coffee break おしゃべりしましょ

美味しいものがあれば幸せ♪

酒飲みの自己弁護

2011-04-29 10:41:28 | 家ご飯

作家の山口瞳さんが、『酒飲みの自己弁護』というエッセーを書いていらっしゃいます。
空襲で家が焼け落ちそうになっているときに、蓄音機の音量を最大にして音楽を聴きながら、何を持って逃げようかと考え、ウィスキーを持って行こうと思ったそうです。
サントリーの角瓶を掴み、焼夷弾が降り注いで火の手は隣家まで来ていたのに、池の中にそれを沈めて逃げたそうです。
一夜明け、すっかり焼け落ちた我が家に戻って、池から引き揚げたサントリー角を近所の方と飲んでみるのですが、池の水が入ってしまい生臭くて飲めたものではなかったそうです。
因みに、池の金魚も焼いて食べたそうですが不味かったらしいです。

この後にサントリーに勤めるようになった山口さんですが、筋金入りの呑兵衛ですね~。


私などは地震で家が崩壊したわけでもないのに、すっかり意気消沈し、しばらくはお酒を飲むなんて気持ちにはなれませんでした。
一方夫の方はそうでもなく、ビールを飲みたくて一生懸命空気を読んでいたようですけど(苦笑)


            


外食のときは飲んでも、家飲みとなると何となく今一つ気持ちが乗りませんでした。
自粛していたわけでは全くないのですが、その気にならなかっただけ。

多分、震災関連のテレビを見ることが多くなって、知らず知らずに気持ちにブレーキがかかっていたのかなと思います。
最近ではAC広告も食傷気味なので、テレビをつけるのは余震の情報を見る時だけです。


郡山の避難所になっているビッグパレットを時々訪れることがあるのですが、那須の移動動物園に喜ぶ子どもたちの笑顔や、「ただいま~!」と学校から避難所に帰ってくる子どもの元気な声に励まされるように、長丁場を覚悟してか、くよくよしても始まらないみたいな雰囲気も感じられて、自分だけが同じ場所に留まっていてはいけないな~と、あべこべに元気をもらう私でした。



               


食卓にお酒が無い時(ビールはあるのですが)は、話題が震災や原発のことばかりだったのに、日本酒やワインが加わるとそのお酒から話題が広がり、会話も明るく弾むような気がします。
これって言い訳?(^_^;)

お酒の登場とともに少しずつ食事の時間が長くなり、笑いも増えてきます。


先日の食事中に、大分前に新聞紙にくるんだままの姿で頂いて、冷蔵庫の野菜室に入れっぱなしだった日本酒があるのを思い出し、包みを開けてみると栄川の「立春朝搾り」の純米吟醸生原酒でした。

毎年、立春の朝に瓶詰して発売される栄川酒造の搾りたての生原酒で、節分に邪気を祓い、『立春の日』に田中稲荷神社の神主さんをお呼びして、無病息災を祈願した縁起のいいお酒なんです。ごていねいに田中稲荷神社の御守つきです。

せっかくの搾りたて生原酒を、3か月近くも冷蔵庫に押し込んでおいては、御守のご利益もすっかり冷え込んでしまったかしら・・・トホホ
香りは減ってしまいましたが、まろやかになったかも。それなりに美味しかったです。

保存したのが、池のなかじゃなくて冷蔵庫の中でよかったです(笑)

山口瞳さんも、角瓶1本くらい、池などに沈めず手に持って逃げればよかったのに・・・
気づいたら柄杓を持っていたそうです。本人も理解に苦しんだ行動だったとか






                                



大型連休を前にして、山のような仕事を片づけるため大忙しだった二男に作ったお弁当。


            
      鶏唐揚げ 姫筍の煮物 オクラ入り卵焼き 大学芋 スナックエンドウ 古代米入り桜ご飯


36歳・独身・彼女無しのボスと二人っきりの事務所なので、彼の分も作ってあげました(笑)






                   
                         ozさん

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桜~千年の色

2011-04-27 16:51:17 | 外ご飯

        世の中に たえてさくらの なかりせば 
            
                     春の心は のどけからまし


桜の季節になると気もそぞろになるのが日本人。東北もただ今桜前線が北上中です。



ず~っと行きたいと思っていた三春の滝桜ですが、混雑を嫌がる夫は今まで連れて行ってくれませんでした。
あ、一度だけありました。もう散ってしまった後でしたが(^_^;)


今年は、震災と原発の風評被害で訪れる人も例年より少ないと聞き、それなら三春を励まそうと重い腰を上げてくれた夫、早起きして出かけてきました。





前日は強い風と雨で桜の様子も心配でしたが、出迎えてくれた滝桜は満開で、まさに滝のように枝垂れて咲いていました。


種類は、エドヒガン系ベニシダレ(バラ科)
樹齢千年以上と言われ、国の天然記念物に指定されています。名称「三春滝ザクラ」
高さ/13.5m
枝張り/東に11.0m、、西に14.0m、南に14.5m、北に5.5m
幹周り/8.1m(地上高1.2m)
根周り/11.3m


その姿には、ただただ圧倒されるばかり。


      




滝桜を近くで見ようと並ぶ人たちを、迎え入れるように枝を広げる滝桜。

あの花の下に行ったら、呑み込まれてしまうのではないかしら。私が子どもだったら足が竦んでしまうかも。






初々しい若木から千年の時を刻み、逞しい生命力の塊のようになった太い幹。
宙を舞うようにくねくねと枝を伸ばし、春になれば、古の色そのままの繊細で美しい桜色の衣を纏う・・・

眺めていると、何か尋常ではない精霊が宿るようなその姿に、落ち着かなくなります。


梶井基次郎が『桜の樹の下には』で、桜の樹の下には屍体が埋まっている・・・と、書いています。
桜が放つ神秘な美しさに打ちのめされた梶井は、かえって憂鬱になり、突拍子もない想像をしてようやく桜をまともに眺めることができたと・・・


自然の美しさは、想像を超えると受け入るのに時間がかかるものなのかもしれません。






こちらは郡山の開成山公園。滝桜に比べたらひよっこです(笑)
例年ならブルーシートで埋め尽くされるところですが、今年はひねもすのたりのお花見が満喫できました。





そして、私が好きなお蕎麦屋さん「あなざわ」のお隣にある静御前堂の桜。





あなざわのお蕎麦、本日は鴨汁そば。いつもの一杯はありません(笑)
自粛をしたわけではなく、外を歩き回ったため花粉症でズルズル・・・お酒を味わえる状態ではありませんでした









                   
                         ozさん



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春~思いいろいろ

2011-04-23 23:54:39 | つぶやき

        
             mcnjさんからお嫁入りのクリスマスローズが今年も・・・


先日、埼玉県に避難生活中の友人が郡山に来たので、久しぶりに会いお茶してきました。

彼女の家は、福島第一原発から6キロの地点にあり、震災があった日は、原発から20キロ圏内にある高校に勤務中でした。
地震発生とともに津波警報が出たので、高台にあった高校はそのまま避難所になり、避難してくる住民の受け入れと世話で、その日彼女は家に帰れませんでした。
ショックのせいか切迫流産になりかけた妊婦さんもでたりで、大変な一夜を過ごしたようです。


               
                  バイモ


翌日の早朝、原発から半径10キロ内に避難指示が出て、この時点で彼女は家に帰れなくなり、その日の夕方、避難指示は半径20キロに拡大したので、彼女の高校も別の場所に避難です。

彼女は、自分の家がどんな様子なのか知ることもできず、前日学校に出勤した時の着の身着のままで次の避難所へ移動。
そこで、88歳のお母様と81歳の叔母様を連れて避難していたご主人と合流し、それから埼玉県の親戚の家へと避難したそうです。



               
                           イベリス


4月になると、彼女の勤務する高校は、県内のいくつかの高校に分散してサテライト授業をすることになり、彼女は偶然にも郡山勤務になりました。
生活の拠点も、埼玉から福島県猪苗代近くの某ホテルに移し、暫くは猪苗代から郡山まで通勤する生活になりそうです。

こんな状況じゃなければ、バンザ~イ!と喜ぶところなのですけどね~。

「自分の家を持ちながら、根無し草のように暮さなくちゃいけないなんて・・・」

彼女がぽつんと言った言葉には、今まで築き上げてきた生活が、何の予告もなしに奪われてしまったことに対する憤りと悲しみ、その感情をどう抑え何処に収めたらいいのか、置き場所に困っているような響きを感じました。

もちろん怒りの矛先は、30年の寿命と言われる原発を、延命措置でつなぎながら40年も運転してきた東電と、その管理を曖昧にしてきた政府に向けて当然と思いますが、彼らを指さし怒りをぶちまけても事態が好転しないことを彼女も重々承知のことなのでしょう。
安易に原発税に頼ってきた福島県も、無関心でいた県民も反省すべきところがあります。

けれども、地震による巨大津波も確かに想定外でしたが、これほど為す術もないとは・・・こんなに脆い原発安全神話もまったく想定外でした。



               
                   ムスカリとチューリップ



断水で水やりができなかったり、いつまでも続く寒さで葉の色が悪くなったり、植物にとっても受難が多かったけれど、
庭の花たちは、いつもと変わらない愛らしい姿で咲いてくれています。


       花見てぞ 身の憂きことも わすらるる 
                春はかぎりの なからましかば   藤原公経



          
                ユキヤナギ


根っこを張って元気に咲いている花たちを見て、「いつまで根無し草の生活を・・・」と言った友の言葉がリフレインします。


今日は雨。でも、いつもとは違う雨。

窪みにできた水たまり・・・中原中也風に言うと・・・汚れちまった悲しみの水たまり?


汚染されちゃったんだな~なんて考えていたら、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出しました。

森にはいろいろな動物が棲み、空には鳥が鳴き、緑の田園が広がる自然豊かな村。
ある日、その村を不思議な現象が襲う。
牛や羊が病気で次々と死に・・・それはいつか人間にも広がり、春が来ても花が咲くことはなく自然は黙りこくっている。
今では小鳥は歌わず、ミツバチの羽音も聞こえない・・・そんな内容で始まるお話です。

核実験で飛散した放射性物質が大気や土壌を汚染する・・・
人間にとって不快な雑草や虫を駆除するために化学薬品を使い、汚染の連鎖を繰り返し、春になっても自然は沈黙したまま・・・


人間が自然を破壊し続けていることへの警鐘として書かれた本で、昔、息子の課題図書だったのを借りて読んだのを思い出し、本棚から引っ張り出してみました。



          
                 ビオラ


レイチェル・カーソンは沈黙の春の最終章で、こう言っています。

“私たちは、今や分かれ道にいる。(中略)長い間旅をしてきた道は素晴らしい高速道路で、すごいスピードに酔うことができるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍であり破滅だ。もう一つの道はあまり<人もいかない>が、この分かれ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあると言えよう。とにかく、どちらの道をとるか、決めなければならないのは私たちなのだ。” 


少し前に記事にした木村秋則さんの「奇跡のりんご」にも通じるものを感じました。
“リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているのではない。周りの自然の中で生かされている生き物なんだよ”
人間も同じだと木村さんは言います。

農薬も肥料も使わない自然農法は、半年たっても腐らない力強いリンゴを育てています。

レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が何十年も前に警告したことを、私たちはもっと真摯に受け止め、道を選ばなくてはと思います。



                 



夫の実家から移植した水仙が、今花盛りです。
今日は義父の命日でした。南相馬市にある墓地の水仙も多分満開のころ。


いろんな思いが、過って、消えて・・・また浮かんで・・・



でも、美味しいものがあれば幸せ・・・な、私。

            


バナナをグラッパでフランベ。 シナモンのいい香り~
グラッパをたっぷり入れたので、濃厚。バナナだけれど大人向けのおやつでしたっ。






                   
                         ozさん



                        

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お墓参り~南相馬市へ

2011-04-16 23:53:43 | お出かけ

昨日は、初夏を思わせるような日差しの中、夫の実家があった南相馬市へ行ってきました。
今は住む人もなくお墓が残っているだけになりましたが、お盆、春と秋のお彼岸、義父母のお命日には欠かさずお参りに行っていました。

お彼岸のころには、震災後のガソリン不足もあり、お墓参りをできないでいましたが、もうすぐ義父の命日が来ます。
その前にお参りがしたいし、週末のお天気の崩れも心配だったので、平日でしたが休暇を取り行ってきました。


               


墓地では辺り一面にカタクリが咲いて、一斉に私たちを出迎えてくれました。
お彼岸のお墓参りでは叶わない、嬉しいカタクリの花との出会いでした。
連日乾燥した日が続いていたので、カタクリも少し辛そうでした。

私がこの墓地のカタクリの群生を知ったのは、義父の法事の時でした。
たくさんのカタクリに思わず歓声を上げた私を見て、義母は、庭で増やして私に送ってあげようと思い立ち家に持ち帰り植えてみたのですが、どうしても上手くいかなかったそうです。

あの時義母が、「mintちゃん、『手に取るな やはり野におけ 蓮華草』だわね。やっぱりカタクリはあの場所がいいみたいね~」と、言ったのを思い出します。


            


墓石のすぐ近くには、義母の庭から掘り起こしてきて植えた水仙。
義父の命日の頃には、多分綺麗に咲いているのではないでしょうか。


            


お参りが済むと墓地の外柵に腰掛け、遠くを眺めるのが好きだった義母。コブシの花が咲き、田舎特有の眺めです。
いつもと変わらない長閑な風景なのに、今は原発の事故のため屋内退避指示が出ているこの地域。
今後は避難指示に変わるかも知れない区域だなんて信じられません。


そして今回は、友人の災害お見舞いも兼ねていました。

津波や家屋崩壊などの被害は無かったのですが、普段なら、病院・本屋・スーパー・ファミレス・コンビニ等が近くにあり、とても便利な住環境なのに、震災の後は、放射能汚染の風評被害で物資が届かず、買い物は隣町まで行くなど不便な生活を強いられていました。

自主避難した人と、残って屋内退避を続けている人がいて、地域が通常に機能していないのです。
津波の被害は免れたけれど、何時晴れるとも分からない見えない霧に、町全体が包まれてしまったように感じたのは気のせいでしょうか。

友人宅も、原発の状況次第では何時避難指示がでるかもしれません。
食料品とお水の他に、郡山の美味しいスイーツと焼き立てパンを持参し、届けてきました。

原発の一刻も早い収束を願うばかりです。



友人宅から2キロ少し東に行くと、街の様子は道路一本を隔てて明暗を分けていました。

            


海岸からは2キロ以上あるかと思われる国道なのに、流された船がガードレールに引っかかるように、傾いて留まっていました。
津波はここまで押し寄せてきていたのです。

ここからもう少し先に、夫の従妹の家があるのですが、少し高台にある従妹の家は、奇跡的に津波被害を免れていました。
しかし、周囲は跡形もなく流され、テレビで似たような光景を何度も見たはずなのに、実際に目の前にすると言葉を失ってしまいました。

従妹たちは今、県外に住む叔母の家に避難しています。自分の家が無事でも、この中に帰ってくることは当分は無理でしょう。


根こそぎ奪われて、干潟のようになった陸地。
この光景を前にすれば、被災地にとって必要なのは、新しい生活を始めるための家であり、資金であり、物資であり、人力であることは一目瞭然。
それも一刻も早く。頑張るとかはそれからのことです。


私たちからの義援金を、みんなからの義援金を、世界中からの義捐金を、被災された方々のためにどうか一日も早く役立てていただきたいと思います。





                   
                         ozさん


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地震酔い

2011-04-13 18:18:31 | つぶやき


               

先週、宮城で大きな余震があった後でしたが、元気がない私を見かねた夫がお鮨屋さんへ誘ってくれました。
いつもの鮨よしさんです。

写真は、ご主人が丹精込めた枝垂桜の盆栽。郡山の桜はまだなので、一足先にこちらでお花見です。
花はもう終わりのとのことで、一段と濃いピンクになっていましたが散り際も美しいのが桜。
3.11の地震では、何年もかけて育てた盆栽の鉢が壊れ、呆然として暫く何も手につかなかったそうです。

福島のお酒「花泉」で乾杯!なんと震災の後一か月ぶりのお酒でした~。
家にいると否が応でもニュースが目に耳に入り、なかなかお酒というムードにはならなかったので、良い気分転換でした。


そして、鮨よしで元気にしてもらった次の日の4月11日。今度は福島県に震度6弱の大きな余震。
二男と買い物の帰りだった車の中、ゆっくりと道路の左側に車を止め様子を見る間も、荒れ狂う波のようにブルンブルンと揺れる電線が、電柱を倒し切れてしまううのではないかと思ったほどでした。

鮨よしさんのあの桜は無事だったかしら・・・

震災から一か月以上経つのに、大きな余震が絶えません。一か月の間にM5以上の余震が400回を超えています。
今回の余震で、いわき市の水道はやっと復旧したばかりなのに、また6割の世帯で断水だそうです。

ようやく復興への希望を見出して歩き始めたというのに・・・

年中揺れているような気がして、「今、揺れた?」と聞くのが口癖に。

それなのに、これが最後の最大余震と言うことではなく、この先一年はマグニチュード8クラスの余震も警戒しなくてはならないと言います。
警戒しなさいと言われても、できることには限りがあります。あとは、ただ神に祈るばかりです。


久々に夕食のアップ。

            

食事の支度をしていても、緊急地震速報の警報音が鳴ったりするので、カメの私はビクビクのぎっくり腰、ではなくへっぴり腰
なので、できるだけ手間がかからず、後片付けが楽なメニューです

そうそう、普段から海藻類を取っている日本人は、悪いヨウ素を吸収する心配は少ないそうですョ。
我が家は、夫があまり海藻を食べないので、この機会に無理やり食べさせています(笑)


復興の妨げになるような地震が、どうかもう起こりませんように






                    
                         ozさん


     

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奇跡のりんご?

2011-04-07 18:37:34 | 美味しいもの

               


昨日・今日と暖かい日が続き、ちらほらだった我が家の梅も一気に咲き進みました。
風もなく穏やかな日に、リハビリのウォーターベッドでまどろんで、本を開いてはこっくりと舟を漕ぎ、ひねもすのたりのたりのmintです。

でも、こんなにお天気のいい日が続いているのに、洗濯物を外に干している家はありません。
皆さん、環境放射線量の数値が気になっているのです。今日の郡山は、2マイクロシーベルト/hの前後を行ったり来たりです。

今までなら、何の躊躇もなしに乾燥機を回したのに、原発が怖いと思う今は、できるだけ節電しないと、と思ってしまいます(-_-;)
家の中の日当たりの良いところは、洗濯物に占領されて、お客様が来ると大慌てです(笑)



昨日のこと、震災後の片づけものたりのたりの私は、野菜をストックしていたワゴンの奥の方に、なんと昨年いただいたりんごがまだ残っていたのを発見しました


            


無農薬で育てられた紅玉です。
昨年の11月に頂いたのですが、腐ってはいませでした。ちょっとお肌の曲がり角を過ぎちゃったりんごもありましたけどね(笑)

思わず、木村秋則さんの「奇跡のりんご」を思い出しました。
無肥料・無農薬の自然農法で育てる木村さんのりんごは腐らないと言います。一年置いても腐らずドライフルーツのようになっていくのだとか。

まるで奇跡のりんごみたいだわと感動し、昨日そのりんごを煮て、今日は久々にアップルパイを焼きました。
冷凍パイシートを使った簡単なものですが・・・


               


レーズンも入れました。
オーブンを使っているときに、震度3の余震が来てちょっとドキドキしましたけど、ラム酒とバターとシナモンのいい香りが漂ってくると、鼻孔を思い切り膨らませ、「ああ、なんてしあわせ~」とつぶやいてしまいました。


片隅に忘れられていたりんごから、思わぬ元気をいただいた今日でした。感謝です

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4月・・・

2011-04-04 00:53:30 | つぶやき

震災から3週間が過ぎました。
4月になった途端日中の気温が16℃と春らしい陽気になりましたが、翌日はまた冷たい風が吹き、まだまだ三寒四温の福島県。
それでも、お隣の家の白梅は満開になり、我が家の遅咲きの梅も蕾をパンパンに膨らませてっぺんの方ではちらほらと咲き始めました。

                


ガソリンの供給も落ち着いてきたので、先日用事があり、震災の後初めて駅前まで出かけて来たのですが、いつも通る裏通りの見慣れたビルが、基礎の部分から盛り上がるように傾いて今にも倒れそうになっているのを見たときには、息子と二人息をのんでしまいました。
当然その先は通行止めです。

迂回して通ったショッピングモールも広い駐車場に車はなく休業、壁が落ちてしまった家やタイルがボロボロと剥がれ落ちているマンション、所々盛り上がって波打つ道路・・・
駅構内も崩壊のために立ち入り禁止で、周辺の大型ショッピングビルも、シャッターが下りたままだったり、街は思った以上にダメージを受けていました。
あらためて郡山も被災地だったのだと思い知らされました。


            


そしてこちら、数日前我が家に届いた大きな宅配便。差出人は宮崎県にお住いのブログ友の南国花子さんでした。
最近すっかりご無沙汰してしまっていたのですが、先日の大地震の後直ぐにお見舞いのコメントをいただき、宅配便が復旧するとすぐにこんなにたくさんの支援物資を送ってくださいました。

トイレットペーパー、ティッシュペーパー、カイロ、レトルトのご飯、野菜ジュース、缶詰等々。
流通が回復してきたとは言え、飲料小物の購入はまだ制限がありましたし、ストックしていたペーパー類も、先日宮城県の長男の友人家族に届けてしまったので、とても助かりました。
花子さん、本当にありがとうございました
いただいた物資の一部は、被災地の方とシェアさせていただきました。
超美人の花子さんの笑顔を思い出し、とても明るい気持ちになりました~

そしてその2日後の今日、またまた花子さんからお水のペットボトルが2ケースも届きました。
花子さんと太郎さんの南国堂にも、数量が限定されて入荷したお水だと思いますのに、貴重なお水をありがとうございました~<(_ _)>

お友達のブログを拝見しても、被災地を支えようとしてくださる力強いお気持ちがひしひしと伝わってきます。
本当にありがたく嬉しいことです。
我が家も家族と相談しながら、微力ですができることを少しずつ続けていこうと思っています。


少し前から、地震の前日に患った腰痛のリハビリに整形外科へも通い始めました。
全身マッサージしてくれるウォーターベッドが、気持ち良すぎてついウトウト~としてしまう呑気な私です

今まで家で仕事をしてくれていた二男も、明日からは通常通り事務所に戻るので、これからは一人で頑張らなくちゃ~!


4月は始まりの季節。
様々な方が様々な思いを胸に迎えたであろう4月。
長い道のりになるかもしれないけれど、それぞれの一歩から始めたいですね









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