我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

小渕恵三

2010年09月04日 | 政治家

政治家 

小渕恵三【政治家】 小渕恵三 政治家

 

 

  小渕 恵三 (おぶち けいぞう )

1937年(昭和12年)6月25日 - 2000年(平成12年)5月14日)
政治家。位階勲等は正二位大勲位。学位は政治学修士(早稲田大学)。

衆議院議員(12期)、総理府総務長官(第29代)、沖縄開発庁長官(第10代)、内閣官房長官(第49代)、外務大臣(第125代)、
内閣総理大臣(第84代)などを歴任した。

 

 

首相としての評価

 周辺事態法、通信傍受法、国旗・国歌法など、長年の懸案を一気に片付け、金融不安に終止符を打ち、任期後半は経済も堅調に推移していた。外交では日米関係を順調に発展させる一方、韓国の金大中大統領との間で歴史問題の「区切り」と未来志向の日韓関係で合意、東南アジア関係も深化した。他方で中華人民共和国の江沢民の謝罪要求や北朝鮮の不審船問題に対して節度を保ちながらも一定の強い対応を示した。こうして、硬軟織り交ぜながらも外交でも多くの成果をあげた。また沖縄問題に強い思いを寄せた最後のリーダーとも言われ、沖縄への手厚い振興策や沖縄サミット開催の決断も業績に数えられる。以上のような小渕の政権運営は、近年、再評価もされている一方で、 1998年の労働者派遣法の改正によって派遣業種が拡大し、男性を中心に雇用が減少のうえ女性のパートタイマーの数が増加した。また一人当たりの現金給与額は1997年比べて大きく減少し、自殺者の数においてはその年に初めて大台の30,000人を越え、創価学会を支持母体にもつ公明党とも初めて連立を組むなど、その後の日本社会に与えた影響は大きいとも言われている。
(wikipedia)

 

 

野ブタの丸焼きが見たい方は、この画像をクリック

2011 10 23  TPPを呑まねば、蓑おどり 【わが郷

 このように見てくれば、歴代の日本国首相がアメリカ様の言いなり、この道理にならないドウリがよくわかる。

 長崎市長は背後から、ピストルで撃たれ暗殺されだ。株式相場のインチキで、「米穀の穀潰しども」に協力しなかった小渕宰相は、たぶん暗殺されたのだろう。小渕氏が倒れたときの第一報。NHKがこれを伝えたときの、慌て様は尋常ではなかった。スタジオ内が凍り付き、マイクは裏方の声を全部拾って、まるで戦争前の緊張を示していた。

 

2011 08 19   古いヤツの 話 【わが郷

 小渕恵三首相は、暗殺とか謀殺とかのデータは、ネットを潜ればおおく見いだせる。愛媛丸の沈没は、潜水艦との衝突が原因だが、それを「事故」と観るか、「恣意」と見るかで大きな差が出る。平和を享受したい良民ならば、事故と見るべきであろう。しかし国の守りを、その一端をになわんとする、おのこならば、「 某国の国家意志の表れ 」 と捉え置くべし。

 

2006 08 27  小渕元首相を殺した犯人は誰か 【なわのつぶや記

 

 

 わが郷  政治家の顔 政治家の顔  
わたしの里 美術館     わが郷 HOME   

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小渕優子 | トップ | 誰も 買ってくれない »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

政治家」カテゴリの最新記事