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とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

Ursula Andress

2008-11-10 | Talent

 


 Ursula Andress (Wikipedia)

ウルスラ・アンドレス

Ursula Andress,   1936年3月19日 -
映画女優。スイスのベルン出身。007 シリーズの初代ボンドガール。

※ 以前はアーシュラ・アンドレスと表記されていたが、現在はほぼウルスラ・アンドレスで統一されている。

 

 略歴 外交官の父ロルフ・アンドレス、母アンナはともにドイツ人。5人の姉弟がある。16歳の時、美術留学生としてパリへ渡る。翌年、ローマへの旅行中に映画関係者にスカウトされ、1954年の 『Le Avventure Di Giacomo Casanova 』 でデビュー。

 

背筋の寒くなる、「狂人日記」ですね Dr. No     お色気中毒なら可愛いが、人殺し中毒では。

 

 

イタリアで何本かの低予算映画に出演した後、ハリウッドへ招かれたが、当初は英語が不自由でしばらくは役がつかないまま、1957年に俳優のジョン・デレクと結婚した。

筋肉質な大型グラマーぶりと独特の美貌を買われ、彼女の声のみ吹き替えで 1962年に 『 ドクター・ノオ 007 』 の初代ボンドガールのハニー・ライダー役に抜擢されてから人気が出る。1964年度の「Most Promising Newcomer - Female Golden Globe」に選ばれ、PLAYBOY誌でヌードになるなど、セックス・シンボルの地位を確立した。


1965年に 『カトマンズの男』 で共演したジャン=ポール・ベルモンドと熱い仲になり、1966年にはジョン・デレクと離婚。その後もドイツ語、イタリア語、フランス語、英語の4カ国後を操る語学力を活かして、ハリウッドのみならずヨーロッパ映画にも多数出演している。

1980年の 『タイタンの戦い』 で共演したハリー・ハムリンとの間に1982年に未婚のまま男児ディミトリを生む。現在、イタリアに在住。2008年、自分が骨粗鬆症であることを公表した。

 

 

 

 

 

 プライベート

ロマンスも多彩で、前述のジョン・デレク、ハリー・ハムリン、ジャン=ポール・ベルモンド以外にも、マーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ショーン・コネリー、ジョン・デローン、デニス・ホッパー、マルチェロ・マストロヤンニ、ライアン・オニール、ウォーレン・ベイティ、ピーター・オトゥール、ヘルムート・バーガー等の数々の男性遍歴がある。

 

 

 

 

 

 

 主な出演作品

007 ドクター・ノオ Dr. No (1962)
アカプルコの海 Fun in Acapuluco (1963)
テキサスの四人 4 For Texas (1963)
炎の女 She (1965)
何かいいことないか子猫チャン What's New, Pussycat ? (1965)
カトマンズの男 Les Tribulations d'un chinois en Chine/Les Chinese Adventures in China (1965)
華麗なる殺人 The Tenth Victim (1965)
ブルーマックス The Blue Max (1965)
007 カジノ・ロワイヤル Casino Royale (1966)
サファリ大追跡 The Southern Star (1969)
レッド・サン -Soleil rouge (1971)
アフリカ特急 Africa Express (1975)
サファリ特急 Safari Express (1976)
ホウリー・マウンテンの秘宝/密林美女の謝肉祭 Mountain of Cannibal Gods (1978) DVDタイトル『食人伝説』
ピンクのルージュ Tigers in Lipstick(1979)
タイタンの戦い Clash of the Titans (1981)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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