Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

転んだ石碑を起こす

2007-12-01 22:39:01 | 民俗学


 玄向寺裏山に立つ。そこからは松本市街地まで見渡せる。正面に改築中の信州大学病院が大きくそびえていて、霞がかる街並みに圧倒的な大きさを誇っている。探せば松本城の姿もその霞の中にあるのだろうが、そこまではしなかった。長野県民俗の会例会が玄向寺裏の女鳥羽山一帯で行なわれた。モーテル街の南側にある玄向寺へ左折すると、まるでモーテルに入るような雰囲気だ。駐車場は、まさにそんな建物の裏側である。ちょっと不思議な場所、と意識することもないが、そこから寺を横目に松本城主水野家の墓所の入り口まで登ると、剣が両側に立ち、いかにも雰囲気の違うもうひとつの空間の始まりだ。剣の奥に、「この山中に無断で石像・石碑等建てることを禁ず」という玄向寺の不可思議なタテ看板がたつ。「なぜ」と思うだろうが、この裏山一帯は玄向寺の管理地なのだろうが、その管理地に勝手に石像や石碑を建てる者がいるからこういう看板が立つことになる。

 この寺の裏山には御嶽講の石造物がたくさん安置されている。「安置」という言葉は適正ではないかもしれない。かつては安置されたのだろうが、今や荒れ放題というところだ。この入り口を入って沢沿いに登ると、無断で建物を建てた者は寺に申し出てほしい、なる看板も立つ。今は取り壊されているが、行をするために何らかの用途にされた建物の残骸がそこにはある。

 ここに御嶽講の石造物を立てた者は、玄向寺の檀家でもあったようで、寺も無理にそれを排除しなかったようだ。そんななか、明治時代以降盛んにこの裏山に御嶽講の石像物が増えて言ったようで、約100体の石造物があるといわれている。沢の南側にあるお稲荷さんまでは、登山道のような参拝道が整備されているが、その道沿いに立つ霊神碑は無残なものもある。沢の源流は、女鳥羽の滝という滝があって、その滝の上に湧水源が今もあって水をたたえている。写真はそんな女鳥羽の源流下に立ち並ぶ石碑群である。立ち並ぶというのも正確ではない。半分くらいは横たわっているかひっくり返っている。今回の例会では、これらの石碑群の調査をするのが目的で、ついでに転がっている石碑を起こして「整備する」というものだったようだが、こんな山の中で、ひっくり返っている石碑を起こすにも。小さなものならともかく、大きなものは人力ではとうてい無理な話である。中央下側に朱に塗られた不動明王が建っているが、その右手の小さなものや、割れている「覚明霊神碑」は、参加者で起こしたものだが、なんとも一時しのぎの策に過ぎない。上の方にひっくり返っているものがあるが、これらは「次期例会で再び」
という話である。いやはや大変な例会となった。参加者のみなさん、お疲れ様でした。

 さて、下の写真は「不動明王」であるが、字の上に目だけが彫られていて、異様な雰囲気をもつ。目の信仰があったというから、その信仰のあらわれなんだろう。


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