わたしの里 美術館

とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

二人の少女

2007-04-25 | 作品

 

 

 青木繁

 

以下は、ネット拾い読み

体に不似合いなほど大きな和傘をさし、首をかしげおしゃまに構えた少女。自分も傘をさしてみたいのでしょう、姉の横でねだるように一心にじゃれつく妹が実に愛らしく描かれています。こちらになげられた少女の視線は、無邪気なようでいて大人びた表情を合わせ持ち、少女の中にうつる大人の女性の姿に、見る側はふと緊張を覚えます。

日本近代洋画の偉才とも呼ばれた画家・青木繁は、1889年、福岡県久留米市に生まれました。父の反対を押し切って東京美術学校に入学した青木は、在学中の1903年に白馬会賞を受賞し、その名は早くも画壇に知られるようになります。翌年には代表作となる「海の幸」を発表し、さらなる注目をあつめました。しかし、父の死後、家族と絶縁状態になってしまい、放浪の旅にでるのです。その足は、中学時代の美術教師、洋画家・森三美のもとへ向かい、しばらくそこで集中した制作をしています。この作品は、その頃に描かれたもので、モデルとなっているのは森三美の愛娘です。
その後、青木は肺患をわずらい、1911年、28歳でこの世を去りました。 ( 笠間日動美術館学芸員便り )

 

 佐賀に来た彼は異様な風体をしているが、お訪ねしてよいかと書面で先触れして小学校時代の恩師森三美を訪ねている。どこで求めたのか釣をして来たと言って一尾の魚を提げて訪れたのであるが、それから暫時森宅に滞在した事になっている。何日間居たのか或いは何カ月間森の居候をしたのかは詳かでない。
 森宅を出てからずっと佐賀に居たのは確かであるが、どこに居たのか下宿もはっきりせず居所は全く不明である。或いはこの時から妙安寺の一室を借りたのではないかと思われる。
 森宅滞在中に画いた作品「二人の少女」は森の令嬢をモデルにして制作したものであり、S. AOKI 1909とサインが書き込まれている。誠に華麗な均斉のとれた画である。いい作品であるが、保存が悪くて明るい色調にややくすみが出ていると伝へられているが、私は現物を見ていないから何とも言へない。日傘をバックにした、無邪気な少女の構図はいかにも可憐で写実の魅力が全画面に横溢しているのを感じる。 ( 洋々閣 青木繁と佐賀 )

 

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