我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

ポルポト政権を支援した、支那の責任

2009年11月19日 | 記事紹介

THE TEIKOKU DENMOH SHOW

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/manchu5.html

 

 

 記事の紹介(抄出)です。

り返しになりますが、支那は「満州国」を、

日本が「中国」の固有領土である満州を軍事占領・分断して作り上げた「傀儡国家」である

として「偽満」(偽満州国)と称し、れっきとした「独立国」だった歴史的事実自体を否定しています。確かに、「満州国」の建国に当時の日本(関東軍・日本政府・満鉄等)が深く関与した事は事実です。しかし、だからと言ってその事で「満州国」の存在自体を否定し、「日本の傀儡国家」として一蹴してしまうと言うのは、余りにも短絡的です。と同時に、「満州国」が日本の「傀儡国家」であり、日本は「満州国」問題で「中国」に対する「道義的責任」があると言うのであるならば、支那自身も「別の問題」に対する「道義的責任」があると言う事になるのです。そして、支那の「別の問題」に対する「道義的責任」は、「満州国」における日本の「道義的責任」等、遙か足元にも及ばないものなのです。しかし、支那はその「別の問題」に対して、今以て「道義的責任」の精算をしていません。いや、むしろ、関わり合いを避けていると言った方が妥当です。と言う訳で、今回は脇道に逸れますが、支那の「別の問題」を通して、「満州国」について論じてみたいと思います。

1975(昭和50)年4月、場所はカンボジアの首都・プノムペン。北ベトナム正規軍(共産軍)の支援を受けた「クメール-ルージュ」(Khmer rouge:「紅いクメール」の義,通称「ポル=ポト派」)が大攻勢をかけプノムペンは陥落、時の親米 ロン=ノル政権(クメール共和国)が崩壊しました。そして、翌1976(昭和51)年、ポル=ポト派の指導者・ポル=ポトが首相に就任、ここに、極端な共産主義を標榜したポル=ポト政権(民主カンプチア)が成立したのです。ポル=ポト派によってロン=ノル政権が崩壊した直後、市民達は「これで内戦が終わり平和な時代が来る」として、政権の座に着いたポル=ポト派とその指導者であるポル=ポト首相を歓迎・支持し、そして、期待しました。しかし、ポル=ポト政権は市民の期待を大いに裏切り、カンボジアに更なる混乱と闇黒の時代をもたらしたのです。

ル=ポト政権は、首都・プノムペンを始めとする都市部に住む住民を農村に強制移住させ、荒地開墾等の土木事業や集団農業化の名の下に強制労働に駆り立てました。又、時代錯誤も甚だしい貨幣・市場の廃止を断行し、経済を破壊。更には、スターリンの独裁や毛沢東の「文革」(文化大革命)に勝る共劣らない狂信(カルト)的な政策を進めました。それは、「知識は敵である」として、「オンカー」(「組織」の義)による恐怖政治体制の名の下に、医師・教師・技術者・官僚・芸術家等の知識人・文化人を始めとする数百万人もの国民を粛清・虐殺(犠牲者数は一般に300万人から200万人と言われているが、正確な数字は不明)ポル=ポト政権下のカンボジアをして「キリング・フィールド」(Killing field:「虐殺地帯」)と言わしめる所以(ゆえん)となったのです。

1979(昭和54)年1月、ベトナムに亡命していたヘン=サムリン率いるカンボジア救国民族統一戦線がベトナム軍の支援を得て、プノムペンを攻略。ここに、ポル=ポト政権は崩壊し、新たに親越のヘン=サムリン政権(カンボジア人民共和国)が成立した訳ですが、ポル=ポト派は北部の密林地帯に移り、シハヌーク派・ソン=サン派と共に反越三派連合(民主カンプチア)を結成、1993(平成5)年に新生カンボジア王国が成立する迄、武装闘争を繰り広げたのです。さて、ポル=ポト政権成立当時、人口およそ800万人と言われたカンボジアにおいて、政権崩壊に至る僅か四年余で100万人もの国民を虐殺・餓死させ、その他の犠牲者も含む総数が、実に全人口の3割にも相当する200万人から300万人と言われる現代史上稀に見る犯罪を犯したポル=ポト政権ですが、そのポル=ポト政権を陰に日に支援していたのは、他でも無い「中国」(支那)なのです。

(以下は省略します。全文は冒頭 URLをクリックして下さい。)

 記事の紹介(抄出)終わりです。

 

 

我が郷……』の本日記事へは、  をクリックしてお進みください。


 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ミシュランガイド東京」3... | トップ | カンボジア:ポル・ポト政権... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

記事紹介」カテゴリの最新記事