Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

達成感のない作業

2017-12-03 23:40:16 | つぶやき

 3年ぶりに地域の神社の清掃当番が回ってきた。年に2回ある神社周辺の公園を含めた清掃作業は、三つの地域が持ち回りに行っているから、3年ごと回ってくる。そしてここに住み始めてから秋の清掃作業ばかり記憶に残る。初夏の作業をした記憶があまりないのである。裏を返せば秋の清掃作業の方が重いから記憶に残っているのかもしれない。「とのくらい(時間は)かかるのだろう」と3年前の記録を紐解くと、2時間ほどで終わっている。「そのくらいで終わるんだろう」そう思って始まった今年の作業。ところがなかなか持ち場に着いたものの、作業がはかどらない。この調子では2時間では終わりそうもないじゃないか、そう思った。作業はまさに神社内の清掃作業、それと最も手のかかる周辺の除草である。多くの人たちは刈払機を持参して草刈を行うのだが、参加する度に刈払機の数が減っている感じ。ようは高齢化するとともに、刈払機を持参する人が減っている。したがって刈払機で草を刈る人の数が減っているのだから、作業が以前よりも「はかどらない」と感じるのは無理もない。とりわけ分担で着いた持ち場には、蔓性の植物が密集していて、刈払機に絡まってしまう。枯れた草だから「この方がいいんじゃないか」と思って用意していった最近よく使うナイロンカッター刃では、鋸刃とはくらべものにならないほど蔓性のものが絡む。諦めて鋸刃に交換して作業を始めるが、鋸刃でも蔓性のものは刈りにくい。皆がみな「絡まってしまう」と口にする。作業というものははかどらないと、一層苛立ってくるし、疲れもやってくる。「かんべんしろよ」、と独り言を吐くこと度々。すっかり枯れたこの季節に蔓性の植物が密集しているところを刈るのは適期とはとても思えない。「もう少し早い時期に刈るべき」と思うのだが、そうもいかないのが、新年を控える神社の存在にある。

 結局すべて刈り終わらなくても、神社境内がそこそこ綺麗になれば、2時間ほど経過した段階で作業は終了となった。そこそこ見栄えが良くなれば「良い」ということらしい。「いつになったら終わるだろう」と格闘していたが、「終了」という言葉に安堵はしたものの、少し達成感のない作業を終えることに。いずれにしても年を重ねるほどに、達成感の無さが増幅していくことは確実のようだ。


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