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蛭子能収さん“チョンボ”麻雀賭博で現行犯逮捕!
漫画家・蛭子能収さん(51)のギャンブル好きは有名な話。ラスベガスのカジノに繰り出したり、3度の飯よりパチンコが好きだと豪語したり…。競艇で、蛭子さんが倍率の高い舟券を広く買うことから付いた買い方の名前が「蛭子買い」。その“功績”を買われてか、地元・長崎の大村競艇場で「蛭子能収杯」という冠レースも開催された。06年に19歳年下の女性と再婚したが、初デートに誘った場所が多摩川競艇場。当日の予想は外したが、お嫁さんはゲットしたという根っからの“ギャンブラー”なのである。
その蛭子さんが麻雀賭博の現行犯で逮捕されていたことが発覚した。「暴力団関係者が賭博をしている」との情報を受け、11月20日に碑文谷署員が東京都新宿区内の麻雀店に踏み込んだところ、そこにいたのが蛭子さんだった。従業員ら7人を賭博開帳図利、蛭子さんら客14人を賭博の現行犯で逮捕。暴力団関係者はかかわっていなかったという。
いつもはひょうひょうとした受け答えをする蛭子さんが、神妙な顔つきで記者会見を開いたのは、事件発覚の翌日。警官が突撃してきた瞬間、蛭子さんは「何事か」と思ったが、すぐに家宅捜索だと分かり「これでテレビに出られなくなる」と血の気が引いたという。摘発を受けた麻雀店には「週2回ほど通っていた」常連さん。「仕事帰りの2時間ほどを使って、麻雀をするのが大好きだった。いつも1人で行っていたが、特に悪質な店という印象はなかったという。
逮捕当時は短時間で勝負がつく「東風戦」の2局目に入っており、西ドラ3(満貫)で上がる寸前。1000点200円の安レートだったが、蛭子さんは3万6000点でトップ。「いつもは負けることが多いのに、その時は9000円ほど勝っていた」(蛭子さん)。雀卓には、勝ち分の9000円とゲーム代のおつり9000円の計1万8000円が置いてあったが、あえなく没収。手錠こそ掛けられなかったものの「13」と書かれた番号札を首から掛けられ、そのまま警察署に連行された。
そのまま翌朝5時半までの約10時間、事情聴取を受けた。逮捕当日の夜に娘と会う約束をしていたため、捜査員立ち会いの下で電話を掛けに行くと、署員から「何だ、お前逮捕されたのか」とからかわれ「地獄のような感じでした」。
蛭子さんいわく「賭博という意識はなく、小遣い銭で遊んでいるつもりだった」「(人気が上昇したり、家を新築するなど)いいことばかり続いていたので、バチが当たったのかと思った」。その上で「ギャンブルの中では麻雀が一番好きだったが、今は牌も握りたくない。今後は公営ギャンブルだけにします」と“麻雀断ち”を宣言した。
蛭子さんは略式裁判で10万円の罰金を支払った。「前科が付くことを知って驚きましたけど、日本人の10人に1人は前科者と聞いて、なんだかホッとしました」。4カ月間芸能活動を経て、表舞台に再登場する際は、丸刈りにして反省の意を示したが、実際に“麻雀断ち”したかは怪しいところだった。
事件から3カ月後の99年1月、蛭子さんは月刊誌「近代麻雀オリジナル」2月号(竹書房)で、麻雀賭博の合法化を“提案”している。「このまま行くと、誰でも捕まる可能性がある」との危機感から、訴えたのは以下3点。
(1)賭け麻雀の合法化
(2)合法化と引き換えにゲーム代の一部を税金として納める
(3)ギャンブルは大人の遊び。個人の責任で遊ばせてほしい
正直、実現される可能性は極めて低いが、“心おきなく麻雀をやらせてくれ!”という蛭子さんの熱~い“ギャンブラー魂”だけは、よく伝わってくる。http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special/calender/calender_200912/KFullNormal20091201000.html
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