Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

遠山霜月祭り始まる

2009-12-01 12:23:22 | つぶやき

 今日から遠山の霜月祭りが始まるという。初日は旧南信濃村中立(なかだち)である。ここは隔年開催で中立と八日市場で交互に行われる。交互だからといって担う人たちが違うわけではなく、同じ人たちが行う。わたしが盛んにここの祭りを訪れていたころは、12月の8日が祭日だった。盆の掛け踊りのごとく日を追って各村で開かれたもので、当時もこの中立と八日市場のどちらかが初日で、16日の旧上村程野まで空白の日はあったものの、ほぼ毎日のように続いた。ちょうどわたしが盛んに訪れるころ旧南信濃村の大町が再開して17日を祭日にしていように記憶する。当時は何日ならどこどこという具合に決まった日に設定されていたから、解りやすかったものであるが、どこ祭りでも同じように、祭日の変更が始まった。そんなころからわたしもほとんど足を運ばなくなったので、最近の霜月祭りの様子はほとんど知らない。

  真っ先に行われる霜月祭りにはテレビカメラがしっかりとやってくる。とはいえ当時はそれほどテレビカメラに席巻されるほどではなかったが、今はどうなんだろう。せいぜいNHKから委託されたカメラマンが1人プラスアルファくらいで撮影していた時代は、いてもいなくてもそれほど邪魔ではなかった。ところがしばらく行っているうちに、しだいに初日は注目を浴びるようになり、テレビカメラも多くなったように記憶する。ちょうど祭日の変更が始まったころで、しばらくの間は、初日を狙った祭日変更が相次いだ。中立・八日市場が初日でない時代があったはず。そんな初日争いの中に、いわゆる土日開催の変更があったわけで、第1土曜日と設定しても、それが必ずしも12月最初とは限らず、例えば第1日曜日に変更したところが初日になることもあったわけで、そんな暦頼りの「初日」争いを一掃したのが12/1開催だったわけである。もちろん今年が火曜日に該当するように、土日に限定されないわけで、執行する側にはいろいろな選択の葛藤があったのだろうが、もともと初日に行っていた中立・八日市場にとってはそこまでして初日を手に入れたかったのかどうか、この日に設定されて以降訪れたことはなくわたしの知らないことではある。

  その中立・八日市場は、わたしが始めて訪れた霜月祭りのムラであって、その後ももっとも多く足を運んだムラでもある。初めて訪れた時代は、まだ明け方まで祭りが行われていた時代で、夜が明けようとするころに祭りの終わりを告げていた。まったく予習もせずに行ったその日は八日市場が祭りの場であった。しかし、真っ暗な闇夜に、まったく祭りの気配もせず、どこが神社なのかまったく解らなかったことを思い出す。八日市場は国道152号線沿いに看板があるものの、神社はその国道沿いから急斜面を東に登った中腹にある。そもそもそういう場所だということも全く知らずに行ったのだから無理もないだろう。ようやく「あそこらしい」ということが解って車で登っていったものの、それを停める場所がないのである。明るいときにそこそこイメージしていればまだしも、まったく初心な状態で行くには無理からぬ環境であったといえる。狭い道端に押しやってなんとか駐車した記憶があるが、その記憶は良いイメージではなかったことは言うまでもない。しかし、祭りの場に入り込むと、そんな思いをしっかりと晴らしてくれたから、後に同じ神社を何度も訪れることになったわけである。

  撮影 昭和62年12月8日中立(実際は翌9日未明になる)


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