ヤーコンで出会った人々  vol 297  陸前高田市農協の皆さんのこと

2017年07月18日 | Weblog
私が陸前高田市を訪ねたのは確か平成12年の秋だったと思います。
早くより陸前高田市農協の皆さんはヤーコンジュースを開発し、特許も出願しておられました。
ただ私の方が出願日が少し早かったので、特許を使用させて欲しいとのことで出かけたものです。
新幹線を乗り継ぎ,さらに普通電車での旅は随分遠く、長かったことを覚えています。

農協は海に近い場所にあり、会議の後、近くの高台にあるヤーコン畑も見せてもらいました。
山の上から、長い美しい松原を眼下に見ることが出来ました。
当日の宿は松原の近くにある4,5階建てのホテルで、私の住む光市に良く似ていました。
お酒を飲みながら光市の三里松原を自慢しながら、ご当地の松原を褒め称えました。

翌日は農協の佐藤さんの車で平泉を訪ね、芭蕉の句とも出会いました。
”夏草や兵どもの夢の跡”です。今俳句を勉強中の私にとっては有難い旅でもありました。
ところが例の東北大震災が起こり、陸前高田市は大部分を津波に押し流されてしまいました。
見事な松原も壊滅し、奇跡の1本松も枯れてしまいました。

お会いした農協の皆さんのことを案じましたが、気の毒で電話することが出来ませんでした。
ただわずかな救いは、光市より陸前高田市へ松の苗木を送り続けていることです。
ヤーコンで出会った皆さんのことを思い出すたびに、忘れられない思い出となりました。
ただただ農協の皆さんのご健勝をお祈りするばかりです。

ヤーコンで出会った人々  vol 296 土井が浜農園社長 松田利之さんのこと

2017年05月18日 | Weblog
松田社長に初めてお出会いしたのは平成6年だったと思います。私が会社を興した翌年でした。
山口県豊北町にある広大な畑で、無臭ニンニクの栽培、加工をしておられました。
ヤーコンの仕事と良く似ているとの思いから、松田社長を訪ねました。

松田さんはレイテ海戦の数少ない生存者の一人で、町議会議長も勤められた人望厚い方でした。
ニンニクを栽培し、これを粉末加工したり葉や茎の乾燥、酒粕漬など加工場をお持ちでした。
当時、5,6千万円の売上をしておられ、販売先も大手の製薬会社などで経営も安定していました。

初対面ながらヤーコンにも興味を持たれ、すぐに栽培をしてもらいました。
ヤーコン栽培が容易なことから、ジュースへの加工、ヤーコン葉の乾燥など引き受けると言われました。
何しろ見渡す限り農場が開け、すでに加工場もあり、設備も共通して使えるものもありました。

私は松田社長にお出会いしたことで、ヤーコン事業の展望が一気に開けたように思いました。
ニンニクとヤーコンは秋と春に植える作物で、これで1年中仕事あると大変喜ばれたことでした。
それが一変、松田社長はトラクター事故で一瞬にして命を落とされました。

誠に惜しい大事な人を失ってしまいました。社長が生きておられれば、農場の確保も加工場上の
心配もせずに済んだことでしょう。レイテ海戦を生き抜く強靭な体と強運に恵まれた方がなぜ。
今も私の脳裏から離れることはありません。残念至極です。

ヤーコンで出会った人々 vol 295 広島宮島ガーデン下松サービスエリア 佐藤マネージャーとの出会い

2017年04月14日 | Weblog
確か平成10年代半ばだったと思います。佐藤マネージャーからの電話でした。
「山陽自動車道下松サービスエリアに赴任してきた。ヤーコンの話を聞きたい」とのこと。
下松サービスエリアの特徴を出すために、ヤーコンが面白いのではと直感されたそうです。

「下松の近くで三井ヘルプが日本初のヤーコン製品をいろいろ作っている。
特にヤーコン麺が美味しい」との情報を耳にしたとのことでした。
先ずはヤーコンラーメンにしぼり、サービスアリア内の料理長の試食から始まりました。

このラーメンが社内で好評だったことから、下松ラーメンと命名し食堂ではなく
スナックコーナーで誰もが気安く食べられる場所におかれる商品となりました。
同時にヤーコンとは何かを説明する資料も各テーブルに置く力の入れようでした。

また弊社のヤーコン製品のコーナーもあり、時には私も出かけ根本美恵子さん作の
"ヤーコンでこんにちは”のテープを流し、子供さんに喜ばれたことを思い出します。
コロンビアレコード歌手である根本さんとの出会いは後日書く予定です。

佐藤さんとお出会いしたお陰で、多くの方にヤーコンを知ってもらうことが出来ました。
これがご縁で弊社の瓶詰め製品(ご飯のお供)が売店で売れ、大変良く売れるので
広島宮島サービスエリアにも置いてもらえるようになりました。

世の中にない新しい製品を持つことで、そのお店の看板商品になる事例かと思います。
ラーメン好きな人がいて、サービスエリアのラーメンを食べ歩いたが、
「下松サービスエリア下り線のラーメンに勝るものなし」と私に言った人のことを
今も思い出します。出会いの有難さをしみじみ感じる私です。

vol294  ヤーコンで出会った人々 (その4)千趣会創業者 高井さんとの出会い

2017年04月04日 | Weblog
私がヤーコンジュースの生産設備を完成し、ヤーコン麺を世に出したいと考えていた時の事です。
小豆島で素麺を生産し千趣会を通して販売していた(有)フモト社長一行の来社を受けました。
この時、フモト社長にヤーコンジュースを練りこんだヤーコン麺の試作をお願いしました。
その結果、腰が強く喉越しの良い、ほのかな甘みを持つ麺が出来上がりました。

このことを千趣会の創業者である高井さんに報告に上がりました。
高井さんは千趣会の中で試食を続け、直径3mmの太さが一番美味しいことを見いだされました。
完成したヤーコン麺はうどんでもない素麺でもない、一度食べたら病み付きになると上機嫌でした。
高井さん及び常務の松平さん(尾張徳川家の子孫)にはその後、幾度もお出会いする事が出来ました。

高井さんの発想や想像力の偉大さには今でも敬服しています。
高井さん曰く、「ヤーコンジュースあってのヤーコン麺だ。ヤーコン芋では工業的ではない。
ヤーコンジュースは三井ヘルプにしか出来ない。だからヤーコン麺に価値がある。
ヤーコン麺の製造特許は必ず取ってほしい」と。その後、期待に応えて特許は取得できました。

千趣会では松平さんの努力で、”ヤーメン”などの商標を取得されました。
ただ麺の価格が高すぎたたこともあり、安価なものを買い求める時代の流れに負けてしまいました。
誰もやらなかったヤーコン製品の開発に大きな期待をいただき、その期待に応えられなかったことが
今は悔やまれます。現在ヤーコン麺は業務用として全国で使われ、お茶に次ぐ製品となっています。
高井さんにお出会いしていなかったら現在の私はなく、神のご加護かと感謝する毎日です。

vol 293 ヤーコンで出会った人々(その3)元第一勧銀頭取 近藤さんのこと

2017年03月22日 | Weblog
平成8年春、ヤーコンジュースの生産設備を完成し、販売手段を考えていた時のことです。
横浜で運送会社を経営している同級生のI君が来て助言をしてくれました。
「同級生の近藤さんに相談することよ。彼は第一勧銀の副頭取になっているからね」と。
近藤さんとは小学校から机を並べた仲でしたが、早速お願いするため上京しました。

ヤーコンを日本に広めたいとの私の考えにその場で賛同してもらい、その上で
銀行内にヤーコン応援隊を作ろうと2人の人を紹介してもらいました。
「渡邉君がその都度、東京に出てくることは大変だろう。なんでも相談したら良い」と
先ず行内の食堂にヤーコンジュースを置いてもらうことから始まりました。

結果として2人の方にお願いし、成果につながった事が2つありました。
1つは、日本を代表する所謂”健康雑誌”にヤーコンの紹介記事を多数書いてもらったことです。
平成9年から11年にかけて、ヤーコンジュースやヤーコン茶のことなどを紹介してもらいました。
ヤーコンを多くの消費者に知ってもらうことが出来ましたが、その窓口となってもらいました。

もう1つはサンパウロから”ヤーコン茶(商品名はcya yakon)を入手してもらったことです。
現地では「糖尿病に良いお茶で、肌を美しくする」と評判になっているとの情報を
偶然にも私が耳にしたことに始まります。そして中身がヤーコン葉であることを知りました。
さすがはメガバンクで入手の速さに驚くとともに、現地の情報まで入れてもらいました。

お蔭様で平成9年秋に、現在に至る”ヤーコン茶王”を販売する事が出来ました。
後日、全薬工業さんも現地の情報を元にヤーコン茶の詳細な研究を進められ、
私よりも少し前に販売されていることを知りました。
薬学博士の皆さんのおかげで科学的な裏付けもでき、ヤーコンの価値が一層上がっりました。

近藤さんはその後頭取となられ、現在も尚、私どものヤーコンジュースの愛飲家でもあります。
同級生ではありますが、私にとってヤーコンで出会った最大の恩人でもあります。

vol 292 ヤーコンで出会った人々(その2) 農水省(旧四国農試) 中西先生との出会い

2017年03月14日 | Weblog
私がヤーコンジュースの生産を本格的に開始したのは平成8年秋でした。
その後生産量が増えるにつれて、ヤーコンのひび割れが重要な課題となりました。
明らかにアンデス産の種芋が日本の風土に適さない証でした。
収穫後もパリパリと音を立ててひび割れし、皮をむくと歩留まり50%となりました。

困り果てていた頃、四国農試で品種改良が進んでいるとの情報が入りました。
すぐに中西先生のおられる香川県善通寺市に出かけました。その後中西先生とは
いろいろな場所でお会いしましたが、先生が各地で講演をされる中で
「これほどひび割れのひどいヤーコンでは日本に根づかない。それどころか
壊滅すらしてしまう」と危機感をもって品種改良に努めたとのことでした。

先生が定年退職され小豆島にお住まいの時も、小豆島へ出かけたことも思い出します。
加工用に栽培するとき、開発された3品種のどれか1つに絞り込む必要がありました。
先生の助言を得て”アンデスの雪”に決めたのが小豆島でのことでした。
その後、多くの農家の皆さんに喜ばれ、加工もし易く歩留まりも95%となりました。

ヤーコンが今日あるのは先生とその仲間の皆さんの品種改良のお陰です。
先生退職の後は杉浦さんが引き継がれ、その杉浦さんも昨年配置換えとなりました。
後継者はゼロとなりましたが、これも時代の流れ国の役割の終わりかと思われます。
本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。

vol 291 ヤーコンで出会った人々  (その1) 茨城大学 月橋先生との出会い

2017年03月02日 | Weblog
ヤーコンで出会った方々は数え切れないほど多いのですが、月橋先生には何度もお出会いしました。
先生はヤーコンで博士号を取られており、ヤーコンが何物かを初めて世に知らしめて頂きました。
それは確か平成5年9月、農業雑誌「農耕と園芸」?に投稿されて始まりました。
それまで私はヤーコンが何物かさえ知らぬまま、化学者の直感で研究を続けていました。

私の知るところでは、大学では月橋先生がヤーコンの成分分析と栽培に取り組まれ、
官では農水省の中西先生が日本風土に適した品種改良をすすめられ、
そして産業界では私がヤーコンの製品開発に取り組み、今日に至っています。
不思議なことにいずれも平成2年乃至3年に取り組み始めたことが後で分かりました。

月橋先生は茨城大学農学部内に「ヤーコン研究会」を立ち上げ、ヤーコンの普及に貢献されました。
私も数回参加をし、参加者の熱気を感じたものです。一方で、ヤーコンに関する本がないことから、
先生に本を出して下さいとお願いをしたことを思い出します。「忙しくてね」とおっしゃるので、
私と長男が執筆して月橋先生監修の下、平成11年3月、「奇跡の健康野菜ヤーコン」を
廣済堂出版社より出したこともヤーコンの普及に貢献できたと思います。

このようなこともあって月橋先生とのお付き合いも長くなり、
今でも賀状の交換をさせていただいております。ヤーコンあっての出会いであり感謝感謝です。

vol 290 家庭菜園でヤーコンが広がりますように

2017年03月02日 | Weblog
何事も同じですがヤーコンに関しても夢中になって取り組んだ人々がいます。
私もその1人でしたが無我夢中で過ごして、はや25年が経ちました。
80歳まで現役でと考えていましたが、本年4月でその年齢を迎えます。
借金ばかり積み残して心苦しい限りですが、3月末を持って引退する事にしました。

ヤーコンが年1回の収穫ですから、経営上安定しないのは当たり前かもしれません。
幸いにも子供達が事業を継続してくれると言い、しかも1年を通して売れる
商品を開発してくれましたので私も安心して退くことが出来ます。
ヤーコンの製品開発に追われて、多角化できなかったことは力不足で悔やまれます。

今後はヤーコン栽培を中心の農業に親しみ、俳句作りを楽しみ、さらに
ボランティア活動を通して地域の発展に役立ちたいと思っています。
本欄の掲載は継続したいと思っています。先ずはこれまで、
ヤーコンでお出会いした方々を拾数回に分け感謝をこめて紹介いたします。 

ヤーコン青汁って何? 誕生裏話

2017年01月30日 | Weblog
弊社のヤーコン青汁(商品名 野菜毎日)は世界でたった一つのヤーコンジュースです。
瓶からコップに移し出すと、鮮やかな濃い緑色をした青汁となります。
これが真っ黒だったらどうでしょうか。誰も飲まないでしょうね。

実はヤーコンを大根おろしのようにすりつぶすと、色が刻々変わります。
はじめは白く、次第に緑に、そして黒く褐変してしまいます。私は大いに悩みました。
せめて美しい緑色を保持できれば、全国の皆様にお届けできるのではないか。

試行錯誤の末に神様は私の願いを聞き届けてくれました。
加熱をすれば熱に弱い色素は消え、熱に強い緑の色素だけを安定化できたのです。
これは以前にも述べたクロロゲン酸とアミノ酸からなる貴重な色素でした。

勿論ヤーコンの主成分はヤーコンオリゴ糖です。加熱による変化はありません。
それに加えて活性酸素を除去するクロロゲン酸と必須うアミノ酸を摂取できるのです。
ここに機能性に富んだヤーコン青汁が完成したのです。

これらのことが認められ、日本発明協会から山口県知事賞を受賞できました。
そのことよりも私にとっては人々の健康長寿に役立ったとの思いが強いのです。
ヤーコンに出会ってよかったと思う今日この頃です。

vol 288 ヤーコンは何年寿命を延ばすでしょうか?

2017年01月13日 | Weblog
新年を迎えました。今年も無病息災で人生を楽しみたいものです。
昨年、山口県は大干ばつの年でヤーコン不作の年となりました。
25年栽培を続けて初めての経験です。皆様のお宅ではいかがでしたでしょうか?

私が俳句を初めて3年目を迎えます。200人への賀状を書きながら、
「年賀状瞬時に過去が甦る」これが私の実感です。今が一番面白くなったところです。
ヤーコンに関しても3年栽培し終えた平成5年、会社を立ち上げました。
こだわり始めたら何事にも夢中になる性癖のようです。

今年1月11日、NHKの「ためしてガッテン」で、
「ピーナツを食べると寿命が2年延びる」と放映していました。
16年の追跡調査を終えての結果だそうで、私も良く食べており長生きしそうです。
ヤーコンに関しても同様の結果が出ると信じています。

20年近くヤーコンジュースを飲み続けている親友から、今年の年賀状に
「ヤーコンは国民、国家のためになっている」との添え書きがありました。
ご近所にも3人ほどヤーコンを栽培し、自家製のヤーコンがなくなると
ヤーコンジュースを買いに来られる方がいます。同様の言葉をもらっています。

皆それぞれヤーコンが寿命を延ばしていると確信している仲間です。
かく言う私も毎日ヤーコンジュース並びにヤーコン茶を食している人間です。
先ずは私自身、長寿を全うすることが大切なことだと思う新年の始まりです。