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【櫻井よしこ 鳩山首相に申す】国益のための領土交渉 091008

2009年10月06日 | 記事紹介

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【櫻井よしこ 鳩山首相に申す】国益のための領土交渉


 発足以来、新機軸を打ち出し続ける鳩山政権に対しては、期待と懸念が相半ばする。

 期待は、省益や個人益の追求に傾いた官僚制度を、本来の国益追求に向かわせるための立て直しである。懸念は、外交、国防政策全般に及ぶ。とりわけ、鳩山由紀夫首相が強い思い入れを抱くロシア外交と北方領土問題への取り組みでは、歴史を踏まえて誤りのないようにしてほしいと願いつつも、強い懸念を抱かざるを得ない。

 まず、総選挙で大勝して以降、鳩山氏が披瀝(ひれき)した北方領土問題に関する発言をたどってみる。

 選挙直後の8月31日未明の記者会見で、氏は「祖父一郎がロシアとの間で共同宣言を樹立した」「私も同じように、ロシアの、例えば北方領土問題の解決などに力を入れて参りたい」と述べた。

 9月17日、ロシアのメドベージェフ大統領との電話協議後、領土問題について「できれば半年で国民の皆さんの期待に応えたい」と述べた(「日経ネット」)。

 23日には、ニューヨークでメドベージェフ大統領と会談し、1956年の日ソ共同宣言に触れ、「われわれの世代で最終的に解決し、平和条約が締結されるよう大統領のリーダーシップに期待したい」(9月24日『毎日新聞』夕刊)と述べた。

 熱意と意欲は大いに買おう。しかし、祖父一郎氏の「功績」や56年の日ソ共同宣言の厳密な分析なしに、「半年間で」、あるいは「われわれの世代で」と、領土交渉の期限を切るのは外交の下策である。期限を切ることは、交渉相手を不必要に有利にし、自らの立場を弱めるからだ。

 また、政権が交代しても指導者が交代しても、4島返還という日本外交の基本方針は変えてはならない。だが後述するように、一郎氏はそうした外交の基本を守らなかった。結果、日本の立場を損ねたのが日ソ共同宣言である。首相には、むしろ、祖父を反面教師として取り組む覚悟が必要である。

 発足直後の清新な政権に、なぜ、厳しい注文をつけなければならないか。それはこれまで日ソ・日露間で合意された複数の文書を調べれば明らかだ。そのなかで注目すべきは、日ソ共同宣言の20日前に交換された「松本・グロムイコ書簡」である。

 これは日本側の全権代表で当時の民主党代議士、松本俊一と、ソ連第1外務次官のグロムイコの間で交換された。そこには北方領土問題に関して日ソ両国政府が「正常な外交関係が再開された後、領土問題をも含む平和条約締結に関する交渉を継続することに同意する」と、明記されていた。

 ここで重要なのは、平和条約締結に向けての交渉の中に領土問題が含まれていると、日ソ双方が明確に合意した点だ。

 さて同書簡交換後の10月12日、鳩山一郎首相らはモスクワに到着、日ソ交渉が開始された。実際の交渉に当たったのは農相、河野一郎とソ連最高会議幹部、フルシチョフ。両者、そして鳩山首相も承認した共同宣言では、平和条約締結後の歯舞、色丹両島の日本への引き渡しは明記されたが、その余についてはこう書かれていた。

 「両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する」

 「領土問題をも含む」の字句が見事に削除されている。

 平和条約は2国間の紛争や戦争に、最終的な決着をつける性質のものだ。平和条約によって、戦争に起因するすべての責任は果たされたことになる。だからこそ、日ソ両国は、平和条約締結に当たっては戦争終結後に生じた不法な北方領土占拠についても、正しい解決を導き出さなければならない。

 北方領土はソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して攻め入り、不法に占拠したものだ。だが、ソ連は北方領土に関する自らの不法性を決して認めない。これは93年の東京宣言でロシアが明記した「法と正義」の精神にもとり、日本にとっては受けいれ難い立場だ。北方領土問題はなによりもソ連の国際法違反に端を発するという事実を、日本は冷静に主張し続けなければならないだろう。

 しかし、56年当時も現在も、鳩山2代の政権を含めて、日本側からそのような主張はなされてこなかった。

 『日本外交史』29巻(鹿島研究所出版会)で、外交の権威といえる吉澤清次郎氏が56年当時の経緯を詳述している。河野が歯舞、色丹の「即時返還」を求め、将来、米国が沖縄、小笠原を日本に返すときに、ソ連も国後、択捉を日本に引き渡すようにと要求すると、ソ連側はいま歯舞、色丹を持ち出すことは、平和条約締結時には領土問題は再び起こらないと解釈してよいのか、とただしている。

 交渉の最終段階で河野がまたもや平和条約締結後の歯舞、色丹の返還とともに、国交正常化後も「領土問題を含む」平和条約締結のための交渉を提案した。

 するとフルシチョフは、「領土問題を含む」の7文字を削らなければ、「歯舞、色丹を引き渡すことによって、領土問題は一切解決済みと書いてもよい」とすごんだ。

 ソ連側が、小さな2島を返還した上で、日ソ間でいったん合意された「領土問題を含む」の字句を、国後、択捉は返さないとの明確な意図をもって削除させたのは明らかだった。国交樹立を悲願として臨んだ同交渉では、7文字を削除するくらいなら、成果なしでも帰国するとの考えは生まれ得なかったのであろう。こうして、日本側は「領土問題を含む」の削除に同意した。

 一郎首相は後に、右の字句を削っても「『平和条約締結のため引き続き交渉を継続する』と言えば、そのため残る問題は、事実上、択捉、国後の領土問題以外にないのだから、当然領土問題は含まれることになる」と説明した。

 だが、ソ連側の意図からも明らかなように、日本側が日ソ共同宣言を北方領土問題解決の出発点として重視すれば、それを段階的返還論と言おうが何と言おうが、「北方領土問題は2島で終わり」のロシア路線に引き込まれる危険を伴うのである。

 だからこそ、鳩山首相に訴えたい。「祖父の功績」という私情を離れて、国益のための交渉をしてほしいと。56年の日ソ共同宣言で日本は後退を迫られたが、松本・グロムイコ書簡が日ソ間で消し去られたわけではない。日本の立場の後退もその後、一歩一歩挽回(ばんかい)されてきた。91年の海部・ゴルバチョフ両氏による日ソ共同声明、93年の細川・エリツィン両氏による東京宣言では、四島の固有名詞が書き入れられた。これら日本外交の歩みを踏まえて、迷路に入り込むことなく、取り組んでほしい。

(^_^;)紹介終わりです。

 

 

 

 

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