mel The Lewis Jazz Orchestra
Music Masters Jazz
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボブ・ブルックマイヤーには珍しいワンホーンアルバムのカップリング・・・

2014-03-31 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
The Blues Hot and Cool + 7X Wilder / Bob Brookmeyer

ボブ・ブルックマイヤーが亡くなって3年経つ。晩年はアレンジャーとして活躍したがプレーヤーとしても息の長い活躍をした。レギュラーグループだとジェリーマリガンやクラークテリーとのコンビが有名だ。スタンゲッツともよくコンビを組んだが、誰と組んでも相手のプレーを引き立たせる名パートナーぶりを発揮する。

何の世界でも名脇役がいる。このブルックマイヤーも女房役として主役の引き立て役が似合うタイプだ。彼の楽器はトロンボーンでもバルブトロンボーン。ディキシー時代からトロンボーンは主役のトランペットの引き立て役であったが、バルブトロンボーン故の細かいフレーズワークは超低音のトランペットのよう。こんな絡み方を得意としていた。よくうたうプレーぶりだが、出身地のカンサスシティージャズのDNAを身に付けていたのかもしれない。

そのブルックマイヤーだが、ペッパーアダムスやズートシムスと同様、彼も50年代末から60年代初頭にかけて、821 6TH Ave.のロフトの常連だった。ニューヨークではスタジオワークの傍ら昔の相棒であったジェリーマリガンのコンサートバンドへ参加していたが、このロフトで繰り広げたコラボプレーを再現したようなアルバムを何枚か残している。

一番有名なのはビルエバンスとのピアノのコラボ”Ivory Hunter”だが、同じ時期にブルックマイヤーとしては珍しいワンホーンアルバムが2枚ある。その2枚がカップリングされて、CD化されているのがこのアルバム。どちらも、脇役から主役への変身が試されたアルバムとなった。



元のアルバムの一枚は”The Blues-Hot-And-Cool”.
ピアノのジミー・ロウルズが加わったトリオ。ベースはバディー・クラーク、ドラムはメル・ルイスだ。昔からのプレー仲間、主役ブルックマイヤーを引き立たせるバックとしては適任だ。

メル・ルイスも丁度ニューヨークに出てきたばかり。ブルックマイヤーと共にジェリーマリガンのコンサートビッグバンドに加わっていたが、メル・ルイスとブルックマイヤーのコンビはサドメルの立ち上げ時、さらにはサドジョーンズが去った後のメルルイスオーケストラでも深い関係がある。2人が最初にプレーをしたのは1952年、ブルックマイヤーがプロ活動を始めた頃すでに一緒にプレーをしている。ブルックマイヤーにとっては長い付き合いとなった一人だ。

ライナーノートに、発売当時のダウンビート評が載っている。「ブルックマイヤーのプレーはこれまでのアルバムではどれも”too lazy”、まるでベットで寝転がっているような感じであったが・・・」、「ところがこのアルバムは違う、エンジン全開でジャズの音節を取り込んでいる」と。
スタジオワークで色々なタイプの音楽に日々接している事、そしてLoftでのプレーの成果で演奏の幅が広がったのかもしれない。

ブルックマイヤーの好プレーを引き出した選曲もツボにはまっている。オリジナルのブルースの2曲が実にいい感じだ。他のポピュラーな曲の選曲もブルックマイヤーのメロディアスなプレーにはジャストフィット。



もう一枚は、”7x Wilder”。
こちらはギターのジムホールとのコラボになるが、ブルックマイヤーはトロンボーンだけでなくこのアルバムではピアノも弾いている。ビルエバンスとのアルバムも当初はトロンボーンで共演する予定だったのが急遽ピアノ同士のコラボになったといわれる。ブルックマイヤーは、デビューしてすぐのビッグバンド時代はピアニストとして参加したことも多かったようなので、ピアニストとしても一人前だ。

ジムホールとはジミージュフリーのグループで一緒だったが、Loftでのセッションでも良く一緒にプレーをしていたようだ。ベースはビル・クロウ、ドラムはこちらもメル・ルイス。このメンバーも、ジェリーマリガンのコンサートビッグバンドを含め良く一緒にプレーをしていた仲なので気心は通じ合った同士。
こちらのアルバムは、素材としてはAlec Wilderの作品集となっているが、ジムホールとのコラボプレーが聴きどころ。

この後、マリガンのバンドで一緒だったクラークテリーとレギュラーグループを組むことになったが、チームプレーが多かった中で、ブルックマイヤーの主役ぶりをたっぷり味わえる2枚のアルバムだ。

1. On the Sunny Side of the Street   Dorothy Fields / Jimmy McHugh 6:04
2. Stoppin' at the Savoy        Bob Brookmeyer 5:54
3. Languid Blues           Bob Brookmeyer 7:21
4. I Got Rhythm           George Gershwin / Ira Gershwin 4:53
5. Smoke Gets in Your Eyes      Otto Harbach / Jerome Kern 5:48
6. Hot and Cold Blues         Bob Brookmeyer 7:57
7. While We're Young         Bill Engvick / Morty Palitz / Alec Wilder 6:09
8. That's the Way It Goes       Sidney Robin / Alec Wilder 4:42
9. The Wrong Blue           Bill Engvick / Alec Wilder 4:32
10. It's so Peaceful in the Country    Alec Wilder 4:04
11. Blues for Alec           Bob Brookmeyer 6:07
12. I'll Be Around           Alec Wilder 4:28
13. Who Can I Turn To?        Bill Engvick / Alec Wilder 4:26

1-6 The Blues Hot and Cool
Bob Brookmeyer (vtb)
Jimmy Rowles (p)
Buddy Clark (b)
Mel Lewis (ds)
Recorded in June 1960, New York

7-13 7 X Wilder
Bob Brookmeyer (vtb,p)
JimHall (g)
Bill Crow (b)
Mel Lewis (ds)

Recorded on June 29, New York

THE BLUES HOT AND COLD + 7 X WILDER
Bob Brookmeyer
LONEHILLJAZZ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

821 Sixth Avenue, New York はジャムセッション用のロフトであった

2014-02-10 | PEPPER ADAMS
David X. Young Jazz Loft

ジャズのメッカニューヨークでは、昔から次世代を背負う若いミュージシャン達は、夜な夜な集まってはジャムセッションを行う切磋琢磨し合っていた。よくアフターアワーズセッションといわれるものだ。出演しているクラブで営業終了後ということもあったと思う。またミュージシャンにとっては仕事の休みが多い月曜日の夜も集まりやすかった。さらに、クラブが終わった後午前3時を過ぎて朝までひたすら演奏し続けるために集まる場所もあった。

その一つが、この821番地のビルの4階のLoftであった。

このLoftはEugin Smithというライフのカメラマンが借りたもの。普通であれば、その事実が単に記録に残っているだけであるのだが。
例えば、ペッパーアダムスの活動記録を見ると、

Dec 24: New York: Jam session at Gene Smith's Sixth Avenue loft.
Dec 31: New York: New Year's Eve jam session at Gene Smith's Sixth Avenue loft, with Lee Morgan, Zoot Sims, Sam Parkins, Jimmy Raney, Sonny Clark, Doug Watkins, Louis Hayes.

とある。
クリスマスイブの夜、そして大晦日のセッションにアダムスは参加していたということだが、その内容はこれだけでは分からない。

ところが、カメラマンであったスミスはそこに集まったミュージシャンだけでなく、その4階の窓から外の街の様子も写真に収めていた。この建物にまつわるドキュメントとしての写真だ。
1957年から1965年の長期間に渡ってその数は4万枚にも及ぶ。その一部が写真集として発売されているが、さすがにカメラマンが撮った写真である。その一枚一枚が当時のLoftの様子、そして窓の外の人々の日々の生活の一瞬をありのままに残していて時代を直接に訴えてくる。



さらにスミスの素晴らしいのは当時まだ世に出たばかりのテープレコーダーを用意して、その場を簡易のスタジオにして演奏の様子を残したこと。レコーディングを目的としたものではないので、ミュージシャン同士の熱いディスカッションや時にはラジオ放送や電話の話声、そして外のサイレンなどの生活のノイズまでがそこには残されている。その数は何とオープンリール1740本4000時間に及ぶ。
テープのケースにメモられたミュージシャンの数だけで139人、その後のインタビューでその全貌が明らかになると、このロフトを訪れたミュージシャンは300人を超えるとも言われている。そして、単にジャムセッションだけでなく、あのモンクのタウンホールコンサートのリハーサルなどもここで行われていた。



スミスの死後それらはJAZZ Loft Projectとしてアーカイブ化されているようなので、いずれ全貌が明らかになるであろう。このプロジェクトに関してのラジオ番組コンテンツも公開されているので、興味のある方はこちらをどうぞ。

Jazz Loft Project


さらに、アダムスの記録に残る1959年12月24日のセッションは、Loftでのミュージシャンの姿を絵として残した画家David X Youngの作品とのコラボという形でCDとなって世に出ている。
恋人たちが愛を語り合っているクリスマスイブの夜、次世代のジャズ作りに燃えるアダムス達が熱くセッションを繰り広げてい入る様子を垣間見ることができるだけでも、このコンテンツは意味があるものだと思う。

アダムスにとっても、このジャムセッションへの参加で1959年の活動を終える。
ここでは、ズートシムとの気楽なセッション。

アダムスの本の中でもこのクリスマスイブのロフトで出来事について語られている。
この日、ピアノのモーズアリソンは、用があって早めに帰らねばならなかった。
皆に残るように懇願さえたが、I'll Remenber Aprilの時に帰ってしまった。ズートとジムホールがデュオでスタートし、皆の演奏になった時誰かがピアノを弾いているのが分かった。
演奏を終えると、そのピアノを弾いていたのはペッパーアダムスであった。
リーダー格のズートが、ペッパー、やるじゃないの。どこで習ったの?それじゃー、続きを・・・といいうと、
ペッパーは全部で3曲しかできないんだと。
それじゃー、残りをやろうか。

ピアノがいなくなってからの出来事だそうだ。そんなやりとりをしながら和気藹藹の雰囲気のLoftでのセッションであった。


翌1960年はいよいよ、ドナルドバードとのコンビが本格的に活動をスタートする。
次回以降順次追ってみることにしよう。

1. It’s Don’t Mean A Thing If It Ain’t Get That Swing
(12/15/1958)
 Zoot Sims (ts),Don Ellis (tp),Hall Overton (p), Bill Crow (b)、unknown (ds)

2. Spuds
(04/1965)
Bob Brookmeter (vtb), Dave Mckenna (p), Jimmy Raney (g), Jim Hall (g)
Bill Crow (b), unknown (ds)

3. Dark Cloud
(04/1965)
Zoot Sims (ts), Dave Mckenna (p), Steve Swallow (b), unknown (ds)

4. This Can’t Be Love
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Pepper Adams (bs), Mose Allison (p), Bill Takas (b), Jerry Segal (ds)

5. Zoot and Drums
(12/24/1959)
Zoot Sims ts), Jerry Segal (ds)

6. Stomp’n At the Savoy
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Pepper Adams (bs), Mose Allison (p), Bill Takas (b), Jerry Segal (ds)

7. Dog Story
Zoot Sims & Bill Crow Telling the Story of Zoot’s Dog Hank


CD2
1. There Will Never Be Another You
(1957)
Bob Brookmeyer (vtb), Hall Overtone (p), Jimmy Raney (g), Jim Hall (g), Bill Crow (b), Dick Scott (ds)

2. Wildwood
(1957)
Bob Brookmeyer (vtb), Hall Overtone (p), Jimmy Raney (g), Jim Hall (g), Bill Crow (b), Dick Scott (ds)

3. 821 Blues
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Bob Brookmeyer (vtb), Bill Takas (b), Jerry Segal (ds)

4. When The Sun Comes Out
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Dave McKenna (p), ,Bill Takas (b), Jerry Segal (ds)

5. Groovin’ High
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Pepper Adams (bs), Jerry Lloyd (tp), Mose Allison (p), Bill Talas (b), Jerry Segal (ds)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

持つべき物は友とよく言うが・・・

2013-10-21 | MY FAVORITE ALBUM

Thank You, Gerry / Gerry Mulligan All Star Tribute Band

人生を終えるとき誰に看取ってもらいたいか?
愛する家族か、苦楽を共にした仕事仲間か、あるいは一緒に遊び呆けた友人達か、・・・・それは人さまざまであろう。亡くなった直後は、誰もが故人の生前の思い出が走馬灯の様に駆け巡るが、月日が経つにつれ徐々にその思い出も薄れてくる。たとえ肉親であっても。

しかし、ミュージシャンの場合は録音を残すことで故人の演奏は時代を経ても代々聴き継がれていく。特にジャズの世界は過去の名演、名盤は永遠の宝物だ。今この時間に、世界中でマイルスやコルトレーンを聴いている人は何人もいるだろう。
そして故人と一緒に演奏した経験を持つミュージシャンは、故人との共演の思い出はこれも一生の宝物だろう。さらに、その共演から多少なりとも影響を受けた何かが今の自分の演奏に引き継がれていればなおさらだ。

故人をしのんで、仲間達や後を継ぐ者達によってTributeアルバムが良く制作される。
しかし、多くは亡くなってからしばらく月日が経ってから。特に本当のJazz Giantsになると、様々なミュージシャンによって、中には何十年たってから制作されることも数多い。

マリガンがこの世を去ったのは、1996年1月、このアルバムは亡くなった翌年、一周忌を終えた後に作られた。メンバーはマリガンと一緒に仕事(プレー)をした仲間達。
亡くなる直前まで一緒にバックに参加していたメンバーを始めとして、53年に一緒にプレーをしたリーコニッツ、ラストアルバムに参加しているランディー・ブレッカーなど多士済々だ。中でもカルテットでの共演も長く、その後も色々関係が深いボブ・ブルックマイヤーが参加しているのが嬉しい。

曲は、マリガンのオリジナルが大半だが、中に3曲だけがスタンダード曲が。いずれもマリガンの好きだった曲なのかもしれない。

演奏は、マリガンのバリトンは聞こえないが、マリガンサウンドそのもの。アレンジは、今回の纏め役、ピアノのローゼンタールが行っているが、マリガンのDNAはきちんと引き継いでいる。
それを演奏するメンバーも、亡きマリガンを忍びながらのプレーであったと思う、自然とマリガンの世界に取り込まれていく。
蛇足ながら、2インチのアナログテープで録られたという録音が実にいい音だ。マリガンサウンドはアナログが似合うのかもしれない。

マリガンも、昔の仲間に改めて弔ってもらい、無事自分の音楽が引き継がれているのを確認して、これで無事成仏できたに違いない。


1. Bark for Barksdale         Gerry Mulligan 5:09
2. Theme for Jobim          Gerry Mulligan 6:06
3. Elevation              Gerry Mulligan 4:10
4, My Funny Valentine Lorenz Hart /  Richard Rodgers 8:37
5. Rocker                Gerry Mulligan 5:30
6. Walking Shoes          Gerry Mulligan 7:29
7. Moonlight in Vermon John Blackburn / Karl Suessdorf 5:16
8. Line for Lyons            Gerry Mulligan 5:58
9. Festive Minor             Gerry Mulligan 6:39
10. Bernie's Tune Jerry Leiber / Bernard Miller / Mike Stoller 5:57
11. Curtains                 Gerry Mulligan 7:28

Gerry Mulligan All-Star Tribute Band
Lee Konitz (tp)
Randy Brecker (flh,tp)
Bob Brookmeyer (vtb)
Ted Rosenthal (p,arr.)
Dean Johnson (b)
Ron Vincent (ds)

Engineer : Paul Wickliffe
Music Direction :Ted Rosenthal
Produced by Bob Karcy
Recorded on August 28&29,1997, at Avatar Studio,New York


Thank You Gerry! Our Tribute to Gerry Mulligan
クリエーター情報なし
Arkadia Jazz
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「東海岸の白人ジャズ」といえば・・・・

2012-06-06 | MY FAVORITE ALBUM
The Al Cohn Quintet

ペッパーアダムスがニューヨークを離れスタンケントンオーケストラに加わり、引き続きロスで活動をしていた’56年~’57年にかけて、ジャズ界は活況を呈していた。ハードバップが台頭し、ウェストコーストジャズも興隆を極めていたが、モダンビッグバンドが誕生し、古いジャズも復活していた時代だ。
ジャズが一番元気だった時代だが、日本では「3丁目の夕日」の頃、戦後の復興、そして技術革新によって世の中全体が高度成長の波に乗り始めた頃で、今と違って「勢い」があった時代だ。
この時代のジャズ、大きく分ければ黒人中心のイーストコーストジャズ、そして白人中心のウェストコーストジャズに大別されるが、中身を紐解くとそう簡単には割り切れない演奏もたくさんある。

アルコーンというテナー奏者がいる。白人ではあるがずっとイーストコースとで活躍をしていた。アレンジャーとしての活動だけでなく再びテナー奏者としての活動に重きを置いていた’56年、コルトレーンとのセッションにも参加していたし、メイナードファーガソンのドリームバンドにも参加していた。クールなトーンではあるがいわゆるウェストコーストジャズとは一味違った熱っぽい演奏をしている。
そのアルコーンがボブブルックマイヤーと組んだアルバムがある。ブルックマイヤーといえば、スタンゲッツやジェリーマリガンとのコンビが有名。誰と組んでも相手との絡み方が実に絶妙。バルブトロンボーンという楽器のせいもあるが。このブルックマイヤーの演奏もいわゆるウェストコーストジャズとは少し軸足を異にしていた。

昔、雑誌で色々ジャズの論評が盛んであった頃、「東海岸の白人ジャズ」というジャンル分けがされていた記憶がある。ペッパーアダムスもその一人かもしれないが、このアルコーンやブルックマイヤーもその代表格だろう。
2人ともアレンジを得意としていたので、クインテットの演奏ではあるがアンサンブルワークはきちんとアレンジが施されているが、2人の軽妙なプレーが実に心地よい。
スイングとモダンの間を「中間派」とも言っていたが、彼らの演奏は、さらにイーストの脂っこさとウェストの淡白さのいいところ取りをした「新中間派」ともいえるものだ。
自分の好みを消去法で消していくと、コンコルドの一連のアルバムもそうだが、この辺りの演奏に集約されるのかもしれない。

ピアノのモーズアリソンはニューヨークに出てきてすぐの演奏、その後アル&ズートにも参加するがこれが初レコーディングかも。ドラムのニックスタビュラスもその後フィルウッズのアルバムに登場するが小気味よい感じの良いドラムだ。
ウェストに対してイーストコーストジャズと一括りに語られることが多いが、「東海岸の白人ジャズ」にもいいアルバムが多い。

1. The Lady Is a Tramp   Lorenz Hart / Richard Rodgers
2. Good Spirits       Bob Brookmeyer
3. A Blues Serenade    Vincent Grande / Jimmy Lytell / Frank Signorelli
4. Lazy Man Stomp     Bob Brookmeyer
5. Ill Wind         Harold Arlen / Ted Koehler
6. Chlo-E         Neil Moret (Chas. N. Daniels) / Gus Kahn
7. S-H-I-N-E       Lew Brown / Ford Dabney / Cecil Mack
8. Back to Back      Al Cohn
9. So Far So Good     Al Cohn
10. Winter         Al Cohn
11. I Should Care     Sammy Cahn / Axel Stordahl / Paul Weston
12. Bunny Hunch      Bob Brookmeyer

Al Cohn (ts)
Bob Brookmeyer (vtb)
Mose Allison (p)
Teddy Kotick (b)
Nick Stabulas (ds)

Recorded in 1956

Al Cohn Quintet Featuring Bob Brookmeyer (Reis)
Al Cohn
Verve
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰もが自分の夢のバンドを思い描くが、実現できるのは・・・

2012-05-18 | MY FAVORITE ALBUM
Birdland Dream Band conducted by Maynard Ferguson

ある程度のジャズファンになると、自分のお気に入りのメンバーで、お気に入りの演奏をしてもらうDream Bandを思い浮かべるようになる。一生の内に一度でもいいので目の前でそのバンドに演奏してもらう機会を実現したいものだが、普通のジャズファンにとっては単なる夢で終わってしまうものだ。
ところが世の中にはそれを実現できる幸せな人もいる。
ニューヨークの有名なジャズクラブのバードランドのマネージメントをしていたジャックルイスと、VIKレーベルのモーリスレビーが共同でドリームバンドプロジェクトを企画した。2人にとっては自分のためだけでなく、ファンのために夢を実現するのも仕事の内だった。ルイスにとってはクラブで今までに無い新しい出し物が欲しかったし、レビーはパワフルでエキサイティングなレコーディングをしたかったので、2人でこれを実現するためにドリームバンドの企画をした次第。1956年の秋のことであった。

リーダー格には、ケントンオーケストラを辞めてロスでスタジオワークをしていた若手のメイナードファーガソンを据えた。ハイノートを売りにめきめきと頭角を現してきていたが、その時はまだまだ若手の成長株。そしてそのハイノートトランペットを生かすためのビッグバンドを編成することになった。通常のビッグバンド編成よりも少ない14人編成だが、ビッグなサウンドはフルバンドに負けないパワフルな編成になった。

バードランドがデビューの晴れ舞台になるので集められたメンバーはニューヨーク在住の腕利きメンバーが勢ぞろいする。長期間のツアーバンドとなると一流どころのメンバーは参加に躊躇するが、数週間のクラブ出演となるとその仕事に気合を入れた参加が可能だった。ビッグバンドとなるとアレンジが不可欠だが、東西それぞれで活躍をしていた若手アレンジャーの溌剌とした曲とアレンジも集められた。
これで、場所も曲もメンバーも揃って、プロジェクトの実行は56年9月となった。

バードランドへの出演と合わせて、別途にその記念すべきドリームバンドのスタジオ録音も行われた。何回かのセッションに分かれているが、中にはバードランドでの演奏を終えて、それからスタジオ入りし明け方の4時過ぎから録音が行われたこともあったようだ。
限られた期間編成されたドリームバンドであったが、結果は大成功であった。レコーディングのためだけのオールスターセッションや一日限りのステージでのジャムセッションでは、その演奏はその時限りで淡雪のように消えてしまう。ところが、連日のライブ出演とスタジオでのレコーディングのためのTakeを重ねることによってドリームバンドはよりパワフルに、リアルなバンドに育っていった。

その結果を、一番身をもって体験したのはリーダー格のメイナードファーガソンであったろう。「夢よもう一度」の想いから、その年の暮れから年明けにかけて、今度は西海岸で同じバンドを編成しこのドリームバンドの素晴らしさを披露した。その後、再びニューヨークに戻ってこのバンドを確固たる位置づけにした。ファーガソンにとっては、このオーケストラが正夢になった。

以降、メイナードファーガソンは亡くなるまでの間、ハイノートとビッグバンドを売りにして活躍した。ケントンやハーマンオーケストラ出身の有名プレーヤーは多いが、このファーガソンのビッグバンド出身者も多い。
スライドハンプトン、ドンエリス、ジョーザビヌル、ドンセベスキー、ドンメンザ・・・・・などなど、メンバーの誰もがこのオーケストラに参加した時、リーダーのファーガソンがバンドを立ち上げたときの想いを受け継ぎ、自分のドリームバンドを思い浮かべながら、それぞれの拘りを持って自分の夢を実現していった様に思う。

1. The Wailing Boat        Cohn 3:08
2. Somebody Wants Me Down There  Holman 4:03
3. Maynard the Fox         Cohn 2:48
4. Blue Birdland          Giuffre 4:11
5. Great Guns           Wilkins 3:14
6. Lady Bug            Cohn 3:16
7. More West            Paich 2:33
8. Still Water Stomp        Brookmeyer 3:49
9. That Jones Boy         Albam 2:56
10. Rosebud            Cohn 2:35
11. Buton Nose           Cohn 2:39
12. Little Girl Kimbi        Mandel 3:54

Maynard Ferguson (Leader, tp)
Nick Travis (tp)
Al DeRisi (tp)
Joe Ferrante (tp)
Stan Fishelson (tp)
Ernie Royal (tp)
Eddie Bert (tb)
Jimmy Cleveland (tb)
Sonny Russo (tb)
Budd Johnson (ts)
Frank Socolow (ts)
Al Cohn (ts,arr)
Herb Geller (as)
Ernie Wilkins (bs,arr)
Hank Jones (p)
Milt Hinton (b)
Jimmy Campbell (ds)

Manny Albam Arranger, Composer
Jimmy Giuffre Arranger, Composer
Bob Brookmeyer Arranger, Composer
Bill Holman Arranger, Composer
Willie Maiden Arranger, Composer
Johnny Mandel Arranger, Composer
Marty Paich Arranger, Composer

Produced by Jack Lewis
Ray Hall : Engineer

Recorded at Webster Hall in New York, September 1956

Birdland Dream Band
Maynard Furguson
RCA Victor Europe
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビッグバンド育ちは、いつかは自分のオーケストラを持つことを夢見て・・・・

2012-02-29 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Dream Band / Terry Gibbs

ウディーハーマンやスタンケントンオーケストラ出身のミュ-ジシャンは多い。そして卒業後はそれぞれの道で活躍はしていても、若き日の思い出であるビッグバンドでの演奏を忘れられず、いつかは自分のバンドを持ちたいという想いで日々演奏をしていたことであろう。

ハーマンオーケストラ出身のテリーギブスもその一人だった。
ハーマンやベニーグッドマンのオーケストラを渡り歩いていたが、’57年にはロスに腰を落ち着けることになる。丁度、メルルイスやペッパーアダムスがケントンオーケストラを辞めて、ロスに居を構えた頃と同じ時期だ。スタジオワークを続けながら、ギブスは折を見てはビッグバンドを編成していた。そして、興隆を極めたウェストコーストジャズも、そのブームを過ぎた1959年に“Dream Band”と銘打ったオーケストラを立ち上げた。分かり易いネーミングだ。今回はギブスが長年夢見たオーケストラをやっと実現できたのかもしれない。

メンバーは、ウェストコーストの腕達者達、コンテカンドリもトランペットセクションに座っている。ドラムは西海岸で八面六臂の活躍をしていたメルルイス。この年も、秋のモンタレーではハーマンが編成したオールスターバンドに加わり大活躍をしていたが、ギブスのドリームバンドで演奏しながら、もしかしたら自分のドリームバンドを夢見ていたかもしれない。住み慣れた西海岸を離れ、ニューヨークに移るのは翌年1960年だった。

アレンジャーも、ビルホルマン、アルコーン、ボブブルックマイヤー、マティーペイチ、そしてマニーアルバムと錚々たる面子だ。曲もスイング時代からの有名曲、ジャズのスタンダードが中心。
このバンドのコンセプトはドリームバンドなので小難しいことは無しで、徹底的にノリまくろうということかもしれない。しっとりと聴かせるバラードプレーも無い。「スイングするバンドはこれだ」というアピールが聞こえる。ライオネルハンプトンに較べるとヴァイブの演奏は多少クールだが、オーケストラを熱っぽく操るのはハンプトンより上手かもしれない。

場所は、ハリウッドのThe Sevilleというクラブのライブ。多分テリーギブス自身のものだと思うが、合いの手や掛け声が否が応でもプレーを盛り上がらせる。聴衆の反応を含めてライブならではの雰囲気が、ドリームバンドのシチュエーションとしては最高の場を作り出している。

ところが、このせっかくの演奏がアルバムとなって世に出たのは大分経ってから。20年以上経て新たに吹き込んだアルバムと合わせるようにリリースされた。どうもギブスが録音したテープを持っていたようだが、それまで世に出すきっかけが無かったようだ。そういえばルイベルソンのアルバムも、録音されて彼が持っていたものが後になって本格的にリリースされるものが多い。リーダーとしては、せっかく編成したオーケストラの演奏を何としても残しておきたいという想いだったと思う。このアルバムも、もし録音が残されていなければ、せっかくの「ドリームバンド」の姿を文字で読むだけで耳にすることが出来なかった。ジャズの演奏は、同じ編成でも日によって違うし、特にBig Bandは同じメンバーを維持することも難しい。録音が残っていてよかった。

今、東京でも毎日のようにビッグバンドの演奏がどこかで行われている。その中から20年後に録音(今の時代は録画かもしれない)が発掘され、素晴らしい演奏が陽の目を見ることを期待しよう。






1. Begin the Beguine      Porter 2:28
2. Don't Be That Way      Goodman, Parish, Sampson 6:26
3. Cotton Tail         Ellington 3:43
4. Stardust           Carmichael, Parish 3:12
5. Opus One           Garris, Oliver 6:00
6. After You've Gone      Creamer, Layton 3:42
7. You Go to My Head      Coots, Gillespie 5:17
8. Let's Dance         Baldridge, Bonime, Stone 3:25
9. The Subtle Sermon      Johnson 8:24
10. Kissin' Bug         Eisenhower, Lampert, Linsley, Vignals 4:45
11. Jumpin' at the Woodside   Basie, Hendricks 4:30


Terry Gibbs   (vib)
Conte Candoli  (tp)
Al Porcino   (tp)
Ray Triscari  (tp)
Stu Williamson (tp)
Bob Enevoldsen (tb)
Vern Friley   (tb)
Joe Cadena   (tb)
Bill Holman   (ts,arr.)
Med Flory    (ts)
Charlie Kennedy (as)
Joe Maini    (as)
Jack Schwartz  (bs)
Pete Jolly    (p)
Max Bennett   (b)
Mel Lewis    (ds)

Bob Brookmeyer :Arranger
Al Cohn :Arranger
Manny Albam :Arranger
Marty Paich :Arranger

Produced by Richard Bock & Terry Gibbs
Wally Heider :Engineer

Recorded live at the Seville. Hollywood on March 17-19.1959

Dream Band
Terry Gibbs
Contemporary
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このアルバムのミステリー・・・というか詐欺じゃないの?

2012-02-12 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Village Vanguard live session 3 / Thad Jones & Mel Lewis big band

サドメルの良さはライブで一層引き立つというのは、そのライブを実際に聴いた人の大方の感想だ。それも、大きなホールよりも目と鼻の先で聴ける小さなクラブでの演奏で。その意味では、サドメルの発祥の場であるビレッジバンガードはサドメルを聴く場としては最高の舞台である。ファーストレコーディングは、まさにこのビレッジバンガードへの初登場のライブであったが、その後も2枚のアルバムを通じてサド・メルのライブの良さが分かった。メルルイスオーケストラ、そしてVJOになってもその歴史は引き継がれていて、ビレッジバンガードでのライブアルバムは多い。

‘90年代になって”VILLAGE VANGUARD 3”とタイトルされた、このサド・メルのアルバムがリリースされた。録音日をディスコグラフィーで見ると70年11月。70年代に入るとヨーロッパツアーの各地でのライブアルバムが出ているが、丁度その頃のビレッジバンガードでのライブというのは今までリリースされていなかった。期待をして購入したのだが。

まずは、聴いてみてあまり最初のライブアルバムと感じが何も変わらない。ライブだと日によってもプレー内容が変るのに、3年経っても変らないとは・・・そんなオーケストラではなかったのではと、少し違和感を覚えたのを覚えている。そして、聴き返す事も無くこのアルバムはそのままお蔵入りをしていた。

今回棚卸しをしていることもあって、このアルバムを再び手にして色々調べてみた。
ライナーノーツには何の記述も無い。プロデューサーのソニーレスターの一言のみ。あとは曲名とパーソネルだけだ。曲も同じデビュー直後のレパートリーと同じ。70年というと、2枚目のスタジオ録音の”Central Park North”がすでに発売されていたので、当然このアルバムからの曲がライブにあっても不思議ではないのだが。

さらに、メンバーもよくよく見ると67年当時のメンバーだ。ボブブルックマイヤーの名前もある。ブルックマイヤーは68年に退団して西海岸へ移っているので、70年の録音で彼の名前がクレジットされているのが決定的におかしい。トランペットセクションを見ると、普段はサドジョーンズ以外に4人のトランペットがいるがクレジットには3人のみ。これもおかしい。’67年のライブ録音と同じとなると、トランペットセクションにはこの3人に、ビルベイリーと、マービンスタムが加わった5本編成になっている。

という訳で、このアルバムが’70年11月15-17日というのは誤りで、多分メンバーを見ると67年の最初のライブアルバム‘67年4月27-28日と同じではないだろうか。この週は毎週月曜日の定期出演とは別に24日~29日まで連続出演しているので、他の日のセッションの別テイクとも思ったが、さらに不思議なことがある。ジャケットにはSecond Raceの演奏時間が14:45とあるが、実際には10:32しかないいい加減さ。他の曲も前のアルバムと較べて時間の違いはサドジョーンズの喋りの時間の長短だけ。曲の中身も実はLIVE at VillageVanguardとひょっとしたら同じかもしれない。どうりでソロのフレーズも似すぎていると思った。

そもそもこのアルバムは、プロデューサーのソニーレスターが後になって、自分がプロデュースしたアルバムを再発した時に、ビレッジバンガードでのライブを集めた3枚組のアルバムを作った。それをバラしてNo.3をサドメルのアルバムにしたもの。サドメルのライブのNo.3という訳ではない様だ。サドメルファンとしてはタイトルを見れば当然サドメルの3枚目と誤解してしまう。ちゃんとしたディスコグラフィーにも、'70年録音の別アルバムとして紹介されているが、果たして真実の程は・・・?

いずれにしても、最初のLive at Village Vanguardを持っていれば、手にする必要の無いアルバムなので参考まで。棚卸しをしてみて聴いてあまり感動しなかった謎が解けた。
最近は再発物に未発表曲をボーナストラックで入れているのが多く食指が動くが、中身を吟味するのに一苦労する。

1. Don't Git Sassy       8:40
2. Little Pixie         10:35
3. The Second Race      14:45
4. Willow Tree         5:00
5. Ah' That's Freedom     9:23
6. Quietude          5:00
7. Bachafillen         8:50

Thad Jones (flh)
Jerome Richardson (as)
Jerry Dodgion (as)
Eddie Daniels (ts)
Joe Farrell (ts)
Pepper Adams (bs)
Snooky Young (tp)
Jimmy Nottingham (tp)
Richard Williams (tp)
Bob Brookmeyer (vtb)
Garnett Brown (tb)
Tom Mcintosh (tb)
Cliff Heather (btb)
Roland Hanna (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (ds)

Recorded live at The Viillaeg Vanguard on November.15-17, 1970 (とはなっているが?)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルックマイヤーにとってはこのアルバムへの参加も将来に向けての布石だった・・・・

2012-02-09 | MY FAVORITE ALBUM
Gerry Mulligan The Concert Jazz Band ‘63


ボブブルックマイヤーが長年付き合っていたのはスタンゲッツだろう、では一番濃く付き合った相手はというと、それはジェリーマリガンかもしれない。マリガンとブルックマイヤーのピアノレスカルテットは時代を象徴するグループの一つだった。そして、マリガンは60年の3月に前の年から準備を進めていたConcert Jazz Bandを立ち上げた。セプテットなどはあったが、通常のビッグバンド編成に近い大きな編成のレギュラーバンドを組んだのはこれが最初であったろう。ニューヨークで旗揚げしたバンドは、その名の通りレコーディングのためだけの編成ではなくクラブへ出演もし、その年のニューポートジャズフェスティバルにも参加して、各地でまさにその名の通り“コンサート”を行った。

もちろんブルックマイヤーもこのメンバーの一員として最初から参加していたが、ブルックマイヤーはこのバンドでもう一つ重要な役割を果たした。アレンジャーとしてのブルックマイヤーだ。ジェリーマリガンも作編曲は得意。したがって彼ら2人の参加したグループは小編成であっても、きっちり計算された曲仕立てがいつもなされていた。
今回は大きな編成だったので、それぞれのアレンジャーとしての腕の見せ所も今まで以上に広がった。そしてこのコンサートバンドは最初から2人のアレンジだけでなく、最初メンバーとて参加していたビルホルマンや、ジョニーマンデル、ジョージラッセルなどのアレンジなども使っていたが、いわゆるベイシースタイルのビッグバンドとは一味も二味も違うサウンドであった。

それから、約2年経った1962年の12月にこのアルバムは録音された。2年弱の活動であったが、流石にツアーを渡り歩くだけでは経済的にも厳しくコンサートバンドとしての活動は62年には縮小してしまっていた。この録音の前もマリガンはポールデスモンドやブルックマイヤーとのコンビでコンボの演奏は各地で行っていたが、このコンサートバンドの面々が集るのは久々であった。

バンドの主要メンバーであるクラークテリーやジーンクイルは参加しているが、ドラムのメルルイスはこの録音には参加していない。そして、このアルバムにアレンジャーとして新たに加わったのがゲイリーマクファーランドである。62年はアレンジャーとして多くのアルバムにも参加し、大きく飛躍をした年だ。マリガン、ブルックマイヤーのアレンジに加えて、このマクファーランドのアレンジもこのバンドのコンセプトにはピッタリだし、よりモダンになっている。

ブルックマイヤーは、自分の曲でトローンボーンではなく、ピアノを弾いている。エバンスとピアノの共演アルバムを作っている位なので、ブルックマイヤーのピアノのプレーは決して余興ではなく彼の音楽の表現の手段のひとつであろう、このアルバムのピアノのプレーもシンプルだが実に印象的だ。

そして、このオーケストラもこれからという時に、第一期のマリガンのビッグバンドはこの録音を最後にしばらく活動を休止してしまう。ブルックマイヤーが自分のアレンジを持って盟友メルルイスと供にサドメルのオーケストラに参加したのはそれから3年の後。このマリガンのビッグバンドで色々試した事を、再びチャレンジする場をサドメルのオーケストラに求めたのだと思う。

1. Little Rock Getaway
2. Ballad
3. Big City Life
4. Big City Blues
5. My Kinda Love
6. Pretty Little Gypsy
7. Bridgehampton South
8. Bridgehampton Strut


Gerry Mulligan    (bs,cl,p)
Clark Terry      (tp,fhl)
Nick Travis      (tp)
Doc Severinsen   (tp)
Don Ferrara     (tp)
Bob Brookmeyer  (vtb,p)
Willie Dennis     (tb)
Tony Studd      (btb)
Gene Quill      (as,cl)
Eddie Caine     (as,fl)
Jim Reider      (ts)
Gene Allen      (bs)
Jim Hall        (g)
Bill Crow       (b)
Gus Johnson     (ds)

Arranged by Bob Brookmeyer,Gary McFarland,
Produced by Jim Davis
Engineer Ray Hall

Recorded on Dec.18-21.1962, in Webster Hall, New York City
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このアルバムを聴くと・・・サドメルの最初の来日を思い出す。

2012-01-21 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Monday Night / Thad Jones & Mel Lewis Jazz Orchestra




サドメルのアルバムの棚卸し紹介も大方終わっていると思ったら、このアルバムの記事が見当たらない。自分にとっては一番思い入れのアルバムだっただけに最初に書いたような記憶があったのだが。

サドメルの本拠地ビレッジバンガードのライブの3枚目(ソリッドステートからは2枚目)のアルバムだが、このアルバムが録音された年、1968年の夏にサドメルは最初の来日を果たしている。このブログでも何度か書いたように、この最初の来日は公演予定が全く決まっていなかったなか、レギュラーメンバー17人が全員揃って家族共々来日してしまったという状況であった。クインシージョーンズのオーケストラがヨーロッパに渡ってから仕事がキャンセルになってしまい、メンバー全員でヨーロッパを渡り歩いたという事件があったが、そのミニ版のような話だ。ジェロームリチャードソンはその当事者、またかと思ったに違いない。

幸いにも自分もそこに居合わせることができたピットインでのライブ自体の感動はまだ鮮明に覚えているが、年と共に周辺情報は大分忘却の彼方に消え去っていた。先日古いスイングジャーナルが出てきたので、早速記事を探すと1968年9月号にその経緯と記事が載っていた。記事を読みながら当時の記憶が鮮明になってきた。

その日、自分は午後渋谷のヤマハに行っていた。多分13日の土曜だったと思う。店内でジャズの無料のミニライブをやっていたので、それを聴くのが目的であった。当時は浪人生活をおくっていたが、高校の時よりはるかに街へでかける機会が増えていた。ジャズ喫茶にも入り浸っていたが、このヤマハのライブは生の演奏を聴けるのが楽しみでよく仲間とつるんで行ったものだ。その日の出演者は覚えていないが、前田憲男や猪俣猛の演奏を生で初めて聴いたのはそのヤマハのライブだった。

その日もライブに行くと、「サドジョーン&メルルイスオーケストラ」が来日して、今晩新宿ピットインでライブがあるとの張り紙があった。半信半疑でその夜ピットインに行くと、確かに入口に「本日特別公演 サドジョーンズ・メルルイスオーケストラ」の張り紙が。
伊勢丹会館の裏にあった、間口の狭い100人も入れない狭い店内。店の奥に背広姿でメンバーが席につく。夏の熱い夜に、客もギッシリ入ると会場は演奏前から熱気が満ち溢れていた。
そして演奏が始まる。雰囲気はこのアルバムのビレッジバンガードとまったく同じ、いやそれ以上であった。

この時のサドメルの演奏に関してのスイングジャーナルに載っている評論家の油井正一氏の記事を紹介しておこう。

以下、転載始め・・

演奏会評 油井正一
サド・ジョーンズ=メル・ルイスのザ・ジャズ・オーケストラ

別項「来日公演の舞台裏」で報道した通りサド・ジョーンズ-メル。ルイス楽団は拙劣なマネージメントにために、ほんの一握りのファンに大感激を与えただけで世にも哀れな日程を終えた。
 こういう演奏会評を来日の事実すら知らなかった多くの方に読んでいただくのには、釣りのがした魚の大きさを誇示するようで気がひけるが、聴けた人(のべ約2,000人あまり)は皆手放しで絶賛している。それはこのバンドが他のビッグバンドにみられないいくつかの特色をもっているためである。以下箇条書にして説明してみよう。

1. ●白人黒人オール・スターズによる混合編成。
メンバー (省略)
こうしたインテグレーテッド(混成)バンドの来日はこれが始めてのことである。

2. ●サド・ジョーンズの指揮の卓抜さ
何人もサド・ジョーンズの指揮がこれほど卓抜だとは何人も予想しなかった。彼が永く勤続したカウント・ベイシーのそれではなく、デュークエリントンのような派手な動きとメンバーの掌握力を持っている。同じ曲でも日によってちがったソロイストを指名し、その出来によってはもうワン・コーラスを追加させる。各人のソロはかなり長く、ほとんど何れの曲にも無伴奏フリー・リズムの箇所があり、ソロイストの実力がすっかりわかるように仕組まれている。

3. ●メンバーの仲のよさ
ソロがはじまると全員がその方に体を向け、いいフレーズが出ると喜び、変な音が出るとアレッと驚き、ギャグ的引用フレーズには腹を抱える、一寸他のバンドにみられぬことだ。他人がソロをとっている間、楽譜を整理したり、手持ちぶさたな仕草を見せるバンドはぜひこのゆきかたを見習うべきだ。なかでも最も目立つ位置にいるジェローム・リチャードソンは表情だけでも千両役者の貫禄充分である。「本当に気の合った仲の好いバンドだな」と思う。事実すごく仲がいい。サドとメルを残して全員が離日した日、あまりにも手痛い打撃をうけた2人のリーダーは手をとりあって涙を流し「申し訳ないことをしたなあ」と泣いたのである。これを見た渡辺貞夫夫人も貰い泣きし、「うちの主人もああいうリーダーになってほしい」といったそうだ。

4. ●スター・ハイライト
全員がソロをとり、どれもが上出来だったが、特に目立ったメンバー名をあげておこう。

セルドン・パウエル(ts) 
 ラッキートンプソンを思わせる豪快なソロ。やや同じフレーズが出すぎる傾向はあったが、主流派の雄

エディ・ダニエルス(ts)
 白いロリンズ。すばらしい未来を持った若きエリート

ジミー・ネッパー(tb)
 余裕シャクシャクのテクニックと驚くべきユーモア精神

ガーネット・ブラウン
 モダン化したビル・ハリス、作曲も卓抜

ダニー・ムーア(tp)
 主流派モダンの有望な新人。音抜けもよく力強い

ペッパー・アダムス(bs)
 温厚な紳士ながら、豪放なトーンでクライマックスへの盛り上げの名人芸

ローランド・ハナ(p)
 予想以上にうまい人。居酒屋風のタッチとガーナー的ビート感がうまく結合している。

メル・ルイス
 ソロは大したことはないが、ビッグバンドドラマーとしての至芸を展開

「このバンドの面白さはレコードでは絶対にわからない」というのが、聴いた人に共通する意見であった。ブローイングブルース「ドント・ギット・イット・サッシー」(サド・ジョーンズ作)の楽しさは今でも耳朶にこびりついて離れないのである。

以上、転載終わり


自分は一晩だけのライブであり、ジャズそのものをまだ聴き始めたばかりであったが、その時の印象はこの油井正一氏の感想と全く同じであった。個人的には、リチャードデイビスとボブブルックマイヤーもその時印象に残った2人だ。

この日本ツアーで憔悴しきった(精神的にも経済的にも)2人のリーダーとメンバーが、3ヵ月後の10月にホームグラウンドでのライブを録音したのがこのアルバムである。
メンバーは唯一来日ボブブルックマイヤーが抜けて代わりにジミークリーブランドが入っている。ブルックマイヤーがニューヨークを離れたのもこの年。日本へのツアーが何かのきっかけになったのかもしれないが、彼の置き土産の「セントルイスブルース」がこのアルバムには収められている。

全体の構成を含めて、あの東京でのライブを思い起こさせるアルバムだが、録音を意識してか演奏全体は時間を含めてきちんと纏められている。やはり、あの夜のライブを上回るものは無いのかもしれない。

ほぼ同じ時期の演奏



1. Mornin’ Reverend
2. Kid’s Are Pretty People
3. St. Louis Blues
4. The Waltz You “Swang” For Me
5. Say It Softly
6. The Second Race

Arranged by Thad Jones & Bob Brookmeyer (St. Louis Blues)

Thad Jones (fh)
Richard Gene Williams (tp)
Snooky Young (tp)
Daniel Moore (tp)
Jimmy Nottingham (tp)
Garnett Brown (tb)
Jimmy Cleveland (tb)
Jimmy Knepper (tb)
Cliff Heather (btb)
Eddie Daniels (ts,cl,fl)
Seldon Powell (ts,fl,cl)
Jerome Richardson (as,ss,cl,fl)
Jerry Dodgion (as,fl,cl)
Pepper Adams (bs,cl)
Roland Hanna (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (ds)

Produced by Sonny Lester
Recorded live at The Village Vanguard, New York on October 17, 1968
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする