わたしの里 美術館

とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

光徳沼

2016-10-24 | 日記

 

光徳沼【わたしの里の美術館・日記】 光徳沼

 

 

 

奥日光の観光地のなかで、いちばん奥まった場所にある。

車でも行けるが、ハイキングコースなどが紹介されており、戦場が原から逆川を辿る散策路で、自然を満喫できる。本日、10月24日(月)は、紅葉真っ盛りであったが、撮影中に人にあったのは、2~3人だけであった。つまり、人気(ひとけ) はほとんど無い。上の絵の撮影ポイントは、とくに人が足を踏み入れないところで、幻のスポットといえる。

絵からすれば、たしかに光徳沼とのイメージもあるが、これは観察をよくすれば判ることだが、手前の水面は、巾が 2㍍ほどの水たまりのようなもの。それを、18㎜の短焦点レンズの特性を用いて、大きく描いたまでのこと。 

 

 

 

 

 

 

 

画面の右から、逆川が左に流れている。

奥の山の山麓に向かって渓流は進み、国道120号線の下を潜り、やがては湯川と合流して、戦場が原の西端をゆったりと流れて、竜頭の滝となる。

さて、光德沼だが撮影者が、40年ほど前に奥日光に住み暮らしていた頃、たしかに此処に満満と 清水を湛えた沼があった。絵をクリックして拡大してみれば、より明確に判ることだが、中央の流れの中に散乱している石は、水をせき止めている堰堤の一部であった。その部分から、手前に伸びているのが、白い化繊袋で出来た土嚢の列である。この左側に、水が溜められていた。深さは、数十センチほどで深くはないが、其処には魚たちが素早く動き、水鳥も羽を休めていた。

普通ひとびとは、自然公園のなかの沼が無くなれば、自然の土砂で埋まってしまったのかと思うのが、常なのかも知れない。

しかし、光德沼が無くなってしまったのは、堰堤が壊されてしまったからなのだ。

「人工の工作物を壊して、自然に帰した。」

といえば、確かにそうなのだろう。

 

しかし、当時このあたりに住み暮らしていた者にしてみれば、光徳沼が無くなってしまったのは、意外なことであった。

 

画面の奥から、ズミの林が列となって、手前の土嚢の列につながっている。

この弧の左側には、光徳沼の湖面が広がっていた。

それが今では、茫々とした草の原となっている。

 

あの石の堤は、人為的に壊されたのか。

あるいは、自然の力でこうなったのか。

 

知りたくもあるが、知っても詮無きこと。

 

そのような感懐、感情もあって、冒頭の光徳沼に写りこむ男体山の、イメージを拵えてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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