淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

平昌(ピョンチャン)オリンピックの羽生結弦と小平奈緒。勝った者だけが正義である。理屈じゃない。

2018年02月20日 | Weblog
 2月19日月曜日、10時現在の積雪量が96センチ。
 あと4センチで100センチ、そうなると市では「豪雪対策本部」を立ち上げることになるかもしれない。
 なんか、ここにきて、いきなり降る量が増え出している。週の後半には暖気になるらしいけど、朝の出勤時も外に出たら結構家の前に雪が積もっていた。片づける時間がなかったので、足をスコップ代わりにして雪を両脇に掃ってしまった。
 行儀が悪い。

 平昌(ピョンチャン)オリンピックで、スケート男子の羽生結弦が金メダル。スピードスケート女子500メートルの小平奈緒も同じく金メダル。
 連日、テレビの「平昌(ピョンチャン)オリンピック」放送に釘付けだ。

 一夜明けた2月20日火曜日、8時現在の積雪量は94センチ。マイナス2.5度。ギリギリ、一メートルの手前で踏ん張っている。
 昨日の夜は、「馬の会」という異種業界のウマ年生まれの同年齢の仲間たちによる「飲み会」に出席する。
 某地元新聞社、某エネルギー団体、某大型ショッピング・モール、某燃料会社、某地方国立大学、などなどのメンバーが集まって色々と情報交換。二次会に誘われたけれど、お断りしてタクシーで帰宅した。

 風呂から上がって、「平昌(ピョンチャン)オリンピック」、スピードスケートのチームパシュート女子日本代表が準決勝進出したシーンをテレビで観る。
 そして今夜も、各局のニュース・スポーツ番組、羽生結弦と小平奈緒のオンパレード!

 勝てば官軍だ。
 勝った者だけが美酒に酔い、周りの人間たちから歓迎される。仮に、それまでとってきた行いとか評価とか態度とかが劣悪だと非難されるような人間であったとしても、それさえまた一転する。評価がガラっと変わってしまう。

 もちろんこれは、金メダル羽生結弦と小平奈緒のことを言っているのでは決してない。彼らは素晴らしい。
 あくまでも社会一般論だ。世俗に生きている我々の世界での有りようだ。

 僕はそれを人生で学んだ。
 勝てば官軍なのだ。正しいと評価されるのだ。
 負けたらそれは即、賊軍という汚名を着せられる。完膚なきまでに叩かれる。
 勝ちさえすれば(何に勝って何に負けるかという定義そのものは、人それぞれだろうけど)、周りの対応はガラリと変わる。
 笑ってヨイショし、ひたすら媚びへつらい、歯の浮くようなお世辞をいい、徹底的に持ち上げる。

 ところがそこから突然、何らかのアクシデントに見舞わるとか、自らのミステイクや大きなトラブルが発生することで、それまでの地位や名誉や業績やポジションから撤退した瞬間から、他人の態度は豹変する。

 それが人間である。

 勝った人間のみが正義だ。
 負けた人間は見向きもされない。それが世間である。
 繰り返しになるけれど、何に勝って何に負けるかという定義そのものは、人それぞれだ。
 名誉を得ること、地位が上がること、財産を築くこと、それが自分にとっての勝つことだという人間もいるだろう。逆に、勝ったとか負けたとか、んなもん、どうだっていいという人間だっている。それもまた正しい。
 正しさもまた、たくさんある。

 ただ厳然たる事実として確実に存在していることがある。
 それは、勝った人間でさえ、ある日一瞬で葬り出されるという切ない現実だ。

 他人は残酷だ。手のひら返しは世の常である。
 ただし、転落した人間をあざ笑い、冷たく突き放した人間もまた、いずれ誰かに冷笑され、無情に突き放される。

 叩いた人間は、必ずいつか、その叩かれた人間に叩かれる。
 人間ほど怖い生き物、ほかにない。
 







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