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とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

うずくまるヴィーナス

2011-01-25 | 彫像

 

うずくまるヴィーナス【彫像】 うずくまるヴィーナス 彫像の索引

 flickr.com

 

 

 

 

 これは大英博物館にある蹲るアフロディーテ。綺麗な女性を見たならば、自分の妻にすると思うのは勝手だが、実行にうつす場合にすでに彼女が既婚者ならば諦めねばならない。台湾の元総統はこのたとえに言寄せて、尖閣諸島の領有をいいつのる愚かしさを戒めた。しかし、他人の女房を奪おうとするのは支那人に限ったことではない。

 バテシバ Bathsheba で書いたが、ダビデ王は自分の部下の妻を一目見て、みそめてしまった。

 残忍で酷薄な策をめぐらして、バテシバを自分の妻にしてしまった。

 

 このような西欧文化の流れの中で鑑賞すれば、彼女の美しさの影にある陰謀の暗さを偲ばれる。

 良人を殺されて、自分はその妻になる。

 

 古代の物語によれば、最初に身ごもった赤ん坊は神の怒りによって、死んだという。そして後からできた子が、かの有名なソロモン王だという。穿ってみれば、最初の子は麾下の武将の子だったかも知れない。つまり物語の中にも、プロットが仕込まれている。

 

 瞞される方が悪い。上手に味方さえも欺いて、自分の思いを遂げることが、地中海の風土の中では、あたりまえのことなのだろうか。一般の民草は羊にたとえられ、教説を垂れる指導者は牧童にたとえられる。異民族同士の抗争に明け暮れ、打ち負かした相手の民族を奴隷としてつかう。このような社会だからこそ、うまれる美意識なのだろう。 

 ルーブルの彫像は頭部を失い、乳房や下腹部を隠す両の手も失われている。

 何かに驚いて振り向く肢体はそのままに、乳房もふくよかな腹部もあらわである。

 

 なにも知らないわれわれは、純粋にトルソの美しさを愛でるのみ。

 

 

 Crouching Aphrodite【Louvre, Paris】

 

 

 

 


うずくまるアフロディーテ

前4世紀から伝わった沐浴するアフロディーテの主題は、女性の裸体を演出するのを好んだ、ヘレニズム時代の芸術家のなかで大成功を収めた。このモチーフは、庭や浴場を飾るためのローマン・コピーにより、頻繁に再現された。この女神は、時にはアムルに付き添われている。サント・コロンブのヴィーナスは、前3世紀におそらくビテュニアのドイダルセスにより制作された、あるうずくまるアフロディーテを表現した、多くの古代の複製品のうちのひとつである。

 

 

うずくまるヴィーナス  

 蹲るヴィーナスのポーズは、股間をとじた姿勢です。これだと両足が一直線上になるため、バランスをとるのが難しい。モデルのようにまたを開けば重心が安定する。しかしこれでは、誘惑のポーズになってしまう。覗かれる視線を感じて膝をとじて、気配をさぐる。バテシバはソロモン王の父ダビデが、強引な手法で奪った愛妃。

 大股をひらいた怪しげなポーズの絵画は、マドモアゼル・オミュルフィが描かせた。目出度くルイ15世の愛唱となったが、ふとした言葉の綾がわざわい。彼女は兵士の妻として、下げ渡された。

 快楽に奉仕するブーシェ はただいま準備中。宜しかったら覗いてください。

 

 


うずくまるヴィーナス

Artist Coysevox, Antoine (1640-1720)
Keywords Neo-Classical Aphrodite Venus accroupie kneeling female goddess agenouillee 
Artwork location Louvre, Paris, France

 

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Beach【Galleries】

 

 

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