丸山 和也 (まるやま かずや)
経歴
1946年兵庫県生まれ。69年早稲田大学法学部卒業、 上級職試験合格後法務省を経て、 70年に司法試験に合格。 76年4月渡米。ワシントン大学ロースクールに入学し卒業(LLM)、 その後ロサンゼルスの法律事務所に3年間勤務。 80年に帰国、企業間の紛争・交渉等を中心とした国際法務を得意とする他、 各種特許紛争および個人の問題も幅広く取り組む。 現在、「丸山国際法律事務所」代表、参議院議員(2007年7月当選
(politician)
2016 02 20 丸山議員の皇室廃止論 【「国家戦略特区」blog】
2016 02 20 惚けちゃったン、ですか。 【わが郷】
特徴・エピソード (politician) のつづき
2000年から日本テレビ系の『行列のできる法律相談所』に出演し、広く知られるようになる。2005年6月26日の同番組において、『24時間テレビ28』(同年8月27日・28日放送)のチャリティーマラソンランナーになることが発表された。
第21回参議院議員通常選挙に、自由民主党公認で比例区で出馬し、270,754票を獲得し、自民党内では4位で初当選した。
2007年4月8日投票の東京都知事選挙に立候補のための書類を入手し、一時は動向が注目されたが、現実的には解決困難な事情が数多くあるとして立候補を断念した。
同年7月の第21回参議院議員通常選挙に、自由民主党公認で比例区で出馬し、270,754票を獲得し、自民党内では4位で初当選した。この参院選への出馬で、出演していた「行列の出来る法律相談所」を2007年6月から一時降板した。議員活動との兼ね合いは困難となることから、そのまま降板する事も検討されたが、番組には欠かせない存在であり、今後は準レギュラーとして不定期で出演することになった。
2009年8月実施の第45回衆議院議員総選挙の直前に、古賀誠(当時:自由民主党選挙対策委員長)が東国原英夫宮崎県知事を擁立しようとした際には、「自民党の内部改革もしないで、外部の力を借りようなどとは、言語道断だ」と怒り、古賀に対して抗議を行っている。また、第45回衆議院議員総選挙での自民党惨敗には、自らのプライベートブログでは「積年の弊害を片付けてくれた」と語り、9月9日の両院議員総会では「今こそ新しいリーダーを本気で選ぶエネルギーがあるのか!」と党の執行部の姿勢を質した。
国会では、「死刑執行は死刑囚本人が執行のボタンを押せるようにしろ」と提案した。人権擁護法案については、「人権擁護に関する基本法があっていい。そういうのがないのがおかしい」と主張
2011年10月11日、自民党大阪府連会長であった谷川秀善参議院議員より、2011年11月27日投票の2011年大阪府知事選挙への出馬を打診される。10月28日に出馬の意向を伝えるものの、同党大阪府連がすでに倉田薫の支援を決定していたこともあり、11月1日に不出馬を宣言する。
2012年6月19日に参議院法務委員会で選択的夫婦別姓制度をはじめとする民法改正に関して質問するなど、選択的夫婦別姓制度等に賛同する。その質問の中で丸山は、婚姻したら夫婦が同一姓になるというのは明治30年頃になってからであり、日本的伝統でも何でもない。個人のいろんな形態を、多様な形態を認めて、強い個人同士のきずなによって、自由なつながりによって強い社会をつくっていくべきである、と述べた。このように丸山は、国民各個人の自由の尊重を重視する立場をとっている。
2012年8月29日に、消費増税反対を理由とした野田佳彦首相に対する問責決議での投票を棄権した。自民党はこれ以前に消費税増税に賛成しており、政局・政争的な行動であり、茶番劇。(自身の属する自民党の)自己矛盾極まりない、と述べた
(文字の色づけは【わが郷】にて)
丸山 和也(まるやま かずや、1946年1月23日 - )は、日本の政治家、元法務官僚、タレント、歌手。自由民主党所属の参議院議員(2期)、自由民主党参議院政策審議会副会長。自民党法務部会長 弁護士(登録番号:13673、第一東京弁護士会)、丸山国際法律・特許事務所代表[1]。丸山総合法律事務所代表。
(wikipedia)