Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

境界域の煩わしさ

2017-07-20 23:50:48 | 信州・信濃・長野県

 基本的に境界域に生まれ、そしてずっとその界隈で暮らしてきたから、境界域の不自由さのようなものは解っているつもりだ。境界域でなくとも、例えば下伊那の山間地域も、もちろん外周部にあるから境界域のようなものなのかもしれない。そう捉えると中央という位置に暮らす人々は限定的なのかもしれないが…。会社への途上、駐車場近くまでやってくるといつも思うことがある。ラジオがよく入らない。それは会社の車で現場に行く際にもよく感じることだが、どうも伊那市周辺と言うか上伊那エリアというところは飯田近在に比較すると「ラジオが入らない」。自動で検索しても止まらずにずっと探していることもよくある。上伊那そのものが境界域だとは言わないが、郡の中心にあってもラジオがよく入らない場所がよくある。谷の中に入っているから、なんて利理由づけするが、別の地域では谷の中でもちゃんと聞こえるところは聞こえる。とはいえ、まだ伊那市のあたりはよく、とりわけ上伊那でも辰野町あたりに行くとラジオが本当に綺麗に入らない。もちろん善知鳥峠なんていうところは入らないが、辰野の町の中だって入りづらい。まさに境界域と言ってしまえばよれまでだか、これは昔から変わらない。

 いっそ入らなければそれまでのことだが、やはりわたしの行動エリアは、本当に境界域だ。住んでいる場所は下伊那だが、境界域だから飯田エリアの周波数でラジオは入る。同じことはテレビも同様だ。ところが今年のように伊那へ通うとなると、例えばFM長野は飯田の周波数は郡境を超えるともう雑音が入りだす。ということで県内でももっとも広域な周波数帯に変えることになる。それほど長い距離を経ているわけではないがへ、郡境域に暮らしていると周波数による煩わしさは日常のこと。いまどきの車載されているテレビは信号が低下すると自動的に検索してくれるが、とはいえ綺麗に入らないエリアが広い。境界域に暮らす人々の当たり前の煩わしさである。

 もっといえばラジオなんて言うものは、県境域に至るとすっかり入らなくなる。下伊那の県境域なんていうのは、「ここは長野県なのか」と思うほどそういった類のことに関して忘れ去られた地域だ。それも昔からほとんど変化がないところが良い、いいや悪いというところなんだろう。でもわたしの境界域の日常にくらべたら、どうやっても入らないからそもそも煩わしいような行動をとらないんだろう。諦めである。


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