Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

本郷バイパス

2006-09-04 08:14:58 | 歴史から学ぶ


 昭和45年から国道153号の下伊那郡平谷村から上伊那郡飯島町の与田切川橋までの間、66キロの整備が5カ年計画で進められた。現在の国道153号の同区間の道路は、その際に整備されたもので、それまでは国道153号というものがないに等しいほどの道で、一時は現在の県道飯島飯田線が国道153号と呼ばれたこともあった。この整備計画の最北端に位置するのが与田切川の区間で、この写真の区間である。写真はおそらく昭和49年の冬に撮ったもので、まだバイパスは供用されていない。できて間もないころのものである。自ら撮影したものなのに正確には記憶していない。実はこの道路の周辺農地は、このあとにほ場整備が行なわれ、形を変えている。ほ場整備が行なわれたのは、昭和50年というから、このあと1年ほどの間に姿を変えることになる。だから国道バイパスができていて、ほ場整備がされていない間の珍しい写真なのかもしれない。

 道路の手前側が飯田方面、南に向う道で、向こう側は伊那市方面に向うことになる。「与田切川の変化」でも触れたが、川の変化は著しく、今や川の両岸にニセアカシアなどの木々が生え、川の姿がまわりからよく見えなくなっている。この写真のバイパスが左上に向ってまっすぐ進んでいったあたりの真ん中あたりに横に白く見えているものがあるが、これは与田切川の河原である。おそらく左岸側の護岸の白さが映っている。その白い帯が真ん中あたりまで来ると木に遮られて見えなくなるが、黒々している木々は松の林で、現在は切られてしまってない。右下に下ってきてそのあたりにも黒々した木々が見えるが、それもまた松林で、現在も若干残っているが、だいぶ切られた。木々がなくなったということは河原がよく見えるはずなのだが、今は前述したように、河川内の木々が生えて、それほどよくは見えない。これから3年ほどしたころ、白い帯が松林で遮られるあたりの川向こうにモーテルが建設され、一時はこの道を手前から走っていくと、川向こうのネオンが激しく目立っていて、モーテルがあることがすぐにわかったが、今は河川内の木々に遮られて目立たなくなった。

 ちなみに「与田切川の変化」で紹介した写真の左側につながる崖が、この写真の右手真ん中あたりに見える崖である。前段の写真では崖がいっきに上段の平らまでつながっているが、ここの崖は中段の河岸段丘でとまっているため、前段のものよりは崖の高さも低い。だからこそ、子どもながらにこの崖をよじ登ることができたのだ。

 なお、正面の山々は木曽駒ケ岳のあたりで、中央にちょっと尖った頂が見えるが、これが宝剣岳である。川の上段、白い帯の上あたりに見えているのが飯島町のマチの南端にあたる親町地籍である。「与田切川の変化」でも触れたが、ちょうどこの写真を撮影した場所のすぐ東側あたりからこの川を北へ向って橋がかかり、新たなる伊南バイパスという道ができる予定である。その道路計画というものも戦後から練られていたというから念願の道路なのかもしれない。この写真の道は、この谷を迂回するために、道路は西へ向きを変えるである。当時としてはこれが精一杯(?)だったのだろうか。あるいは整備計画が与田切川橋までということだったことからも、はなからこの川を渡るのは迂回にしよう、というものだったのかもしれない。

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