Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

八幡商店街の移り変わり

2006-11-09 08:11:01 | ひとから学ぶ
 おとといに続いて郡総合展覧会の作品から触れてみる。

 飯田市松尾小学校6年生の男子が「八幡商店街の移り変わり」と題して調べている。自らそこに住んできたなかから、昔のマチはどうだったのだろうと調べたもので、40年前と20年前、そして現在の町並みを比較してその変化を捉えようとしたものである。八幡(やわた)は、飯田市街から国道151号線を阿南町方面に進み、飯田松川という天竜川の支流を渡り、しばらく行くと最初にマチらしく町並みが国道沿いに沿っているところで、平行してJR飯田線が走り、中心部から少し下ると伊那八幡駅がある。段丘崖が迫ったところで、空間的には飯田以北の開けたイメージからしだいに山間へ向かう境にある。国道に沿って1キロほど家並みが続くのだが、道沿いに家々が迫っているため、国道を広げることもできず、その町並みの前後に比較すると国道が狭い印象がある。そんなためなのか、現代風の街並みというイメージはなく、ちょっと暗い印象がある。その印象は、道だけからくるものではなく、やはり街並みに店の姿が少なく、表通りに明かりがあまり見えないというところからもくる。彼がきっとこのテーマに触れた原点に、「昔はどうだったのだろう」という気持ちは当然あったのだろうが、それは今の街並みが商店で連続していないことから感じられる違和感のようなものに始まっているのではないか、とわたしは思うわけだ。いや、彼がそう思わなくても、わたしはそう思いたいわけで、わたしの子どものころの常識からいけば、大小に限らず、マチといわれるような場所には軒を並べて店が続いているというのが当たり前のことだったからだ。

 現代のこどもたちが、そんな印象を持っているかどうかはわからないが、たとえば地方の大きめな都市においても、必ずしも店が連続しているわけではなく、むしろ連続していないことの方が多かったりする。郊外型の店が多いが、そうした店には「街並み」という言葉は似合わないし、空間が空きすぎていて、マチというイメージにはならないのである。そこへ行くと、かつて軒続きに店が並んでいた空間は、マチのイメージとして、記憶の中に固定化されているのだ。もちろん世代が異なればマチのイメージも異なるのだろうが、日本人は例えば京都の清水坂のような、あるいは観光地の土産屋が軒を並べる空間がとても好きなはずである。同じような空間がマチとして機能していたならば、きっと人々を集めることができるとは思うのだが、なかなかそういう空間を人任せで作ることは、今の情勢では難しいのである。ちまたで言われるシャッター通りなんていうものも、街並みという空間をほころばせてしまった末の姿だといえるだろう。

 さて、自らが住むそんな街並みの変化を捉えた彼の結果をうかがってみると、40年前と変わらず現在も商っている店は約3割程度で、新たに始めた店が1割、その他はほとんど辞めてしまった店となる。辞めたまま住宅に、あるいは空き地になってしまったようで、半分程度は40年前に比較すればなくなってしまったわけだ。考察の中で、とくにこの10年ほどの間に閉店した店が多いと述べており、マチの衰退ぶりがうかがえる。①かつての店が辞めてしまってそのままそこに住んでいるのか、それとも引っ越していったのか、②かつてここで開店していた人たちの出身地はどこだったのか、③どこからやってくるお客さんが対象だったのか、というような疑問はたくさんわいてくる。マチに限らず地域の変化を捉えるのは興味深いとともに、前述したように、思い込んでいるマチの姿、地域の姿の背景に何が問題としてあるのか、さまざまな視点をめぐらせることもできるのだろう。

 余談であるが、時折世話になっている寿司屋が彼の描いた街並みの地図に登場するのだが、まさにその寿司屋は40年前と変わらず営業されている。マチが寂しくなっても、長らく続いている店に、改めて思いを馳せるものである。

コメント    この記事についてブログを書く
« レジに並んで思うこと | トップ | 屋号を調べる »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ひとから学ぶ」カテゴリの最新記事