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とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

砂の器

2011-08-20 | 映画など

 

そうとうの思い入れがあって作られたのが、テレビドラマの「砂の器」だったのだろう。その豪華な配役からうかがえる。

制作する側からすれば、これはきっと記録に残る名作でなくてはならぬ。

 

しかし是、純粋日本人の左近尉から観れば、在日の心情を色濃く描いただけの、凡作である。

恩義を受けた元警察官を、おのれの出自を隠したい、その一心だけで絞殺してしまう。そのうえ、殺人の被害者の身元を判らなくするために、顔面を石で叩いてぎちゃぐちゃにする。この狂気が日本人には理解できない。ただし是に、「己らは朝鮮半島から無理矢理拉致されてきて、強制労働させられた。その被害者の末裔だ。」とかの嘘で固めたお話を、補助線としてその心情を斟酌すれば、そのようなプロットも成り立つのかな、とか思えばおもえる。しかし是、やっぱり朝鮮系は怖いよね、という侮蔑にも似た感情が湧きあがるのを、おさえきれない。

在日朝鮮人の勝手な犯罪心理を描いただけの、凡作がこのテレビドラマ 「砂の器」 なのだろう。

 

ただし、在日朝鮮人の犯罪心理を探る上では、またとない一級の資料ではある。 

 


ノーベル平和賞

 

左近尉の学生時代は、1970年代安保学園闘争の真っただ中であった。

最初の年は普通のノンポリ学生で、混成支部合唱クラブでのんびり歌なんぞをうたっていた。

 

それが次の年ごろには、どうしてもいたたまれずに、学生運動に近づいて行った。

今から思えば、あの過激な運動の中核にいたのは、在日朝鮮人系の活動家だった。ならば、今時のネットで言うところの「サヨク」である。まあ一般には、このように看られてしまう。のだが是は間違いで、ホントはあれこそが左翼運動だったのだと思う。そしてその真実を隠すために、サヨク・マスコミがでたらめな歪曲をほどこして、ニュースを流した。

当時の社会党や日本共産党も、ベトナム戦争には反対していた。

しかし過激派の戦いは、公道でのジグザグデモとか火炎瓶を使用した運動で、既成サヨクのそれとは一線を期していた。

議会制民主主義と議会を暴力で転覆させる過激な戦い。この戦いは、あと一歩で国会が占拠されてしまう。このリアリティは確かにあった。日本の場合はデモ鎮圧に、軍隊が出動することはない。過激な運動の対抗勢力は機動隊という警察であった。これを排除すれば、国会突入などあっという間に実現してしまう。そのリハーサルが、東大の安田講堂占拠などだったのだろうか。左近尉はその実行部隊の闘士と、じっくりそのことに関して話し合ったことはない。なので何とも言えない。わが大学でも大学の本部が学生によって占拠された。この占拠に当初からかかわったわけではないので、その目的は聞いたことはない。ないが、闘争のひとつの、鮮烈な表現手段だったことは、実感できた。

その中に出入りしたり、機動隊と衝突するようなデモに参加したりして、彼らセクトの闘士たちとも友人になっていた。

  『 帝国主義 』 を粉砕するぞ おおおお~。

 

その彼らが使う言葉に、理解できない判然としない言葉があった。

「あいつらは、スタだ。」

とか彼らは、民青とかの活動家を、そう呼んだ。

そして「男はつらいよ」の山田監督のことも、「スタ」 と侮蔑を込めて言い捨てた。

松本清張なんぞは、スタの親分格らしかった。

 

当時は思想的に、ソ連共産党のシンパをそう呼ぶのかとも思った。

詳しく聞けば、かれら真正過激派の闘士たちは、口をつぐんで言いよどむ。

 

今になって思い返せば、朝鮮系のニホン人で政治とか文化面で、活動している者たちを、どうも彼らのうち純粋日本人は、スタと呼んでいたのかもしれない。今にして思えば、「朝キムチ丼」に記した朝鮮系の姓名を彼らは名乗っていた。ネットを渉猟してチェックしてみればよい。著名な活動家とか、ゲバ闘争での死者を見れば、そのような名があふれている。朝鮮系のサヨク文化人とか政治家。あるいは学生運動の活動家。この人たちは、左翼思想を信奉しているかのようではあるが、左翼思想は単なるお飾りで、自分らは戦後進駐軍支配の、裏からの補完勢力にすぎない。その茶番劇のエキストラにしては、多すぎるくらいのおこぼれを頂いている。

 

 

 

今にして思えば、あの戦いは戦後第一世代、つま親たちの怨念を引き継いだ、その熱き血潮が奔流となってアメリカに奪われた日本人としての矜持をとりもどす戦いだったのだろう。日本共産党や当時の名で社会党には、上辺は左翼だが中身は幻想的な偽りの戦後民主主義の補完物、つまり 「サヨク」 には決して出来ない、ラジカルな戦いがあの運動には内包されていた。それで沖縄の施政権は奪い返した。

これからは北方領土つまり千島列島全部と、樺太の南半分をとりかえす。

この戦いがまっている。

 

その前には、戦後占領憲法を屠らネバならない。

 (ところでたかがサヨク自民党の、その言動をトレースして賛美する、その程度のウヨクなんてぇのは、右翼でもなんでもない。ただの腰抜けの能無しにすぎない。日本が真に独立するには、こいつらは邪魔なだけの存在でしかない。)

 

 

 

 テレビドラマ 『砂の器』 ストーリ

 

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