わたしの里 美術館

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毛皮をまとったエレーヌ・フールマン

2008-11-08 | 作品

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毛皮をまとったエレーヌ・フールマン【ルーベンス】 
Peter Paul Rubens

ルーベンス ( 1577 06 28  - 1640 05 30 )

1638年頃の作品

 

 

 

   十代の頃はじめてこの絵を見たわけだが、鮮烈なるエロティズムを感じた。

 肌のいろの艶めかさと、床に敷かれた赤い絨毯が、ノーブルな響きを醸し出していた。ところが彼女の膝を見ると、脂肪がつきすぎて皮膚もたるんでる。彼の作品では、全部がぜんぶと言ってよいほど、これなのだ。こういう趣味なんだとは思ったのだが、これには同意できなかった。何しろ十代の日本人女性の脚で、あれでははっきりいって太りすぎの脚だ。それも運動不足で不健康なかんじ。

 でも歳を重ねて、まわりの世代は子育てを終えたか、もうそろそろとなっている。すると大体、ああなってくる。エレーヌはこの絵の時分は、若かったはず。しかし当時の金持ち階級の女性は、たぶん運動なんかしなかったのでは。だから膝のあたりが、ああなのは仕方がない。美意識なんテェのは、現実存在への憧れの感覚なのだから、ああなったのだろう。

 さてこのくらいセルライトに悪口を云えば、気が済んだようなもの。これからが本題なのだが、この絵の「絵画的な」魅力の蘊蓄である。そもそも絵には、巧い下手がある。巨匠の絵は当然、ベラボウに巧いわけだ。素人がたとえば、「赤」を使うと絵の具の赤そのままを使う。こうするとこの色価がカンバスから浮き上がって、ただの絵の具の赤になってしまう。作家には作家固有のダイナミック・レンジというモノがあって、色価はその範囲内に納まっている。だから例えば、この絵の真っ赤な絨毯の部分の色をそれだけ分析してみれば、茶色だったりする。

 また形に於いても、すべて輪郭を描いてしまうわけでもない。

 モデルの腰や尻は、毛皮で隠されている。それでも鑑賞者は、その形がイメージできる。ちょうど茶色を見ても、背景の暗さとかと対比してみれば、「これは鮮やかな赤なんだ」とか認識してしまうのと同じように。

 だいたい儂等の世代になれば、この膝もきわめて美しい。このように感じてしまう。

 

 

 

 

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