Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

間もなく盆

2012-08-10 23:33:54 | つぶやき

南箕輪村田畑 万灯

 しばらく前から伊那市駅の入り口に七夕飾りがされて、それらしい景色を見せてくれていたが、七夕の景色はすっかり消えてしまったのが我が家。もともと子どもたちだけの行事であったわけではないが、この世の中を映すような行事の衰退である。里芋の葉の窪みに溜まった朝露をとり、この露で墨をすり、短冊に歌などを書くとはよく知られた方法であった。この日洗い物をするとよく落ちるという伝承もよく知られている。8月1日を盆の入りとして墓掃除をする家もなくはないが、伊那谷では七夕を過ぎると墓掃除をしたものだ。いよいよ本格的な盆の季節である。七夕そのものは衰退してしまったが、七夕を過ぎると盆の景色に近づきつつある印象を受ける。

 毎年盆が近くなるとこうして「盆」のことについて触れている。盆と言えばふるさとに帰る人々が多くなる。長野県ではそれほどではなく、むしろ県外ナンバーといえば観光客の方が多いかもしれないが、いずれにしてもふだんはいない人たちが集まってくる。そして夏休みに入っても補習や部活動で通学していた学生も、盆になるとようやくつかの間の本当の休みに入る。すっかり制服が消え、私服の若い娘たちが目立つようになるのだ。もはや盆だからといって盆棚を作る家も少なくなったようだが、13日ともなれば仏様を迎えに墓に参り、そこでたかれた線香がちまたに漂う。ほとんど1年の行事らしい行事も途絶えた中で、やはり盆と正月だけはまだ趣をかろうじて残す。

 伊那市周辺の盆は独特な盆の景色を見せる。6日の未明から霊迎えの人々が伊那市美篶にある六道地蔵尊に詣る。今でこそ六道の森の松は大きくなってしまったが、かつては手の届くところのマツの枝を折って、それに仏様を乗せて帰ったという。今はそれを地蔵尊で用意していて、お詣りをするとそれをいただいて帰る。「松の枝に乗って帰る」という考え方は今も伝えられている。翌7日には同じ美篶の天伯社において「さんよりこより」という行事が行われる。子どもたちが七夕の笹竹を持ち寄って「サンヨリコヨリ」と唱え、輪になって三周する行事。そしていよいよ盆に入ると毎晩万灯が振られる。伊那市から辰野町までかつては広範で行われていた。いわゆる門口で夕方焚く迎え火と同じ意味を持つ。そういえば伊那市駅前にある雑貨店の店先には、季節ごとそれらしいものが並ぶのだが、最近は並ぶ商品がめっきり減った。この盆を前にしてもカンバが並べられているが、これまでに比べると目立たない。迎え火を毎晩焚く家も減っているということだろうか。正月に比較すればこうした商品の多様さに欠けるが、マチに見る盆らしい景色である。14日の晩には箕輪町北小河内で「おつんやり」が行われ、17日には盆休みをもう一度と請う盆正月が南箕輪村田畑で行われる。伊那市周辺の特徴的な盆の光景である。

 この13日には木曽谷に仕事で行く予定。木曽の盆の入りらしい景色が見られるといいと思っているが、どうだろう。


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