久しぶりに昼どきマチに出た。?、ちょっとまて、今ではマチと言えるかどうか…。民俗の世界ではかつて繁華街だったようなところをくくってマチとカタカナ表記するのが当たり前であるが、もはやこの世界でマチと表記した空間は遺構のようなものになってしまっているかもしれない。ようはマチの存在の消滅なのだ。町や街や都市はあっても、マチの存在感はなくなり、マチのイメージそのものも今の若者がこの世を握ったころには消滅するのだろう。
そんな余談はともかくとして、昼食をとろうと入った店がうどんもやっているかと思ったら、まったくの蕎麦屋だった。メニュー眺めても「蕎麦」しか並んでいないので、仕方なくきっと美味しくもない蕎麦を口にするのなら、と思い暖かい蕎麦のメニューに眼をやっていると、その続きに丼物がいくつか並んでいた。「これだ」と思い丼物を頼もうとしたが、とはいえカツ丼と親子丼くらいしかない。蕎麦屋でこんなに悩む必要もないだろうが、そもそもうどんを食べようと入っただけに、その選択肢がないことに戸惑いが増幅した。加えて客が少ない(他に一人だけ)から、店員さんがわたしの席の前で注文を待っている。最近なかった光景を第三者のようにわたしは空想していた。
さて頼んだカツ丼が出てくるのにそうは時間がかからなかった。茶碗にお茶を出してくれてから15分とぼだろうか。少し茶碗のお茶をすするものの、既に冷め始めたお茶が、気持ち冷え冷えした店の片隅に座ったわたしの身体を温めることはなかった。「座る場所が悪かった」と思ったのは、暖房の風が当らない席だと気がついたとき。そんな冷え冷えしたわが身の前にやってきたカツ丼は、湯気が立ち、「待ってました」感を煽ったのは言うまでもない。お茶がぬるかったというのもその後の行動を左右したのだろう、湯気のたつカツ丼の片端を箸で持ち上げると、おもむろに口に持って行ったのは当たり前だろう。ところがである、あまりの熱さに「やばい」と思ったのは、口の中の熱さをどう解消するかの回答がなかったからだ。けっこう熱いもの好きなわたしは、回答を解けずにそのまま胃の中に送り込むのが常だ。身体に悪いと思ってもよくやってしまう行為。その熱さに懲りて、慌てることなく冷めるのを待てばよいのに、冷え冷えしたそれまでのわたしの身体は、それでもと次を要求する。なんと「熱い」を繰り返すこと何度か。もはや口の中は火傷状態。「食道にも胃にも良くないよね」と思いながらも繰り返した反省は、その後1日中わたしの身体を蝕むように火照らせる。すべてが冷え冷えした店内と、再び出されたお茶も冷めかけていたことに起因する。もちろん店のせいにしてはいけないことだが、最悪なその後であったことは、この後糧になれば良いが…。
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