わたしの里 美術館

とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

ウルビーノのヴィーナス

2011-01-28 | 作品
information

 

ウルビーノのヴィーナス

 (伊: Venere di Urbino、英: Venus of Urbino)
イタリアの巨匠 ティツィアーノ 1538年に描いた、フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されている絵画。


『ウルビーノのヴィーナス』は、豪奢なルネッサンス風宮殿を背景に、長椅子かベッドに寄りかかる若い女性の絵画で、ローマ神話のヴィーナスを描いた作品とされる。ヴィーナスのポーズは ジョルジョーネ の 『 眠れるヴィーナスSleeping Venus, 1510年頃 アルテ・マイスター絵画館)』 を模倣したものと言われるが、ティツィアーノはさらに官能性を追求した作品に仕上げている。

 

古典的、あるいは寓意的表現(女神であるヴィーナスになんらの属性はなく、想像上の存在)は見られず、異論の余地なく官能美にあふれた絵画である。 このような率直な表現は、描かれている裸身に無関心である鑑賞者にさえ、ヴィーナスは挑発的な視線を投げかけていると言われることが多い。ヴィーナスの右手は愛を表す花束を持ち、左手は画面中央に陰部を隠しながらも挑発するかのように置かれ、寓意画では貞節を意味するイヌはすぐそばで眠って描かれており、その役割を放棄している。

この絵画はウルビーノ公爵グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレの依頼によって描かれた。もともとはイタリアで、伝統的に結婚の贈り物として用いられる家具であるチェスト (en:cassone) の装飾だったのかも知れない。背景に描かれているメイドは、ヴィーナスの衣服を探してチェストを探っているようにも見える。この絵がこれほどまでに官能的に描かれているのは、公爵の年若い花嫁となったジュリア・ヴァラノへの「教育」を意図したものではないかという推測もある。1997年にこの絵画がなにを意味しているのかを考察した論文「Sex, Space, and Social History in Titian’s Venus of Urbino.」が、近代美術史家のローナ・ゴフィンによって発表された。


毒舌家、皮肉屋でも知られる文豪マーク・トウェインは、1880年に旅行記『ヨーロッパ放浪記 (A Tramp Abroad)』で『ウルビーノのヴィーナス』のことを「全世界に存在する絵画の中で、最も下品で下劣でわいせつな絵画である」、「オスマン帝国の奴隷監獄向けにでも描かれた代物で、あまりにも下らない絵だったので受け取りを拒絶されたのだろう」と書き、さらに皮肉を込めて「他のどこに飾るのにもばかげた作品だから、美術館に飾られているに違いない」とまで書いている。

 
『オランピア Olympia』マネ 1863年『ウルビーノのヴィーナス』は後世の画家であるエドゥアール・マネに影響を与え、『オランピア (Olympia, 1863年 オルセー美術館蔵)』ではヴィーナスが売春婦に置き換えられて描かれている。

文学では、この作品はサラ・デュナントの小説 『In the Company of the Courtesan』 の登場人物である売春婦の原型となった

 

 

1530年から1550年にかけての時期にティツィアーノは『聖ペテロの殉教』に見られるような劇的で物語性の強い作風を確立した。ヴェネツィア共和国政府はドゥカーレ宮殿の絵画制作が遅々として進まないことに不満を持ち、1538年にそれまでティツィアーノに支払った賃金の返還を求めている。そして、ティツィアーノの後継として、ティツィアーノの競争相手とみなれてきたイル・ポルデノーネ (en:Il Pordenone) を任命した。しかしながらこの年の終わりにポルデノーネは死去し、議会堂の『カドーレの戦い』を仕上げていたティツィアーノが宮殿の絵画制作者に再度任命された。『カドーレの戦い』はヴェネツィア共和国の傭兵隊長バルトロメオ・ダルヴィアーノ (en:Bartolomeo d'Alviano) が騎乗して敵陣に突撃し、次々に敵を撃破する場面が等身大に描かれた絵画である。この作品はティツィアーノが、ラファエロの『コンスタンティンの戦い』に刺激を受けて描いた荒々しく壮大な絵画という意味で非常に重要な作品だった。さらに、どちらも未完成に終わったが、ミケランジェロの『カッシーナの戦い』やレオナルド・ダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』もこの作品に影響を与えていた可能性もあった。しかしながら1577年にドゥカーレ宮殿は大火に遭い『カドーレの戦い』をはじめ、ヴェネツィアの芸術家たちの貴重な絵画は全て焼失してしまっている。現在『カドーレの戦い』はウフィツィ美術館に粗悪で未完成の模写とフォンタナの手による平凡な版画が残るのみである。1541年に描かれたプラド美術館所蔵の『デル・ヴァスト侯爵の演説』も火災によって一部損傷している。『カドーレの戦い』のオリジナルは焼失してしまっていたが、後年のボローニャ絵画会とルーベンスに、細部の書き分けや、馬、兵士、リクトル、沸き立つ群衆、燃える松明、空高く翻る旗印などの表現に大きな影響を与えた。

この時代にティツィアーノはローマを訪れており、横たわるヴィーナスをモチーフとした連作を描き始めている。ウフィツィ美術館所蔵の『ウルビーノのヴィーナス』と『愛のヴィーナス』、プラド美術館所蔵の『ヴィーナスとオルガン奏者とキューピッド』である。これらの絵画はローマで古代彫刻を見聞したティツィアーノが、その表現手法やアイディアに影響を受けて制作したものである。ジョルジョーネの作品で、ティツィアーノが完成させたアルテ・マイスター絵画館所蔵の『眠れるヴィーナス』で同じく横たわるヴィーナスという構図を使用しているが、『眠れるヴィーナス』では背景に描かれていた風景画が『ウルビーノのヴィーナス』では暗紫色のカーテンに置き換えられ、作品全体の色調の統一が図られている。

 


わたしの里 美術館    わが郷 HOME 

 

 

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。