Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

風呂の湯をいつ替える

2008-01-31 19:38:29 | ひとから学ぶ
 風呂の湯をいつ交換するか、という問いを探していたら見つかった。例えば35歳の主婦は「私は毎日入れ替えます。子供の頃から毎日新しいお湯で入っていたので、何日も使いまわす…という感覚がイマイチわかりません」といい、28歳の兼業主婦は「お風呂のお湯を毎日変えない家庭って有るんですね。すみません、かなり驚いてしまいました。私は一人であろうが、家族四人であろうが必ず毎日流して洗ってから新しいのを溜めてましたから。別に何方にも迷惑を掛けてないのは凄くよく分かりますが、気持ち悪くないのですか?純粋に疑問です」という。けっこう毎日替えているという意見が並ぶ。毎日でなくとも、36歳の主婦は「以前もこのようなスレはたっていて、その時は殆どの方が「毎日取り替えるべき!」「2日も替えないなんて雑菌・ばい菌の中に入っているようなもの」等のスレがたっていたと思います。がっ!!我が家もろんろんさん同様に2日です。とりあえず最初に体と頭を洗って、湯船につかるのは最後にしています。冬場は先に入るべきなのかもしれないのですが我が家は幸い浴室暖房もあるので大丈夫です。2日入ったら洗濯にも使ってます。多分汚いとかいうレスもたつと思いますが、別に他の家族に迷惑かけてないので私は特に気にしませんよ」と、まるで2日交換しない人は「汚い」という印象するうかがえる。世の中の若者なのか若い主婦層なのかわからないが、ずいぶんときれい好きだということがここからわかる。自分の入った風呂だから、「汚い」などと思うのもなんともいえないが、2日目になれば、たしかに初物とは違うのは当たり前であるが、それほど汚いという雰囲気でもなと思うが、そこがわたしのようなおじさんたちとの違いなのか、などと思ったりするが、今やおじさんたちの家庭も頻繁に交換しているのかもしれない。

 かつて内風呂というものが据え置きされていなかった住宅の時代、水を汲むのも大変なため、一週間に一度程度しか風呂は焚かないなんていうことは当たり前だっただろう。手間ひまがかかるということで、「もらい風呂」ということをした。ようは、今日はここの家、次はあそこの家みたいに、相互扶助的にまわしていたのだ。農業主体の時代だから、汗の量は今とは比べ物にならなかっただろう。最初に入ればともかく、何人も入ったあとはずいぶんと汚れていただろう。明かりが乏しかったから、そんな汚れも気がつかないほどだったかもしれない。4人入れば交換」などというスレも見えたが、そんな人は温泉なんか行けるのだろうか。そもそも温泉は自分が入るだけではなく、よその人も入っている。掛け流ししていたとしても、それほど新たな湯に交換されているとも思えない。銭湯にいたってはさらに「汚い」と言われても仕方ないことになる。

 質問をした人は「予想はしていましたが、ほとんどの方が毎日入れ替えてらっしゃるのですね」というように、2日でも「汚い」という印象をもたれてしまうのだから、よほどこの世の中の人々は清潔なのだろう、などと皮肉でも言いたくなる。もしかしたら、この時代の「もったいない」の典型的な部分がここかもしれない。

 さて我が家はどうかといえば、ほぼ毎日沸かすなかでお湯の汚れをみて交換しているから、何日で交換というものではない。家族も少ないから、それほど汚れるものでもない。入らなくても日がたてば汚れる「水」であるから、やはり様子を見てということだろう。2日に一辺などということはめったにない。3日か4日利用するのは当たり前である。風呂の湯を洗い湯に使って、新しい湯を補給していれば、温泉ではないが、けっこう新しい湯の比率は高くなる。ようは利用の仕方でも異なってくる。

 実はなぜこんなことを調べてみたかというと、このごろの妻との話しでこんな話題がのぼった。世間話でのことだから、ご近所での話しなのだろう。ある若いお嫁さんが世間話の中で「家では年寄りが風呂に入ると湯を交換する」とみんながしゃべっているのを聞いた。お嫁さんはその話しを聞いて「自分の家ではそんなことをしない」とびっくりして、婚家に帰って家族に話したという。わが妻いわく、「そんな話しをしてくれる嫁さんで良かったね」である。ただでさえ年寄と同居しない時代であるが、同居していたとしても、こんな仕打ちを受けてしまう時代なのだ。どれほどそんな行為をする人たちがきれいなのか見せてもらいたいものである。
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行動から読み取る

2008-01-30 19:30:24 | ひとから学ぶ
 駅へ向かう道端で、雪をかく人に何人か会う。すでに通勤時ともなれば、みな通勤に向かっている人が多いはずだから、それほど多い人数ではない。積もった雪は2センチか3センチと少ないから、わが家ではこの程度の雪はかかない。昔ならほうきではく程度の雪なんだろうが、湿った雪だと掃くにはつらいから雪かきとなる。先日降った雪は10センチ以上あったから、この積雪だとかくのが普通である。その後も寒さが続いたから、かかずにおかれている畑の雪はまだ4、5センチは残っていた。息子の通っている高校ではその際の雪がかかれていないという。そのまま凍っているから、とても滑りやすいという。グランドはみごとに雪は消えているが、校庭のまわりはそのままだという。いったい誰が雪をかくのか、ということになるが、小学校や中学校は教員が主導的に担っているはずだ。ところが高校の場合どうなんだろう、などと考えるが、基本的に職場の周囲に雪があれば、そこで働く人たちがかくのは当たり前だとは思うのだが、施設が広いからそれなら子どもたちも使って雪をかくのが普通ではないだろうか。

 ツルツルになった玄関先、そこを通っても不思議にも思わず行き交う人々。高校とはそんなところなのだろう。ちょっとしたことなのだが、伝承的基礎知識とでもいったらよいのだろうか、常識が認識されない世界が目立つ。昨日電車に相席していた年配の男性は、車内で飲んでいたお茶のボトルを降車時に自ら持って降りた。そこへゆくと、高校生が降車した座席に座ろうとするとゴミがそのままになっていることはごく当たり前である。まずここに現れる意識、「金を払って乗っているのだから、ゴミは運行している会社が処理すればよい」というものである。そこまで意識してゴミを置き去りにしていくのか定かではないが、鉄道側も「ゴミはお持ち帰りください」とは言わないし、そうした放送を聞いたこともない。夜間の電車内、乗客が少なくなると車掌がビニール袋を持ってゴミ処理を始める。さすがに乗客がそこそこいるときは、ゴミなのかそうでないのか判断が難しいから、そうした行為にはでない。ちまたに安易にゴミを放り投げる人は少なくなったが、そこに介在する意識は「カネをはらっている」というもののように思えてならない。事例としては、雪かきの話しとはだいぶ異なるものの、記録される継承とはとても思えない部分、やはり伝承的継承と言えるだろうか、それが実現されていないことが見える。

 それは言葉による伝承だけにあらず、しぐさ、行動といったものによる伝承というものもある。そういう意味では、伝承する側に行動がなくなったとも言えるだろうし、行動から読み取るという術もなくなったと捉えられるだろう。数値で語ることはできないが、印象として、人の行動を観察することをしなくなった若い世代が多い。解らないことは聞く、しかしそれ以外の時はほとんど他の人の様子は意に介せずといった人種である。

 さて冒頭の雪かきは、行動から読み取る以前の問題で、伝承する側にすでに伝承されていない事項ということになる。
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標準理論

2008-01-29 12:18:24 | ひとから学ぶ
 信濃毎日新聞の月曜日朝刊には、「科学」欄が毎週組まれる。「虫の目鳥の目」はそんな科学欄のコラムのようなものである。1/28の同欄に野辺山太陽電波観測所長の柴崎清登氏が「研究の自由に立ちはだかる壁」と題して寄稿している。先駆者による標準理論に対して支持する研究はしやすくなるし、研究費も集まりやすいという。そのいっぽうでそうした標準理論に反する研究には、研究費はもちろんのこと研究者も集まらない。当たり前のことではあるものの、この当たり前の世界には、実は危険な部分を大いに含んでいるということだろう。ようは標準理論にすべてが傾向してしまうと、視点を変えた発言が起き難くなる。しいては標準理論が正論となってしまって、過ちに気がつかなくなってしまうこともありうるわけだ。もちろん反する意見が起きようとしても潰されるということも十分にある。例えれば、そうした標準意見を突き進めて日本は戦争をしてしまったのかもしれない。民主党の菅直人が「造反なら議員辞職必要」とガソリン税の継続を訴えて反旗をあげた大江康弘参院議員を批判したのも、同じ意見ばかりではないことがなぜいけないのか、という疑問を湧かせる。この菅直人の意見に対して、肯定的な意見が国民に多いということは、ようは党は一枚岩でなくてはならないという、標準理論の肯定世論が一般的であることを示す。しかしである。やはりどんなに政権が取れると確信したからと言っても、意見は意見として受ける大きさは必要ではないかといえるし、それを越えて一枚岩にしたいというのなら、それなりの議論をするべきだろう。何かをやったから「それはダメだ」と決め付けるのは好ましい解決ではないし、本質を見失う可能性もある。あくまでも事例として利用したが、柴崎氏の文を読んでいて気がついたことがある。柴崎氏の文を読んでわたしのような気持ちになった人がどれほどいるかはわからないが、あらためて研究者は世論に流されることなく、本当の答えを追求していかなくてはならないということが見えてくる。

 柴崎氏はかつては地球温暖化の原因が人類の経済活動だとする理論は受け入れられず、いわゆる標準理論ではなかったと述べた上で、今や経済活動を原因とする表現が次第に断定に近づいてきているという。そして断定されていないことについて、それは気候変動のような複雑系の振る舞いであって、単純な因果関係で結びつけるのは大変難しいことだともいう。ところが社会では断定に限りなく近い受け止めをしている。さらに柴崎氏は、北極海の氷の面積が、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の予測より非常に早いペースで進んでいることがわかってきて、予測のために使用されているモデルが不十分であることを示すといい、こうした場合科学者の習いとして、従来とは別の角度から地球温暖化の原因を探そうという研究者が出てくる。しかし、標準理論は経済活動であると断定的になっていて、そうした視点を変えた研究者には逆風だというのだ。

 なるほどと思うのは、今や自然界に何かが起きると、すべてが経済活動によるものだと捉えてしまっているが、本当にそれだけなのだろうかと考えてみることは大事で、それは研究者だけではなく、まったく素人のわたしたちのような国民も世論に流されてはいけないということである。考えてみればあまりに早まっている北極の変化、さまざまな自然災害、単純に経済活動だけと言ってしまってよいのだろうかと思うほどの変化である。まさか「神のいたずら」などという非科学的なことは言わないが、その原因として標準理論に騙されてしまってはいけないということを柴崎氏は教えてくれている。
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股引かステテコか

2008-01-28 12:22:38 | つぶやき
 ここのところの寒さは、最低気温が毎日氷点下10℃を下回るほどで、久しぶりに「耳が痛い」と感じるところまできていて、降った雪がなかなか溶けずに、仕事にも影響している日々である。それでも犬の散歩にでかけると、ウンチ処理に困るほど地面の堅さは万遍ではなく、道端の一部には軟らかいとろもまだ残っていて、それほど地面の中までは行き届いていないということを知る。

 こんな寒い日の外での仕事となると、ズボンだけではなかなか冷えるものである。そこでズボンの下にもう一枚アンダーウェアをはくのだが、このことをわたしの身のまわりでは「モモヒキ」と言ってきた。しかし、いわゆる股引は股の割れたひも付きのズボン下のことを言い、現在では祭りの際に芸能を演じる人たちがよく利用したりしていて記憶があるだろう。室町時代の職人がはいていた股はば巾(ももはばき)が変化して股引というらしい。したがってわたしが言っているモモヒキは股引ではないのである。「すててこねっと」に写真つきの説明があるが、これによればステテコが正しいのだろう。ステテコにしても股引にしてもズボン下に変わりはなく、すべてモモヒキなどと言っていた自分は、なぜそういう呼び方をしていたのか定かではないが、いずれにしても生家でズボン下のことをそう呼んでいたことから、ステテコもモモヒキだと思い込んでいたわけである。「すててこ」「股引」「猿股」「ぱっち」とさまざまなズボン下について、それぞれの違いは次のようだと言う。

○「すててこ」ズボン下の一種。さるまたより長く、膝の下まであるもの。最近は半ズボン下・長ズボン下・ロングパンツ・フレンチカルソン等の名称で呼ばれている。
○「股引」前述の通り。
○「猿股」腰から股だけを覆う丈の短い男性用の下着。猿回しの猿にはかせていた丈の短い股引が「猿股引」と呼ばれ猿股になったという。
○「ぱっち」朝鮮語のズボンを意味する「パチ」からきた言葉。商品的にはすててこと同じ。

とまあ、「すててこねっと」に依存するとそういうことらしいが、「ステテコは、キャラコ、綿クレープあるいは人絹まどでつくられ、ふくらはぎの長さまでのもをいう。これは、腰を紐やゴムでしめるようになっている。白無地が普通だが、人絹などのものは紺だとか黒、嶋その他の模様のものが使われている。ステテコが流行した理由は、男子は冬でも夏でもズボンをはく、そこで衛生上、じかにはいては汚れやすいところから普及した。また、ステテコは、ゆったりとしていて、しかも足のふくらはぎの長さ程度であったので、夏には好都合であった。また、肌にぴったりつかないのでたいへん着心地が良いということで、多くのひとたちによろこばれた。しかし、一面スマートさがないということで、嫌われるむきがある。」という説明もある。いわゆる現在言われているステテコとはこの表現は異なる。肌にぴたっとこないものを言うから、よく昔の年寄りがアンダーでつけていたものである。現在でも夏になるとステテコ姿の年配の人を見るが、それが本当のステテコということになるのだろう。

 外で1日仕事をする日には、寒さを和らげるためにアンダーに現代のステテコを身に着けるのだが、これは肌にぴたっとくる。寒さ対策には有効と言われるものの、この肌にぴたっとくる肌着、実はあまり暖かさを感じない。下半身はともかく、上半身にぴたっとくる肌着を着けるととくにその印象が強くなる。半袖のアンダーで少し余裕があるもの(Tシャツなど)と、長袖のぴたっとくるアンダーと比較すると前者の方が冷たさを感じない(「暖かい」というわけでもないかもしれないが)。単純に何枚も身にまとい、空間を無くすよりも、肌との間には少し空間を残していた方が暖かいということである。感じ方と体に与える現実は異なるかもしれないが、冷たさを感じることで、気分的に体に影響を与えるということは十分にあり得るのではないだろうか。
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軽井沢の不安

2008-01-27 13:26:14 | ひとから学ぶ
 信濃毎日新聞でこのごろ不定期に連載している「ショーの見た夢」。1902年に亡くなった宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーは軽井沢に感動しここに別荘を建てたという。そのショーの夢とはどういうものだったのか、連載記事にまだ答えは見えないが、軽井沢の変貌振りを記事では捉えようとしている。

 1/27朝刊では別荘を販売する不動産会社が、専属シェフを雇い、別荘所有者を対象にホームパーティーを企画するという。金のあるところにはいくらでもあるだろうから、グレードの高いサービスの需要はいくらでもあるのだろう。そしてそうした企画を組めるのは、規模の大きな不動産会社という。軽井沢というネームバリューは下ることはなく、継続してその価値観は高いようだ。長野県内ほぼくまなく歩いているわたしにとって、軽井沢というところに特別な魅力を感じたことは一度もない。「何が違うだろう」と考えてもよく解らない。それだけ訪れはしたものの、軽井沢の良さを認識していないということになるのだろう。そういうことにしておこう。

 専属シェフのことはサービスとして意外でもないが、記事に展開されているさまざまなサービスは、なるほどと思ういっぽう、別荘の世界は、住民にとっては別世界であるということをあらためて教えてくれる。「妻と娘が友達と一緒に別荘へ行く。猿やイノシシが出ると心配なので、着いたら警護を頼む」とか「家族が出かけて、1人になってしまった。一緒に日帰り温泉へ行ってくれないか」といったサービスも不動産会社が受けるという。販売しただけではなく、アフターサービスをケアする。ビジネスとしては、まさに車のアフターサービスでレクサスがナンバーワンになるのと同じような世界である。高額商品だけに、それなりのケアをする。そうすれば、後々までサービスが収入に結びついてゆく。低額商品の世界ではできないものである。そんな世界もあるだろう、と納得はするものの、そうした世界が果たして地方の目指すものとは思えない。軽井沢は別物という捉え方もあるし、わたしもそう思うが、観光でのブランド化というものは、別物になることかもしれない。そういう意味では、ひとつの事例として照査することはできるだろう。観光立県を目指す長野県であるが、輝かしいブランドとサービスを展開すれば、つまるところ高額商品の提供ということになるのだろうか。もちろん首都圏に近いという立地から、低額商品を求める人も少なくないだろうが、低額料金にはそれなりにアフターケアは伴わないだろう。別世界を表面面で描くか、それとも立県などしなくとも、低額商品とともに語り合うのか、そんなレベルだと思うのだが、その世界に華があると「立県」を唱える人々には計算があるのだろうか。
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萌える

2008-01-26 17:42:36 | ひとから学ぶ
 1/25中日新聞社会面に「出会い系…会わないまま5年/男に会社の金1億5,000万」というものが見えた。見出しでだいたいの内容は察知できる感じである。名古屋市中川区の女性が出会い系サイトで知り合った男性に5年間で約1億5千万円送金したというものの、その男性に一度も会ったことがなかったというのだ。そしてその送金した金は、自らが勤めていた会社から盗んだものだという。ということで逮捕されてしまったわけであるが、きっとこのニュースで驚かれるのは、「一度も会ったことがない」というところだろう。しかし、考えてみれば会ったにしても会っていないにしても、だまされたことに変わりはなく、一度も会ったことがないのに送金したからといって「なぜ」を連発するほどでもないだろう。金を盗んだ女性がこの男性に初めて会ったのは法廷だったという。あらかじめ男性が送っていた写真とはかけ離れた顔だったという。これをおかしく笑うか、惨めに思うかはそれぞれであるが、同じようなことはこの世の中に溢れているような気がする。

 同日の同じ中日新聞に「萌えるモノづくり」の連載の番外編が掲載されている。ご存知の森永卓郎氏が、萌え市場の将来性を説いているのである。以前「音姫」について書いたが、その商品もこの「萌えるモノづくり」で紹介されていた。書いた通り、そ「そんなものが必要なのか」というようなオタク的な商品が、実は市場性が高いというのである。発想の転換、あるいは今までの常識ではなかった、人の単純な思いが商品開発の原点になるのである。時代の変化は激しい。もちろん高齢化社会の中で、介護社会がやってきていれば生活上の手助けをしてくれるロボットの開発は日夜進んでいるだろう。わたしに言わせれば、それも「萌え」のようなもので、いざとなったら、人に声をかけようにも人が「いない」なんていうことは当たり前になっている。孤独の時代に必要なものは、それを補ってくれるモノになるだろう。動くものもあれば動かないものもあるだろうが、いずれにしても人は、そこに感情移入をしようとしている。オタクというものはけして人事ではなく、すべての人たちを救ってくれる世界のようにも見えてくる。森永氏が「結婚できない男が増えたことが一番大きいでしょう」と萌えビジネスの背景を説く。結婚したいと思う男性がいてもなかなかできない。結婚どころではない。恋愛そのものですら遠き世界に見えてきてしまう。そこに日本人の独特な考えが結びつく。「外国人のプロ野球選手はバットやグラブを踏んづけたりするけれど、日本人はしない。バットはいつもびかびかに磨いている。それはある意味、モノへの恋愛感情であり、経済合理性とは無縁の感性です。それが萌えなんだ」と説く。だいぶ日本人特有の精神は低下してきているとは思うが、ある意味では歪曲した、あるいは偏った特有の精神が露になってきている、ともいえるかもしれない。ある意味新興宗教的といってもよいだろうか。

 そんな萌えの世界の話を記憶におきながら、冒頭の事件に戻ろう。一度も会わなくとも、送られてきた男性の写真を見ながら、女性は自分の世界を膨らませていったのだろう。思い描く世界が膨らむとともに、そこには象徴が現れてきて、不正を働いてしまった。周囲がもっと早く気がついてあげればここまで大事にもならなかっただろうに、やはりそこには「人がいなかった」ということではないだろうか。騙されるということは偽りを信じたということになる。わたしのように常に「怪しい」なんて思っていると、心はすさんでくる。それを思えば、信じることは悪いことではない。この社会に翻弄された事件が相次ぐなか、末期的現象と笑ってはいられない。
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水洗トイレ

2008-01-25 18:20:15 | ひとから学ぶ
 「トイレの小レバーこれって必要なの?」、数日前のYAHOOニュースにあったタイトルである。トイレに関しては何度も記述しているように興味があるからすぐにこういう見出しをクリックしてしまう。その内容によると、「「大」であれ「小」であれ、流すときはいつも「大」…という人多いのでは?」というもので、ようは水洗トイレについている「大」と「小」が表示されているレバーの小をした際の利用方法についての問いなのである。そもそも「小」を利用している人はいるのか、そしてその「小」というものが必要なのかどうなのか、というのである。「大」と「小」を別々にしてあればともかく、そうでないとしたら必ずそうした迷いの世界に陥るはずである。男性の場合は大小別々の空間に分かれているケースが多いからあまり意識もしないかもしれないが、女性の場合は代書うが分かれているわけではない。同じ便器で「大」も「小」もするのが普通だろう。わたしなどは自宅のトイレも大小別々になっているとともに、そんなレバー式ではないから、ふだんの暮らしでそんな迷いをすることはまずない。外食するとき、あるいは飲み会の際にトイレに行くと、そんなトイレが当たり前のように現れるが、とりあえず「小」をすれば「小」レバーへ行動するが、わたしが迷うのは「小」へ行動しても水が出ているかどうかわからないほどの時である。そういう時に限って、「壊れているのかな」と、「大」へ動かしてしまうのがつねである。果たして壊れているのかどうかは定かではない。「小」の場合、必ずしも水を流さないからといって、とりあえず支障があるわけではない。会社にある小便器だって、手動でも自動でもなく、定期的に水が流れるタイプだから、「水を流す」という行為に入らなくてもよい。公衆トイレで観察していても、手動の場合必ずしも水を流さない人はけっこういる。

 ということで男性の場合、ほとんど意識しない世界の話だとわかる。記事にもあるように、「大」レバーで水が一気に流れれば「爽快感」が生まれることは確かだろう。そういう意味では、調べてみるとけっこう「小」ではなく「大」へ行動している人がいるのかもしれない。記事を読む限り、この記事は男性が記述している。そして「僕は1日何リットル無駄遣いしていたのか」というように、男性ではあるものの、常に「大」を利用していた人もいる。もしや「小」などという文字は形だけで、ほとんどの人は「大」が利用後の操作ボタンだと認識しているのだろうか。そもそも「大」と「小」の違いというか使い分けのようなものが表示されているわけではない。水洗化の途上で現れてきた「大」と「小」の世界、その歴史までトイレの中で考える人はいないだろう。もともと水洗化時代に生まれ育った人たちには、よけいにこの「大」と「小」の意図するものが不思議に映るかもしれない。

 ところで記事の主旨は、この「小」というレバーが必要かどうかというところにある。あまり利用しないからよく理解していないが、「小」レバーは押し続ければいつまでも水が出るという。なるほど「大」の動きと違って押し続けないと水が出ないわけだ。だから「壊れている」などと思ってしまうのかもしれない。それはともかくとして、記事によればいつまでそのレバーを引いていればよいかが解らないと言う。女性の場合「小」でも紙を利用するから、紙が流れれば「それまで」と思うのだが、そこが「大」と違って、いくら出していてもザーッと流れきってしまわず、だらだらと水が出るだけだから完結感がないということだろう。確かに言われてみればそうなのだが、いずれにしても生活上のさまざまな部分が自動化してしまって、目で見て判断する、そしてそれを自らの体に「停止」という信号を与える、などということができなくなった人間がそこにいることは確かである。

 記事では最後にこう記している。「意外と水を使うトイレ。大・小を使い分けている人とそうでない人では1日6回「小」をするとして、年間でおよそ1,160円の違いが出るとか。そう聞くと使い分けたほうがいいのかも。」と。これ以上はもう何も言わない。
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積雪30センチの世界へ

2008-01-24 20:23:40 | 農村環境


 飯田で13cm、松本で16cmといわゆる上雪であった1/23、前々日に降った雪も残っていたこともあり、地域によってはずいぶんと積雪となっている。そんななかだから「寒い」という体感があるが、今朝駅に向かう道は、路面に残った雪がシャーベット状になっていて、意外に気温が低くないことを知る。ずいぶんと長持ちをする靴を履いて通勤していることもあり、長持ちはしているものの、雨の中を歩くと靴の中が湿ってくる。長距離を歩くと、まるで水の中に入ってしまったのではないか、と思うほどの状態で、それを避けるために歩く場所を選びながら歩く。水溜りはもちろんのこと、なるべくアスファルト上に水気がないところを選ぶわけである。ドライなら関係ないことなのだが、ウェット状態の道ではそんな具合に気を使う。靴を替えればよいことなのだが、履きなれたものだから、なかなかそれができないのと、同じ靴を買おうと思ったが、すでに品物は流通していない。

 この冬、石油の高騰で、暮らしのうえで大きな痛手を負っている人も少なくないだろう。わが家でも据え置き型のファンヒーターの燃料タンクを、一冬に最低2回は補給するところが、今年はまだ一度もしていない。なるべく使わないことにしている。使わなければ使わないで済むのも事実で、会社の暖房温度に比較すれば使わなくても家の中はまだ暖かい方だ。こたつひとつあれば十分という感じで暮らしている。考えてみれば生家ですごした子どものころは、かつての住居だったから隙間風も多かった。その時代に今のようなヒーターはなかったわけで、もちろんその時代の冬は、田んぼでスケートができた時代であった。それで済んだわけだから、家が新しくなったこの時代の建物の中で、それほど暖房を必要と思う方に問題があるのかもしれない。不思議な話は、地球温暖化というのに、より暖かい居住空間を望んでいることである。

 さて、昨日は雪の降るなか、旧高遠町の奥へ足を運んだ。積雪は30センチを越える。そんななかで何かをしようとしても、雨具を着込んでいるわけでもなく、上着は半日もすると水が滴るほどになる。そんな状況だから少し方針転換。後日の仕事の準備に力を入れることにした。ふだんは解らないが、住んでいない家はすぐに解る。30センチも降って雪かきをしていない家は、どう見ても住んでいるとは思えない。合併とともに、集落内の道路の雪かきはどう対応しているのだうなどと考えたりする。住んでいない家が目立つということは、それだけ雪をかく人でも少なくなる。山室川の流れる谷も、奥は深い。山室の中心はまだ口元の方かもしれないが、中心を走る県道から見える範囲だけが集落圏ではない。支流をさかのぼればそれこそ廃屋の目立つ集落があったりする。また、山室川沿いに下ると、やはり集落がある。川辺集落などはそんな集落である。降りしきる雪の中、県道を下った集落で撮したものが写真である。十年ほど前も盛んにこの地に足を踏み入れていたが、ひさしぶりに川沿いまで降りる。十年前と同じように茅葺の屋根の家がいくつか見られる。この風景もあと何年なんだろう、などと思いながら仕事を終える。
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学力と経済格差

2008-01-23 20:33:15 | ひとから学ぶ
 特別補習一コマ500円という授業料で学習機会を与えるのは、公教育として芳しくない部分があるといってクレームをつけた東京都教育委員会に対して、都知事の一声でその授業は実行される運びのようだ。これは東京都杉並区の中学校の話である。果たして公平性があるとは思えないが、もともと義務教育に公平性があるのか、という問いがあるかもしれない。しかし、安いとはいえ、金がなくしてはその授業には参加できないわけで、それを税金で運営されている公共施設で行なうのも、おかしな話であることに違いはない。それを「民間の視点」といって、お役所批判の対抗として取り上げるのも、矛盾は多い。

 このごろ信濃毎日新聞において、教育の格差=親の収入格差であるということに触れていた。公立高校の授業料減免率が、進学校ほど低く、いっぽう学力の低い高校で減免率は高いという結果が得られての特集が組まれていた。減免率の高低というものが、明確に学力格差に現れてきたのはこのごろの傾向かもしれないが、学力格差=親の収入格差というのは今に始まったことではないだろう。かつてなら減免を受けてまで高校に進学しなかっただろうし、学力はなくてとも世の中で個々を表現する場面はさまざまにあった。加えて正規雇用の減少は、学力の差とともに人生の差にも現れ、それは覆しようのないほどの重荷になりつつある。けして学力格差だけで派生するものでもないだろうが、傾向として出るのは当たり前である。もちろん、親の収入が良いからといって子どもが優秀とは限らないものの、そうした機会を与えられるだけ可能性に差が出てくる。地域の進学校と言われるような高校に通う子どもたち親の職業とそうでない高校の親の職業は歴然と差が出ているはずだが、このごろは個人情報保護のため情報を出さないから子どもたちの住所すら解らない、親の職業など霧の中である。しかし、そんなことは雰囲気の話しだが歴然としている。そして進学校という同じ窓口を入っても、最初からそこには違いが生じていて、地域の地域に育った子どもと、地域の中心に育った子どもは意識も異なれば、親の意識も異なる。すでに8割ほどの子どもたちの高校後は予想ができてしまうものかもしれない。むしろこうした進学校という選択をせずに、違う道を選択した子どもたちの方が、高校後の姿は見え難く、そういう面では可能性を秘めているのかもしれない。いずれにしても、生涯収入を計算してみれば、親の格差がそのまま大きな形で現れるに違いない。

 片や2割以上の減免者、方や2パーセントていどの減免者、それは限られた世界のことではなく、総じて進学校は低いというのだから、あまりの違いに子どもたちの苦悩が見える。学力優先社会に対しての批判が常にあるのに、そしてそうした批判がかつて世論にもなったのに、今やかつて以上に学力優先社会になっていることは確かである。こうして既定路線が敷かれ、それぞれの人生が明確となると、世の中の雰囲気がどうなるかは自ずとわかるだろう。こうした傾向はより強くなるだろう。高校以上の教育はまだしも、義務教育の世界に冒頭のような格差を助長するような運営があっていいとは思えない。もちろん〝それなら〟と都会では私立へ進学するからその背景は何も変わらないといってしまえばその通りである。そのくらいなら、せめて私立に行かない子どもたちに広い選択の場を、という気持ちもわからないではないが、私立に対向したいというわけではないだろう。むしろ、公教育もこうあるべきだという思想の転換に違いない。すべてが地方は葬り、都会はリードする、そんな流れを絵に描いた現実である。
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エコ神話ともったいない

2008-01-22 12:25:33 | ひとから学ぶ
 100%再生紙という名の下に販売されていた紙が、実は偽装されていたという報道が盛んにされている。そばのそば粉率が100%なら十割そばというが、消費する側にとっては、純金のような純度の高さをうたうそうした言葉に惑わされるものだ。これがどれほど真実なのかは定かではないが、すべてが商品イメージを高めるための業である。環境に対する意識が高まるなか、エコ商品を販売する会社にしてみれば、いかに環境に対してやさしいかということが、これからの市場性にも影響してくる。そしてそういう流れを推し進めるような行政の指導もあるだろう。しかし、もし現実的に100%再生紙に問題があるのなら、その100%の問題性と、それを名乗る基準のようなものは大丈夫だったのか、と問われる。エコ商品の背景のエコ神話のようなものが、こうした偽装さえ育むことになるのだが、世の中のうたい文句などというものは、怪しいと疑えば、〝偽〟だらけかもしれない。しかし、前にも触れたように〝人のなすこと、これ偽なり〟となれば、けして不思議でもなんでもないことで、対峙するわたしたちが、人のなしたものをどう判断するかということになるだろう。

 「図書館のはなし②」で紹介した矢祭町の図書館の名は「もったいない図書館」だという。今までの常識を覆した矢祭町のやり方に拍手を贈りたいが、この名前はちょっと気になる。このごろ流行の〝もったいない〟という言葉、実はあまり好きではない。もちろんわたしもよく使う言葉ではあるが、もったいないの発想の原点は、すでに成したものを捨てるのに、本当に耐用年数を過ぎているのか、あるいは消費期限を過ぎているのか、ということに対して発せられるものだろう。利用されなくなった傾いて屋根が朽ちてしまった家をもったいないという人はなかなかいない。まだ使える状態なのに、廃棄しようとするから〝もったいない〟ということになるのだ。この言葉の背景には現代の病があるといってもよい。かつてのモノのない時代なら、この言葉を発する以前のことである。どれほど朽ち掛けたとしても作り直して雑巾を繕った時代に、〝もったいない〟などという言葉はなかったかもしれない。当たり前のことだったのである。

 ということで、わたしはこう問う。「なぜもったいないと思う前に、そんなものを手に入れようとしたのか」と。もちろんそれらは耐用年数が過ぎたわけでもなく、また、モノを長持ちさせようという意識がないようなシロモノを前にして〝もったいない〟と口にする人たちにだ。金があるから、その場の勢い、あるいは隣が持っているからといって手に入れてしまう。そうした心理をついて、偽装するほどインチキくさいものもあるというのに、売る側の術中にはまってしまう。まずは「無駄なものをなぜ必要としたか」、そこからの発想転換をしないかぎり、再生紙100%偽装の根源は断ち切れないだろう。これは個人的なものに限らない。公共事業もそうだろうし、社会保障の世界も同様のような気がする。〝もったいない〟などという言葉を使わなくても良い暮らしをなるべくわたしはしたい。
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都道府県対抗男駅伝から

2008-01-21 12:31:08 | ひとから学ぶ
 身近な顔が登場すれば、より興味を引くもので、昨年そして今年と都道府県対抗男子駅伝で楽しませてもらっている。西日本でも雪の舞う昨日、広島での同駅伝は、みぞれ混じりの雨の中で行われた。路面の水溜りに落ちる雨粒の様子を見る限り、走る側にとってはつらいコンディションだっただろう。4連覇を目指した昨年は2位に甘んじた長野だが、その際の弱点と言われたのは中学生区間といわれた。その昨年の中学生の記録と今年の記録をくらべたら、今年はさらにタイム的には低いレベルであった。本来なら中体連の全国大会にも出場した駒ヶ根東中学の福澤が出場できればよいものの、中体連以降の成績は芳しくないとともに、体調も崩していた。高校生トリオの区間は、確かに京都で同タイム2位になった佐久長聖からのエントリーではあるが、全国大会に出られなかった有力選手も登場するだけに、タイムだけを比較すると候補兵庫とは差があった。

 そんななかでの今大会、「もしかしたら上野が出られないのでは」と予感したのは、テレビ放映されたニュースでのこの大会のための練習風景からだった。いつもなら後輩たちに率先して声を掛けている姿がなく、その役を佐藤が担っていたからである。その予感通り、上野が出られないということが前日メンバー発表で解り、もちろんその代役になったのは初優勝テープをきった帯刀だった。「優勝は厳しいか」という予感の中、冷たい雨が幸いしたのか、他の有力チームが苦戦する。タイム的にはトップと言われた福岡は1区からその姿を見ることはなかった。当初は1区村沢などというオーダーもあったが、最長区間にエースを持っていったのは正しい選択だっただろう。その1区がイメージよく始まったのは、昨年との大きな違いで、2区臼田(わが家では〝トシくん〟と言っている)が昨年に比較するとトップ争いのチームの中学生が弱かったのか、トップに肉薄する健闘だった。昨年の今頃は9分台を切ることができないということで、中学最終学年に向けて不安もあって、その通り中体連の全国大会には手が届かなかった。その後練習方法を変えて記録が伸びるようになったという。あまり報道で取り上げてもらえなかったが、ここの頑張りがとても大きかったのではないだろうか。続く3人に問題はない。予想通りの佐々木、村沢の走りは目立っていた。なるべくたくさんの貯金が欲しいという通りになった。意外な力を発揮したのは、もうひとりの中学生の両角だった。彼の持ちタイムは、昨年同区間を走った松下とは大きな差があったにも関わらず、その松下の区間タイムを上回った。タイム的には昨年に引けをとってた中学生のがんばりがとても目立たなかったが大きかったといえる。

 よそのページに体育会系の独り言(独りよがりとはわたしも似たようなものだから言わないが、ちょっと気になる)があったが、確かに佐藤の走りはそれほど良いものではなかった。しかし、箱根の走りも区間新を作ったとはいうものの、走りはけしてよいものではなかった。上野が走ることができなかったのも仕方のないことで、彼らにとってこの駅伝が目標ではない。帯刀にしても東京マラソンを目指して調整中ということで、こうした大会の影響で、本来の目標を犠牲にしてしまってもいけない。もちろん後輩たちにとっては、「優勝」などというものは簡単にできるものではないから、大きな目標に違いなく、また大きな自信につながるだろうが。ここ5年間の記録を一覧にしてみた。実は5区まで大会記録を上回るタイムだったものが、最終的には、最近にはないほど優勝タイムとしては遅いタイムとなった。どこのチームもこの大会が最終目標ではないだけに、この大会で勝つというのは難しいものとあらためて思っているはずだ。常にコンスタントな活躍ができるような常日ごろの努力をしている、そしてそうした指導をしている両角佐久長聖監督の指導の賜物といえるだろう。結束力という部分もこの高校が主体になっているところが大きい。



 一覧の中に色づけしてあるものがある。中学生区間を走って、その後も高校生区間を走っている選手を示す。今回活躍した広徳中出身の佐々木、箕輪中出身の千葉は、平成18年大会に走った。そしてこの2人の補欠として同大会に出場した楢川中出身の村沢は、今やエースである。昨年今年と、地元の中学から補欠も含めて4人が出場している。彼らがこうした先輩たち同様に、再びこの一覧に登場してくれることを楽しみにしている。
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「毎日」の日記

2008-01-20 15:19:21 | つぶやき
 ブログを日記として利用している人もいれば、携帯系などのような掲示板的利用、あるいはポータルサイト的なものまでさまざまである。以前にもどこかで書いたが、筆記の日記なら三日坊主なのに、この空間を利用し始めてすでに何年かたつ。基本的には日記として利用しているから毎日記録することを心がけているが、必ずその日に記録したとは限らない。下書きしていたものをその日に合わせて修正して完成しているものも多い。それなら毎日などということにこだわらなくてもよいのだろうが、それを怠ると、筆記の日記と同様に三日坊主のような空白が続いてしまうものだ。ようは性格的(せっかちな人間)には継続なくしては、日記は似合わないということなのだ。それをかろうじて回避しようと、「毎日」が実行される。利用は日記ではあるものの、どこかに何かを期待するものがあるからだろう。筆記の日記にはそれがない。あくまでも自らだけの記録、そして世界である。人に読んでもらうなどというのは前提ではない。したがって、さまざまな空間が今や公開されているはずなのだが、いわゆるその日記から暮らしが見えて、読み解きたいというものはない。例えば農業日記のようなものである。その日の農業を記録したとしても、どうしても写真などに頼ったものになっていて、生活ぶりは見えてこない。

 さて、オープンにしている期待、ようはたくさんのコメントを望んでいるわけではないのだが、何かのヒントを得ようとしている。なかなか時間がなく、知識を取り入れる時間もないと、「はたして自分の知識に間違いはないのだろうか」などと思うが、それらを総体的にチェックするには、公開されているというのはひとつの手である。それでもなかなか「毎日」を実行していくのは大変かもしれない。「アナログッチ」というページをオープンしている方は、わたしと違ってずいぶんと忙しそうである。それでも「ブログを書く時間はとってある」と述べている。とんでもなく忙しくても、ブログへ投稿できる人というのは、民間のそれも役付けの方、あるいは自由業の方ということになるだろうか。ちょっとした空き時間を利用できる、という方たちである。もちろん携帯で投稿する人は仕事中でも授業中でも可能だろうが、いずれにしても、仕事中にその時間を割くことは普通はできない。だからそこへ投稿するというのは、実は忙しいとなかなかできないのである。どんどんと文が浮かんでくればともかくとして、毎日そうはいかない。

 ところで、若いころにこういう空間があったらまた違っていたと思うのは、この「毎日」が継続していることだ。継続するということはそこに記述する内容を持たなくてはならないから、思ったことを常にメモするとかしておかないと、どんどんと記憶からなくなってしまう。多感であった若いころのそんな思いは、残っていない。今とは違う視点があって、今読み返せばきっとヒントがたくさんあるだろうにと思うが、それはできない。

 さまざまであるよそのブログ空間をひも解くと、新聞記事(ページ公開されている)などをまるごとコピーして紹介し、自らのコメントを一行程度記述するというものもけっこう多い。ページ上の写真や記事をそのままコピーというケースもかなり多く、それも安易に行っている。著作権上では問題が多いのだろうが、そんな意識はないだろう。考えてみれば、日記という捉え方なら、自分が意識したものを残してコメントするというのは、ごく普通のことである。たまたま公開されているから問題なだけであるのだが、気になる部分でもある。ページの形態として、堅いまさに「日記」みたいな内容にコメントは少ない。まさにこの空間もそのとおりである。もともとトラックバックというシステムがブログというものを汎用化されたものの、今やTB禁止のページは当たり前になった。禁止していなくとも、コメントに比較すればTBの数は極端に少ないし、「このTBはためになる」というものは少ない。今や総体的に掲示板のようなものである。

 わたしのように日記として利用している者には、丸ごとコピーをしておきたいと思う。ところがボッケさんが述べていてあらためて知ったが、ブログサイトを丸ごとバックアップするのは手作業しかないようだ。そんなソフトは巷にはない。何が起こっても不思議ではない世の中だけに、手元に保存したいという気持ちは強くある。ところが世の中の流れは違うようで、今や媒体に保存する時代は過去のものになりつつある。どこでも誰にでも見たり受け渡すことができるということで、データをネット上に置くのが常識のようだ。大地震があったら、データが飛んでしまうなどということは絶対ないのだろうか、などと思うのだがいずれにしても、銭を払って公開しているわけではないから、消されても文句は言えない。なんらかのことはしたいと思うものの、どんどん蓄積していって、それもできずに日が過ぎてゆく。

追記 それにしても、近隣でブログ公開している人のページをいくつか徘徊したが、テレビ記事の写真とかをコピーしていくつも並べていて、それでもってけっこう偉そうなことをしゃべっている人がいるが、こういうのはちょっといかがなもんだろう。
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二十日正月まで正月飾り

2008-01-19 16:15:25 | 民俗学


 旧長谷村の非持山を小正月明けにの15日に訪れた。道祖神の祀られている三叉路に正月飾りが少しまとめられている。このあたりでは正月の飾りを焼く行事をサイノカミというところが多いが、このあたりはどんど焼きだろうか。すでに小正月は過ぎたのだが、まだ焼かれずにいる飾りがある。そして家々の玄関先を見ると、まだ松が飾られている家が多い。ここらでは飾りをすべて下ろすのはいつなのだろう、などと思いながら通り過ごした。わたしの子どものころは、小正月の14日夕方にホンヤリ(飾りを焼く行事のことをいう)をし、二十日正月にもホンヤリをしたものだが、今はもうこの二十日正月にはしない。この行事の主体が子どもたちに移ったころから二十日正月のホンヤリはなくなったように記憶する。

 ところで非持山の家々をのぞくと、いわゆるホームセンターなどで売られているような正月飾りが飾られていたりする。意外だったのはそういう簡単な飾りをしている家が多いことと、それが小正月以降まで飾られていることだ。以前にも飯田のマチの正月飾りについて触れたが、正月早々にはずしてしまうところにくらべれば、ずいぶんと長持ちというか、有効に飾られていて、歳神様もずいぶんと長居をしたものである。せっかちなこの世の中で、十分と正月を楽しまれたことだろう。このごろの休日や祝日の感覚というか境目がなくなりつつある。こうして長居をしたからといって、歳神様も休日を楽しんだとは限らないが、果たしていかがなものだろう。今や長野県のどこを訪れても、年が改まったなどという雰囲気を持つ集落はなくなった。小正月を中心に行事を盛大に継続している例えば阿南町新野など限られた地域だけかもしれない。子どもたちにとっての正月観というものもどうなんだろう、などと思うが自らがその時代を再び経験することはないからまったく不明である。

 さて、二十日正月を前に再び非持山を通ったので、道祖神の祀られている場所に行ってみた。以前よりも少し飾りが増え、そのまま置かれている。少し周辺をうかがってみると、やはり玄関に飾りが見える。道端で立ち話をしていたおばさんたちに聞いてみると、ここでは小正月には焼かないという。二十日正月まで飾っておいて、その日に降ろして焼くようだ。かつては道祖神の祀られている場所で焼かれたのだろうが、近くにある公民館に隣接した土地で今は焼く。当初は小正月にも焼いて、二十日正月にも焼くのだと思っていたがそうではなかった。
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川に落ちたら最後、出られない

2008-01-18 21:50:37 | 自然から学ぶ
 最近川の中に入る仕事をしている。冬の寒い時期に川の中とはまたお寒い話なのだが、冬季間の方が川の水が少ないから、ほかの季節なら渡れない川が、渡れたりするから好都合なのだ。ひと通りがあるようなところでこんな時期に川になんか入っていると、「寒いに大変ねー」などという言葉をかけてくれる人がいるものだが、最近入っている川の周辺には、残念ながらあまり人が出歩いていない。旧長谷村の奥に杉島というところがある。この杉島の奥には戸草ダムという天竜川水系では佐久間ダムに次ぐ高さのダムが計画されているが、田中前知事の脱ダム宣言以降、建設の進みは遅くなって、今や見直しという話も出ている。このダム建設のために杉島への道もずいぶんと整備された。その整備された道路に車が走ることは、冬季にはとくに珍しい。わたしも集落内の川に約1時間ほど入っていたものの、通過した車は1台だけであった。天竜川の三峰川水系を奥まると、そんな集落が多い。杉島にはまだたくさんの人たちが住んでいるようだが、まったく住まなくなった集落も多い。

 美和ダムから北へ谷を入ると山室川の谷である。三峰川本流に比較すれば奥は浅く、谷も狭いが、この谷あいには、集団移住をした集落がいくつかある。もっとも知られているのは、この谷の最も奥の集落である芝平(しびら)である。そればかりではなく、災害を契機に集団移住した集落もある。中屋というところから急坂をしばらく登っていくと、半対という集落がある。昭和57年の災害を契機に、旧高遠町内に集団移住した。しかし、その後も家々は残り、人が住んでいても不思議ではないような家がけっこうある。しかし、よくみればふだんは住んでいないということは解る。集落の中心にお釈迦様を祀ったお堂があり、このお堂を見る限り、集団移住した人々には心のよりどころとして、今も信仰されていることがよく解る。中屋の上に赤坂という集落が山室川沿いにあるが、現在も住んでいる家はあるが、ほとんどは無住である。こういう山奥に入ると、住んでいても従来のこの地の人でないことも多い。不思議な空間を作っている。集団移住をした集落に、人が住んでいないかといえば、時に人が住んでいたりする。そんなこともこういう山奥には珍しいことではない。



 写真は赤坂の道端に祀られていた道祖神などの石碑である。注連縄が張られているが、この正月に張られたものかは定かではない。両端の竹がまだ新しいところをみると、それほど古い注連縄でもない。この石碑の背に、山室川が流れている。このあたりも昭和57年の災害で護岸が整備されたのだろう。ところが、このころの川となると、川の中に入ることができない。高さにして護岸の天端から2mくらいだろうか。時おり床固工が施工されていて、もし川の中に入ったとしても、その落差によってその区間から縦断方向に出られないということもある。そして護岸から降りる場所もないから、はしごでも持ちながら歩かないと川には入れないのである。そんな川の中を見ると、丈の伸びた葦がびっしり生えているところもある。「入れない」ということもあるのだろうし、また住んでいる人も少ないということもあるのだろう。河川内は誰も管理する人がいないということである。こうした河川環境は、このあたりでは当たり前で、山室川からさらに支流に入っても、その環境は変わらない。半対の中を流れる半対沢も、川の中に入れる場所はほとんどなかった。あらためて川にかかわった仕事をしようとして、川に入れないということを知った。
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「殯の森」

2008-01-17 12:28:47 | ひとから学ぶ
 映画と言うものはテレビでしか見たことのない、まったくの映画の素人である。それでも唯一劇場で映画を見た覚えは、まだ小学生にもなっていなかったころに祖母に連れられてとっくに廃館となった隣接する市の映画館に行ってみた「白百合の塔」だった。その時の映像は、どこかに少し記憶に残っている。映画館で見たものだから印象に残っているものなのか、インパクトが強くて残っているものなのかは定かではない。

 BS2において1/14、「殯の森」を放映した。カンヌ映画祭においてグランプリを受賞したということは多くの人が認識しているだろうが、その映画を実際に見た人はどれくらいいるだろうか。ということでわたしも見たことはなく、妻が選択したチャンネルを、興味深く見入ることとなった。殯という言葉は一般の人にはまったく意味不明な言葉で、聞いたこともない人が多いはずである。もうずいぶん前のことであるが、亡くなられた名古屋の知人に連れられて志摩半島の方へ出向いたおり、墓地をいくつか訪れたのだが、知人がある墓を見て、「殯の風習の名残り」と教えてくれたことがあった。埋葬されてしばらくたった墓の上に青竹で囲まれたモノがあって、それを殯というものだということを知ったが、その意味までは深く考えたこともなかった。

 『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、「殯(もがり)とは、日本の古代に行なわれていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。その棺を安置する場所をも指すことがある。」と説明されている。そして「通夜は殯の風習の名残で、殯の期間が1日だけ、あるいは数日だけに短縮されたものとする説もある。沖縄でかつては広く行われ、現代でも一部の離島に残る風葬と洗骨の風習は、殯の一種の形態と考えられる。」と言うように、少しではあるが現在の葬儀の中にその風習が残っているらしいこともわかる。風葬による白骨化を待つ風習のために、死者を青竹で囲んだ殯に1~3年安置した例が近世以降になってあったというから、志摩で見たものもそうした風習の名残りだったのだろうか。

 さて、映画の評価については二者択一のくらいに分かれるということが、佐藤弘弥氏の「カンヌグランプリ受賞作 映画「殯(もがり)の森」を見る」のページからもうかがえる。そして佐藤氏が語るように、見るものに難解なものを与えるかもしれない。妻は「難しい」を連発する。その後放映後のレビューを期待していたものの、その解説からも求めるものが得られなかったようで、「もっと解りやすい解説が欲しい」というほどである。最初に触れたように「殯」という言葉からして親近感がないから、おおかたの人はその意図が見えないかもしれない。もちろんわたしも「なぜここにこういうカットがあるのか」などということを思いながら、寝そべって見るようなテレビの番組ではないことだけは解る。軽自動車を脱輪してからのエンディングまでの時間は、人によっては「つまらない」と思うに違いない。しかし、わたしはこう見てみた。それはこのところ記述してきた「死に支度を考える」にもかかわる。

 豪雨の山の中で、「いかんといて」と叫ぶ女性の言葉の意味は何かと考えると、そこは三途の川ではないのかと思えてくる。夜、火を焚く中で「しげきさん」と呼び続ける、そして身体をさするということの意図は、死者をあたためる、蘇らそうという意図が見えたりする。そしてひたすら登ろうとする山、女性は山へ登ることの意図がわかって手を貸しているのだろうか。そしてそこに現れた大木。ニソの森を思い出させるその山は、墓であることはすぐに解る。その山に眠る妻の遺骨。33年もの間別れを悲しみ、死者を慰め、また死者の復活を願っていたしげきは妻の死を認め、死の完結をこめ、ここで妻の骨を確認しようとする。そして、自らそこに眠りの地を求めるのだ。これは眠ったのか、また蘇生するのか定かではないが、このところ墓を繰り返しとらえてきたわたしには、墓のあり方を投げかけられたようなタイムリーな物語となった。

 佐藤氏が言うように、共感とリアリティーという問題でいけば、この後半の映画の世界は、評価が分かれて当然だろう。平瀬監督の言葉、

「映画を作ることは大変なことで、それは人生に似ている。人生には様々な困難があり、人は心のよりどころをお金や服など、形のあるものに求めようとするけど、そんなものが満たしてくれるのはほんの一部。私は光や風、亡くなった人の面影など、私たちは、そういうものに心の支えを見つけた時、たった一人でも立っていられる、そんな生き物なのだと思う。そんな映画を評価してくれて、ありがとう。これからも自分にしか撮れないものを映画にしていきたい。」
(佐藤氏編集文より)

この言葉とわたしの森の中での物語の認識をクロスさせると、物語のセッティングがどうのこうのというよりも、人の精神世界を映し出しているものなのだと解る。佐藤氏は、「この作品に「グランプリ」を授賞するに当たっては意見が真っ向から分かれたということだ。それは当然であろう。日本文化の何たるかを、本当の意味で知っていれば、この作品には違和を持って当然だ。逆に少し日本文化を囓った人間は、貧弱な知識を大げさにひけらかして絶賛をするかもしれない。 」と言うが「貧弱な知識」という部分だけは適正ではないと思う。むしろ疲弊した現在の日本人を、殯というすでに消え去ってしまった言葉に借りて問題提議しているように思える。
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