我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

神田川

2009年07月09日 | 日記

昔、新宿の外れに棲んだことがある。裏には神田川が流れて、南側は広い五叉路の交差点。六階の自室からは、副都心のビル群がよく見えていた。ひとり暮らしの気ままさから、その辺に幾つかの行きつけのスナックがあり、部屋には寝るだけに帰ったようなものである。コンビニのはしりが、その五叉路の近くに出来て、便利なものと思った。

もう、三十年も前の話である。いまはコンビニは何処にでもある。

我が郷は何処にあるのか問うても、すでに失われて久しい。

失われたものは、時の彼方に埋没してしまうが、掘り起こすことも出来る。

そう、文字や言葉で綴れば、ありありと出現する場合もある。


日本の里山。

茄子や胡瓜の畑には、ときおり雉の親子がやってくる。

我が郷は桃源郷とまではいかぬが、貧しくはない。

つましいだけである。

十軒ほどの集落だが、隣家は杜に隠れて見えない。

挨拶はするが、油のような交わりはない。


その我が郷から眺めた、平成21年の日本の有り様は、殺伐として心苦しい風景である。


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