森本 草介 (もりもと そうすけ、1937年8月14日 - )
生い立ち
1937年(昭和12年)、画家・森本仁平 の長男として、朝鮮全羅北道に生まれる。大東亜戦争中の 1943年(昭和18年)に内地へ帰ったものの再度朝鮮へ戻り、1945年(昭和20年)に日本軍が内地に引き揚げてしまうと、一家での逃避行を強いられた。
洋画家
1958年(昭和33年)、東京芸術大学絵画科油画専攻入学、在学中の1961年(昭和36年)に安宅賞を受賞した。1962年(昭和37年)に大学を卒業すると専攻科に進んで翌年に修了、東京藝術大学の助手となった。国画会展に入選し、1966年(昭和41年)には国画賞を受賞、助手職を辞した。
1969年(昭和44年)、「十騎会」の結成に加わる。静物画、風景画に、精密な画法で評価を得るが、1979年(昭和54年)頃、女性画のモデルを発見、以後このモデルを使って裸婦、着衣婦人画を数多く制作する。
森本の作品の最大の収集者は千葉県千葉市のホキ美術館であり、同館には森本の作品 32点が収蔵・展示されている。
画集 [編集]森本草介展図録 日動画廊 1977
森本草介画集 講談社 1984
森本草介画集 求龍堂 1995
参考
銀座は銀座なのだけれど、並木通りあたりからは、とおくに離れている。半地下式みたいな首都高速が通っている辺り。その画廊はあった。
そのころは東京に住まいしていたので、たびたびお邪魔していた。
絵を買いにではなく、なまいきにも絵を売り込もうとしていたのだ。
同じように三日に空けず、通っていた紳士がおいでだった。
その店には妙齢の女性が何人もいる。ゆけば笑顔で迎えてくれる。お茶とか、コーヒーが出てくる。長っ尻してても、べつに厭がる風もない。とくにその紳士がくれば、美女がぞろぞろと出てくる。いつもキッチリした身なりで、話す内容にも砕けたところがない。それでいて、ほんわかと春の日差しのように暖かいムードを、いつも漂わせていた。
画廊の近くに ホテル あり、そこで昼を食べたりする。
そのとき店の女の子の一人に聞いたのだが、かれは森本の絵をもっているとのこと。
かなり経ってから、その絵を見る機会があった。
大作である。80号くらいなのかも知れないが、100号以上にも見えた。それを眺めながら、ご主人様の手ずから入れてくれた、コーヒーを啜る。このようにして、絵を見るのが本当の姿なのかと、しみじみと思った。『 この絵はね、図録には載っていない 』 などと自慢げに言っていた。もちろん贋作ではない。作家から直接とか、あるいは画商と一緒に行って購入したのか、その話はずいぶんと時間が経ったので、忘れてしまった。