我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

結城一平  一人は発見されましたが死亡しました

2009年07月24日 | 日記

 

 

入山した18日は気象衛星でみると、日本列島全体がすっぽりと薄い雲に覆われています。
データでは、静岡県の天気は、降雨は殆ど無くまた日照もまったくありません。終日曇りだったのでしょう。気温は最低が23℃台で最高が28℃台です。それでは富士山頂の天候はどうだったのでしょう。残念ながら tenki.jp ではそのデータは見つけられなかったのですが個人のブログにデータがありました。参考までに23日の山頂気温は、9時が6℃で、15時が12℃でした。ふもとは23℃位です。 

『二郎の日記』さんの記事から、一部を引用させて頂きます。
http://jirou1956.exblog.jp/10651823/

m(_ _)m 引用始めます。

人生一度は富士山に登ってみたいものだと、富士山へ出向く準備を進めておりましたが、富士山頂の天気予報は徐々に悪くなって、とうとう20日は「曇か霧一時雨か雷雨」、21日~22日は「曇か霧一時雨」になってしまいました。この天気予報では、とてもはじめて登る人間が挑戦するのに相応しいとは言えません... 

<(_ _)> 引用終わります。

18日の入山から、アメリカ国籍の男性が心肺停止で発見されたのが、23日の午後です。入山から六日目の発見です。同日夜に死亡が確認されました。合掌。

私も家族連れで、富士登山をした経験があります。夏のことだったと思いますが、記録がないので日にちは判りません。八合目あたりの山小屋で一泊して、翌日の夜明け前に登頂開始で、登り切る手前でご来光となりました。天気には恵まれて終日晴天でした。下山の景色も素晴らしく、遠く眼下に入道雲も見えていたような記憶があります。

死因はまだ発表がありませんが、たぶん凍傷とか低体温症だったのでしょうか。私達の山行きの時もそうでしたが、富士山登山は軽装が多いですね。私たちも人様のことは言えません。山小屋に残したザックの中には、一応防寒用のスキージャケットとセーターが入っていましたが、山頂登拝用の荷物は、食糧とお菓子にビニールの合羽ぐらいでした。日の出前の薄明かりの中を皆さんもくもくと登る訳なのですが、中にはとてつもなく軽装の人もいました。白人の若い大柄な女性は、ショートパンツと半袖だけ、それも手ぶらで、颯爽とみんなを追い越してゆきました。

大雪山系の遭難は、16日の連絡で17日の未明から捜索が開始されています。富士登山で遭難された二人の入山は、18日ですから情報収集を入念にしていれば、このような不幸に逢うことは無かったのかも知れません。


 

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