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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

自治体と自治会と②

2012-04-07 23:59:43 | ひとから学ぶ

 自治体と自治会と①より

 共益労働にはどんなものがあるだろう。わたしの住んでいる地域を例にとってみよう。共益労働と思われるものは①ゴミゼロ運動、②河川清掃、③公園整備、④自治会館清掃、⑤山作業、こんなところだろうか。ゴミゼロ運動についてはさほど部外者が入ってこない地域だからゴミが捨てられて見苦しいなどというところを見た記憶はない。ようは自治体が一斉にやるからやっているだけで、やらなくても良い作業である(わたしの住んでいる地域でのこと)。河川清掃も自治体が一斉に呼びかけて行うもので、自体から若干の補助金が出る。ということは本来自治体が管理すべきものを、自治会に頼んでやってもらっているというもの。公園整備は毎年必ずあるというものでもなく、周り番でやってくる。ほとんど誰も使っていない草ぼうぼうの公園の草刈などをする作業でありがたい作業ではない。寺質会館の清掃は使っているのだから当たり前のこと。山作業は区で所有している山が広いこともあって、毎年区民全戸がかかわって整備をする。かつてなら利益があった山であるが、今は林業の衰退でもお分かりの通り、区民が逆に労働奉仕など出費を重ねている状況だ。「共益」とは言うものの利益感などほとんどない。だから「負担」が負いかぶさるというわけだ。まあそれはともかくとして、この5種類のうち①と②は「一斉」というように自治体の推進するものが自治会という組織に投げられているだけのことで、自治会でなくても活動は可能なこと。むしろその方が意図がはっきりする。③から⑤は自治会というよりかつてのの遺産。実はこれ以外に除雪といったものもあるのだろうが、わたしの住んでいるところでは明確に共益労働とは言いがたい。隣近所における暗黙の了解のようなもので行われており、必ずしも自治会とのかかわりが強いというわけではない。

 あらためて知人の示した共益労働の意図を読んでみると、地域環境整備といわれるような負担は実際の自治会活動のなかには認められない。もちろん①と②はそれに該当するのだろうが、前述したように自治会が関わらなくても可能な作業である。そもそも自治体が共益労働=地域環境整備と認識しているとすれば、自治会の必要性は全員参加という拘束を保たせるための「自治会意識」を利用しているとも言える。冷静に分析するほどに自治会は自治体に利用されているという印象が増幅してしまう。また除雪を例にとってその分担について述べているが、これもまた行政が一定の協力を地域住民に正式に依頼すればよいものであって、自治会という緩衝材を置いて曖昧にする必要も無い。やはりたまたまある自治会を「利用」していると捉えられても仕方がないのだが、実際の自治会の役員にはそのような意識は少ないだろう。あくまでもこれまでの慣例的な位置づけといえる。「それらすべてを行政が担っていたら現在の税負担では財源が不足する」という発言もうっかり頷いてしまうところだが、自治会の有無をもって税負担に絡めてしまうのは早計というもの。繰り返すが自治体が求めているものは自治会を通さずともできるはずである。むしろ自治会を通すことによって自治会加入者と未加入者との壁を作ってしまっているとも言える。

 続く


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