Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「小海線の旅」

2006-07-22 09:50:23 | 歴史から学ぶ
 「消えた村をもう一度」と題してパンフレットを紹介しながら、合併して消えてしまった町村のことを書いてきているが、ここに広域単位で作成されたパンフレットを一つ紹介したい。

 写真の「小海線の旅」というパンフレットをどこから手に入れたかはよく覚えていない。そして、奥付にある発行所を見ても発行日が記録されていないので正確に作成されたのがいつなのかは、わたしにはよくわからない。しかし、こうしたパンフレットを集め始めた最初のころのものであることに違いはない。すこし遅れて「佐久」というパンフレットも作られており、その奥付などから推定すると昭和50年前後のものと思われる。この冊子は、A5版で40ページ立てという立派なものである。パンフレットというよりは観光用の雑誌という作りである。

 創刊号であるこの雑誌を開くと、

 信越線の小諸駅と
 中央線の小淵沢駅を結ぶ
 延長78.9キロの小海線は
 日本で最も標高の高いところを走る
 本格的な高原鉄道です。

 と書かれていて、続いて目次がある。「特集」高原列車、ひろがりの高原、高原、小海線の歴史などと続く。八ヶ岳をバックにしたこの表紙の建物は、「八ヶ岳高原ヒュッテ」といわれ、当時テレビドラマの舞台にされたことを覚えているが、何のドラマだったか記憶から飛んでいた。それではと思い、HPで検索してみたところ、昭和51年に田宮二郎と由美かおるが主演で「高原へいらっしゃい」というテレビドラマがあったということがわかった。記憶によるとおそらくその時代のことである。このヒュッテ、当時の一泊二食付きの宿泊料は、5500円から6500円だったが、現在はホテルとしては営業していない。そういえば、2003年に佐藤浩市主演で同じタイトルのテレビドラマが放映されている。

 冊子の中にも紹介されているが、「日本国有鉄道線路最高地点」という看板があった野辺山駅近くの標高は、1375メートルある。開業当時は原始林の中に駅があって、待合室に熊が出るという話もあったという。

 小海線沿線観光連絡協議会が発行したもので、この協議会の事務局は、沿線の市町村が持ち回りで受けていたようだ。2号になると発行している事務局が違っている。ちなみに第1号は佐久市の商工観光課内に事務局があった。山梨県側の清里は、このころからしばらくの間、若い女性に大変人気のあった観光地であるが、その面影がこのごろはだいぶなくなった。小淵沢町、長坂町、大泉村、高根町と4町村あった山梨県側の沿線は、最後に残っていた小淵沢町も合併して、現在は北杜(ほくと)市というちょっと想像のつかない名前になっている。

 小海線のパンフレットを昔から持ってはいるものの、乗ったことは1度しかない。それも韮崎から佐久市まで歩く強歩大会に参加した際に、ただの1度である。

コメント    この記事についてブログを書く
« 小田井の道祖神 | トップ | ウサギとカメ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史から学ぶ」カテゴリの最新記事