おひとり様てるこの日記

てることいいます。50歳過ぎましたが気ままに生きてます。人生の危機感ゼロ。

ちょっと介護している私

2019-10-22 16:44:56 | 日記
父が入院した。脱水症だった。

命に関わる程ではないが、手足に力が入らなくなって、結局3日間で3回救急車に乗った。 点滴をすれば治ってしまうので帰されるんだけど、また家で悪くなってしまう。最初の病院は点滴後、「きちんと水分を取ってくださいねー。あと、肝臓が弱ってるみたいなんでお酒は控えてくださいねー」と半笑いで言われて帰された。

 2回目は違う病院へ。そこの病院の先生は「いろいろ検査しましたが、脳梗塞とかの心配はありません。ただ、まだ悪くなる可能性があるので、何かあったら連絡してください」と言われた。最初の病院と違って、ここなら頼りになる!と思った。

 そして案の定、また次の日に悪くなり、2回目の病院に電話をしたら、福祉タクシーか救急車で来てくださいと言われた。最初福祉タクシーに電話をしたら、マンションの4階だと言ったらすぐに断られた。エレベーターも無いし仕方ない。救急車を呼んだ。 

 病院に着いたら即入院になった。そこから二ヶ月間、父は入院した。最初はかなりボケ老人のようになっていた。同じ事を何回も聞いたり、誰にも病院も知らせてないうちに◯◯さんがお見舞いに来たと言ったり。いわゆる、せん妄というやつらしい。

 私は事前にある本を読んでせん妄のことを知っていたので慌てなかったけど、知らない人だったら、認知症になったとかびっくりするだろうなあと思いながら、父のボケにいちいち突っ込んでいた。  

仕事は今までずっと遅番だったのを、早番にしてもらった。父がもっと早く帰れると思っていたからだ。父が帰って来た時にすぐに対応できるように、と思っていたのだが、父は思っていたよりもずっと弱っていた。そうだ、父は高齢者だった。

 なかなか歩けるようにならず、しかもせん妄で勝手に点滴を抜いたりして要注意患者になり、ベッドを勝手に離れるとセンサーでナースコールが鳴るベッドに変えられてしまった。あと、アルコール大好きな人は、アルコールを摂取しなくなると夜中に無意識に暴れたりするのでそのベッドに変えられてしまうらしい。アルコール大好きな父だったが、幸いにも暴れることはなかった。  

 一ヶ月しても父は退院できる気配はなかった。私はその頃、ようやく初めての一人暮らしを楽しめるようになってきた。父は過保護というか心配性な人で、私がちょっと帰りが遅くなると、心配して携帯に何回も電話してくる人なので、少々鬱陶しかった。 

 私はアラフィフ女である。ただのBBAだ。見た目も年相応に老けている。白髪もちらほらあるユニクロ愛用の地味な女だ。そして毎回の健康診断でBT値が高い肥満体型だ。ほぼ心配はいらない。もっと言うと神様を信じますか?と言う人にしかナンパされたことがない。  
 
というわけで、父がいない間にやってしまおう!と友人と焼肉を食べに行ったり、お笑いライブを観てみたり、夜遅くまで遊んだ。チャンネル権を握っている父がいないから、観たかったドラマをリアタイで観た。父がいると食べられないアボカドを食べた。  

 それからヒトカラにも行こうとしたが、これだけはいろいろあって行けてない。 

 というわけで、この一人暮らしがあっていろいろと発散できたからこそ父を片道一時間かけて見舞いに行けたんだろうなと思う。

いい病院なんだけど、最寄駅とされている駅から遠いし、地元のターミナル駅からもバスで15分程かかる。  

 病室は爺さんばかりだ。父の隣のベッドには5分おきにナースコールを鳴らし看護師さんを呼びつける爺さん、向かいのベッドはずっとガサガサと音を立て続けて、夜中に父に怒鳴られた爺さん(ごめんね)。そして看護師さんもなぜか声がデカイからプライバシーダダ漏れ。年寄りばかりで耳が遠い人がいるから仕方ないのかもしれないが、斜め向かいのベッドのお爺ちゃんがどんな病気で入院してきて、昔どんな仕事をしていたのか、今はどんな仕事をしているのか、家族構成まで全部分かってしまった。 

人懐こい癖に気難しく、集団生活が大嫌いなややこしい父が入院生活が辛いのは百も承知だ。病院メシが不味過ぎるとあまりご飯が食べられず、何故か胃潰瘍になり退院が延びたので余計に辛かったと思う。

が、私は人生初めての一人暮らしを謳歌した。  

 が、一人暮らしを楽しんでばかりもいられなかった。 父の退院後はどうするかということを、私は考えなければいけなかったのだ。

弟が一人いるが、こいつは車を運転してくれる以外は、本当に役に立たない。長男のクセに、お父さんの具合はどう?みたいな電話もない。スケジュール帳には嫁とサッカーを観に行く日程しか書いてない。

とりあえず、この弟を引きずり出し、福祉とやらに説明を受けに行くことにした。せっかく介護保険を払っているのだから、利用してあげなければ。 

 つづく。