Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

畔草が刈られない時代

2017-05-26 23:17:01 | 農村環境

 現場のある辰野町まで春日街道を車で走る。周辺は西天竜の水田地帯。近年このあたりでも田植えは遅くなったという印象がある。まださざ波をうっている水田に稲株がない光景も多いし、代掻きがこれからという水田もある。耕作が集約化されることでひところのように代掻きが一斉、田植えが一斉ということはなくなった。そのせいもあるのかどうか、と言うよりは以前からこの一帯は畔草を刈らない水田が多い。このあたりでは上伊那ではあたりまえのように行われる畔塗りがされていない水田が多い。「よくこれで水漏れしないのだ」といつも見ては思っているのだが、したがって代掻き直後の水田でも畔には草が「ボウボウ」なんていうのはごく普通だ。常に畔草をきれいにしている駒ヶ根市とか飯島町のあたりの大型農道沿いの光景とは天と地ほどに違う。

 かつてのように農家がそれぞれ耕作していた時代には、自分の土地だから管理も怠らなかった。ところが作業受委託が進むと、管理を怠るような人も増える。もちろん駒ヶ根市や飯島町といった地域も営農組織による耕作が進んでいた地域だから、そんなことはとおの昔から行われていた。したがって営農組織との関わりようによっても違うのだろう。そして今は作業受委託から耕作そのものを委託する方向に国策もあいまって進んでいる。こうなると、借り手が土地の管理までやっていられない。ということは、今後ますます草刈がされない空間が増えていくのかもしれない。草刈だけならまだよいが、土地の管理がままならなくなると、畦畔の脆弱化も危惧されるし、用水施設管理という面でも危惧が膨らむ。あたりまえのように考えている現場でも、数十年後を想定した発想の転換が求められるのだろうが、なかなかそこまで余裕のないのが今の世の中。とりわけ下降気味の農業の世界はそこまで考えている人がいるかどうか…。

 さて、仕事でも話題になったのだが、畔の多い長野県内の水田。伊那市富県でも水田法尻から50センチほどの高さまでは、境界が法尻だったとしても下の水田所有者が草刈をするのが暗黙の了解だという。これが耕地でなければまた話は違うのだろうが、とりわけ段差がある耕作地の場合、上から法尻まで手が届かないことも多い。すると中段に身を置いて草刈を行うしかないわけだが、水田のように水が浸いていると法尻から上の法は草刈がしにくい。我が家では水田の法尻に小段を設けてある水田が多い。明らかに上の法面の草刈をしやすいように小段が設けられている。もちろんここに身を置く。我が家の水田にも法尻に小段がない場所があったりすると、とても草刈がやりにくい。水の中に身を置いて刈る、あるいは法の中段に身を置いてできる限り法尻まで腕を伸ばして草を刈るか、になるのだが、水平な場所とはいえ前者の水の中は泥に長靴が吸いつかれるため身動きは容易ではなく、選択としては後者の中段に身を置いて刈るのがふつうだ。法尻に小段を設ける、は水田差1メートル以上では常識的に必要なこと。もちろんこれは我が家のように刈払機によって草を刈る農家に限るが(今どきの自走式草刈り機ならもう少し段差があっても畔上からできるだろうが、わたしは使ったことがないので実際のところは分からい)。

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