蒼い空の下で

文系男子の何気ない1日を記します。

福井県選抜物語⑤~15年前の夏に見た高校球児へ~

2019-11-21 23:47:43 | 県選抜
U15軟式野球中日本交流彦根大会-
台風19号の影響で、大会の中止や規模縮小も考えられた。
これについては、代表からも幾度の連絡があった。
正直、中止をも覚悟した。
しかし、私はこんな状況であっても少なからず決行を願っていた。

全体LINEの中でも代表にそうお願いをした。
その事に十分理解をしてくれていた。

子ども達が喜ぶならば、我々保護者はどれだけ苦労をしても構わない-
これが全会一致の考え方だった。
こうした考えが、みんなの願いを通させてくれた。
この2日間、福井からはたくさんの応援が訪れた。
我が家もそうだったが、祖父母の姿も多く見受けられた。
これが中学生最後となる軟式野球。
以前は、部活を終えた時点で硬式球を買ってやりたいと思っていた。
しかし、県選抜のお陰でその考え方が変わった。
誇りを持って1日でも長く軟式球を握ってほしい。
そう願うようになった。

阪神選抜との試合は気の抜けない、しびれた試合だった。
それは、星稜の時と全く同じように感じられた。
なかなか結果が残せない蒼空だったが、それでも監督は最後まで辛抱強く出し続けてくれた。
夫婦としてはそれが何よりも嬉しかった。

『人は何も言われなくなった時や見放された時が悲しい時。私は絶対に君達にそうはしない』
監督が子ども達にこう言っていたことを覚えている。
この2か月半。
私達夫婦は、人の想いに応えられるような人に成長してほしいと願っていた。
福井県選抜の集大成は優勝で幕を閉じた。
後に代表は、このように言ってくれた。
今回の選抜チームは、過去のチームよりも強かった。と。
そして、もしも都道府県対抗に出場していたら、おそらく上位に進出していただろう。と。

そこから1か月後、福井県選抜の慰労会が行われた。
主将を務めた陽歩の父親が発起人となり、それは実現した。
これまでの話題を時間が許す限り、みんなで語り合った。
最後は記念写真を撮り、いい笑顔で締めくくった。
そして、これで本当の解散となった。

2019年11月18日-
「なぁ、ちょっと来て」
仕事から帰るなり、妻がそう言ってきた。
どうせ大したことではない。
しばらく放っていたが、あまりにもしつこいので近づいてみた。
すると、スマフォを片手にある動画を見せ始めた。
そこに映し出されていたもの。
それは2005年選抜大会での福井商の映像だった。
1回戦の新田に勝利して校歌を斉唱していた。
聞き覚えのある校歌が流れる中、整列した選手が1人ずつ映されていく。

笑顔で大きく口を広げて歌っていた1人の高校球児-
15年前の夏に見たあの高校球児の姿が確かにあった。
「これが監督やで。たぶん。」
私の声に反応した蒼空が寄ってきた。
「ほんまや。今のままの顔や。」
家族みんなが笑顔になった。
そして喰い入るように何度も何度も繰り返し見た。

足早に過ぎ去った夢のような2か月半。
それが嘘のように、そこはいつもの我が家の光景に戻っていた。

                       おわり
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福井県選抜物語④~再び原点の場所へ~

2019-11-20 23:21:04 | 県選抜
その数13個。
私のスマフォに入っている天気アプリの数だ。
よく失笑された。
野球部の試合が雨で中止になる事が多く、いつも気にしていた。
晴れ予報を出してくれる天気アプリ。
それを見つけては、信じて願った。
ある時、県選抜のある保護者にその話をした事があった。
すると「分かりますよ」と賛同してくれた。

県選抜の日程で雨天中止になったのは1度だけ。
9月21日に予定されていた練習試合。
ただそれだけであった。

これまで私は、監督が子ども達に話す内容をなるべく聞くようにしていた。
甲高く大きな声だったので、特に聴き耳を立てる必要もなく話は耳に入ってきた。
それは、社会人の私達にも共通する事が多く、よく夕食時にはその内容を話題にしていた。
毎日がこうした県選抜の話題で持ち切りになる日々。
監督の話題になる事も少なくはなかった。
言い忘れていたが、代表と監督は親子。
共に教育現場で活躍され、共に元甲子園球児である。
と言う事で県選抜には、18組の親子の他にもう1組の親子が存在する。

2019年9月28日-
石川県の星陵中へ遠征する。
高確率の雨予報だったが、金沢市付近で雨雲が分散して奇跡的にも雨が回避された。
我々も毎日練習が出来る環境だったらと少なからず思いながら見ていた。
こうした中、星稜打線を力でねじ伏せた福井の投手陣。
見ていて気持ちのいいものだった。

10月の最終練習を前に、秋らしさを感じるようになった頃。
練習会場は万葉中グラウンドと案内があった。
ここはセレクション会場になった場所。
感慨深い想いを抱きながら、その日を待った。
2019年10月6日-
この日、向かう途中で色んな想いが蘇った。
高速から見える山々が少しずつ赤らんでいた。
やや日差しが陰ったようにも感じられた。

こうして蒼空を連れて廻るのは、小さな頃から慣れていたが、当初は面識のない集団へ行くといった感覚だった。
だが今は違う。
親子共々、仲間のいる場所へ行くといった感覚へと変わった。

最後の練習は、新聞社の取材を受けながら進んだ。
西日を浴びながらの練習。
日暮れが進むにつれ、肌寒さを感じた。
また、秋になった風景をも感じ取れた。
そして、解散が迫った事も改めて感じ取った。
翌週の中日本大会に向けて配られた背番号。
それは、第1期生が全国優勝を果たした時に付けていたものだった。
それぞれに手渡された背番号。
それぞれに想いが込められていた。

最後の練習を終えた。
子ども達は、屈託のない顔でいつも通りに挨拶を交わす。

byebye-
当初は、親しくなった証拠だと喜んで見ていたが、この時だけは違った。
いよいよ次週に訪れる解散。
そう思うと、この挨拶がやけに寂しく感じられた。

                   つづく
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福井県選抜物語③~みんなが思えた充実した日々~

2019-11-19 23:14:55 | 県選抜
選抜メンバーの名前を暗記する日々。
我が子の仲間である以上、1日でも早く覚えたいと思っていた。
その影響だろうか。
私の様子を見ていた次男坊も全員の名前を覚え始めた。

2019年8月13日-
念願だった「Fukui」のユニフォームに袖を通す。
お盆を目前にした練習試合。
県3位の粟野中を相手に勝利し、京都大会に弾みをつける。

試合後、太朗は甲子園へと向かった。
この日は、第4試合で敦賀気比が国学院久我山と対戦した日だった。
母親によれば、平沼翔太を擁した頃の敦賀気比に魅了されたという。
黙ってはいたが我が家も全く同じだった。
我が家もその頃の敦賀気比に惹かれ、これまでに何度も甲子園に行った。
選抜チーム発足と同時に、練習日記が全員に課せられた。
それは、結団式の日から解散式まで続く。
「最初は少文であっても次第に書けるようになっていく」
監督の言う通り、蒼空にも少なからず変化が見られるようになった。
自分は、この中で一番下手。
当然だが、やれる事はやっておかなければならない。
帰宅後、グラウンドで練習をして過ごす日が続いた。

京都府中学生親善大会-
直前の台風通過で心配されたが、予定通り2日間開催される。
初めての背番号は、五十音の名簿順に配られた。
今大会の失点は0。
頭一つ抜き出た投手力を従えたのが優勝の要因だった。

18人の内、16人が各校で投手をしていた面々。
その中から選抜チームで投手に登録されたのが6人。
そして、そこからマウンドに上がれたのが5人。
福井が誇る投手陣を軸に掴んだ栄誉だった。
2019年8月19日-
蒼空が小学校時代にバッテリーを組んでいた星輝が海を渡った。
NOMOジャパンに選出され、ロサンゼルスで1週間ほど過ごす。
貴重な体験、そして個人でも良い結果を残して戻ってきた。

日々、充実かつ嬉しくなる様子が伺えてくる。
京都大会を機に保護者の繋がりが見て分かるようになった。
来れなかった保護者にも知ってもらえるようにと写真や試合結果が共有され始め、大人たちの絆も少しずつ強くなっていった。

9月に入ると各校で学校行事が目白押しとなり、練習に参加できない子も多く出てきた。
選抜チームは、学校行事や勉学を優先する。
野球を通じての成長-
目先ではなく、その先を見据えた考えや行動の大切さを監督からよく言われ続けた。
9月の3連休に実施された大阪宿泊遠征は、残念ながら全員参加とはいかなかった。
しかし、参加したメンバーは寝食を共にする事でより一層の絆が深まった。
遠征先の試合も難なく勝利。
選抜チームの結束から負けなしの9連勝。
応援に行った保護者も行けなかった保護者もLINE上で一緒に喜んだ。

この18人が一緒の学校に進学したら甲子園出場も夢ではない-
選抜チームの発足から1か月半が経過。
充実した日々が続く傍ら、このままの時間でずっと止まっていてほしいと願う私が少なからずそこにはあった。
                      つづく
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福井県選抜物語②~「宿命」の曲から過る情景~

2019-11-18 22:50:45 | 県選抜
2019年8月3日-
この日は、貸し切った県営球場での結団式と試合。
期待と不安を抱きながら自宅を出発した。
県内一円から選出された18人。
到着した者から球場に入っていく。

付き添った家族はバックネット裏の別室へと招かれた。
そこでセーレン野球部との試合を観戦し、そして結団式を行う。

温厚そうな1人の男性が保護者を誘導してくれた。
この人こそが県選抜の代表と呼ばれる人。
この活動に尽力してこられた「おじいちゃん的」な存在と言える方だ。
試合が終わると、監督が保護者の前に来てくれた。
直接的な面識はないが、なぜか親近感が湧いてくるようだった。
15年前の7月27日を見ていたからこそなのか。
不思議な縁を感じながらも監督の挨拶を聞き入っていた。

ほぼ別々の学校から集められた18人。
初日の活動を終えた頃には、親しげにする姿も見られた。
野球をしている時は、大人びた様子にも見えるが、それを除けばただの15歳。
まだ子どもである。

帰り際、「バイバイ」の声があちこちから聞こえてくる。
これは親身になった証拠。
何も心配する事はなかった。
8月17~18日にある京都親睦大会。
北信越大会を終えた三国中の4人も選抜チームに専念できるようになった。
こうした中で、それまでのわずかな期間でチームを作り上げていくこととなる。

練習の会場は、中間位置にある南越地区。
南条中のグラウンドを借りて練習は行われる。
official髭男dismの「宿命」を聞きながら高速道路を走行した日々。
今でもこの曲を聞くとあの頃の情景が過ってくる。

「遠方からなので大変ですね」
こうした気遣いの言葉を掛けられた事もしばしばあった。
私は頭が悪いのか、大変や嫌と思った事はなかった。
むしろ楽しかった。
蒼空には、これまで野球を通じてたくさんの経験をさせてもらってきた。
嫌な事など何一つとも見当たらない。
どんなに忙しくても感謝しかなかった。
まだ8月の暑い時期の練習。
グラウンドを正面にした河川敷が懐かしい。
桜並木を木陰にして、達輝の父親や涼平の父親と椅子を並べながら練習風景を眺めていた事を思い出す。
練習中、時には檄が響き渡った事もあった。
こうした時には、その時に何が足りなかったのかという説明も欠かさずにあった。
それを耳を澄ましながら聞いていた事もあった。

年齢の離れた兄貴のような存在-
一歩、野球を離れれば冗談も言い合う仲。
監督と18人の子供達との関係をこのように見て過ごして来たのであった。
                       つづく
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福井県選抜物語①~運命が動かした時計~

2019-11-17 22:46:57 | 県選抜
2004年7月27日-
里帰りしていた妻が、早朝に陣痛を起こした。
予定よりも14日早い。
義母が付き添ってくれたが、連絡を受けた私もすぐさま産婦人科へ駆けつけた。

夏本番を迎えようとする時期。
暑かった事を今でも思い出す。

初産という事で長丁場を余儀なくされた。
陣痛室で痛みに耐える妻。
男は無力。
何もしてやれる事がない。
こんな中、病院の食堂でテレビを見入る。
気休めで眺めたテレビ。
そこに映っていたのは高校球児の姿だった。
若狭と福井商が甲子園を掛けた福井県予選の準決勝。
妻の事を気に掛けながらも、義母とらーめん定食を食べながら見ていた。

試合は、8回の中前打で若狭が逆転に成功する。
9回に追いつくも、福井商はその裏にサヨナラ負けを喫した。
福井商の決勝進出が20年連続で途切れた、そんな年だった。

この試合、福井商には2年生のある選手が出場していた。
相手の打球にあと一歩届かず、責任を感じたと後にある記事で知った。
来年、この借りは絶対に返す-
練習着の袖に「2004年7月27日の涙を忘れない」と縫込み、練習に励んだ。
そして翌年、春夏連続で甲子園の土を踏む事となる。

福井商が敗れた翌日、陣痛に耐えた妻が元気な男の子を産んでくれた。
蒼い空のような大きく澄んだ人になってほしい。
産まれてきた子にそう願いを込めた。

この年から15年後。
福井県中学校軟式野球選抜という思い掛けない運命に導かれる。
2019年7月27日-
今から15年前、病院のテレビで目にしたあの高校球児。
県選抜の指揮官となり、15年後の7月27日の県選抜セレクションで出会う事となる。

そして、ここから18人の少年達が福井県を背負う事を学んでいく。
2004年度、2005年度に続く3度目となる結成。
この日を境に14年間止まっていた福井県選抜の時計がゆっくりと動き始めたのであった。

                          つづく
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