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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

黄門様の戸別所得補償制度

2007-08-08 08:27:13 | ひとから学ぶ
 今回の参院選における自民党と民主党の農業政策の違いは、あらゆる場面でとりあげられた。現在の農政の流れは相変わらず大規模農家への流れであることに違いはない。しかし、民主党のマニフェストでは「戸別所得補償制度」を掲げて、地域社会の再生・安定と自然環境の保全を進めるという。4ヘクタールという大規模農家だけではなく、小規模の農家に対しても所得補償を行って、格差を是正するというものだ。これに対して政治番組での討論において、「その財源は・・・」という質問を盛んに受けていた。サンデープロジェクトに出演した民主党の黄門様は、盛んに五反百姓について触れ、そうした農家が日本の農業を支えてきたと説いている。そしてその財源について「今でも土地改良予算に1兆円を使っている」といって、その予算内の無駄をなくせばよいというような言い回しをしている。確かに無駄だと思われる事業を行った例はあるだろうが、この予算を省いたからといって、所得補償をどれだけ行うのか不透明だし、加えて補償する農家の対象とはどんなものか疑問は多い。

 悪名高き公共事業であるが、この土地改良事業についてはあらためて触れるとして、現在の五反百姓が実際どういうことになっているのか理解されているのだろうか。これはわたしの身のまわりでの様子だから、よその地域、よその県でも同じということではないことを前提として話を進める。現在の五反程度の百姓で専業で農業を営むことはできない。最低ラインの生活をして多様な品種を作ることで100%無理とは言わないが、99%の農家はそれで生き抜くことはできないだろう。ということは黄門様がいう百姓のほとんどは、高齢者によって行われているということになるだろう。かつてならそこに女性が加わったのだろうが、今や年寄と女性が担う、という姿もなくなってきている。こうした農家で後継者(ここでいう後継者は農業の後継者ではなくその家の後継者という意味)がいる場合は、所得の中心は農外所得となる。ようは後継者が後を継いだとしても、農業が継続されるかはかなり疑問のある農家である。そして後継者のいない高齢者の農家は、ごく一般的にその高齢者がいなくなれば、前者よりもかなりの確率で農業が停止する。こうした現実の五反百姓をみたとき、果たして黄門様が見ている農家が農業を確実に継承するとは限らないわけだ。もちろん一戸あたり五百万円くらい補償すれば誰でも欲しいだろうが、そんなことはできるはずもない。

 今までにも直接的な補償制度は、中山間地域において何年も前から行われてきた。反当りの補償額は少なかったが、過疎地域の何も補償されなかった土地に直接的に払われたお金は、ずいぶんとそうした地域にとって有意義だっただろう。しかし、これは戸別補償ではなく、集団を対象とした補償だったため、誰でも恩恵を受けるというものでもなかったし、地域を引っ張る人がいないと、なかなかぬ成功しないという例もあっただろう。加えてこの補償制度は土地の荒廃をストップしたいというのが狙いで、継続的に農業を行うというものが目的ではなかった。結局、そうした制度を利用したとしても自給率を上げるような策にはならなかったし、目的外の制度利用も多々あったようである。

 戸別補償とはいうもののどういう農家を多少にするのか難しい問題が多いことは解るだろう。その原点に「農家」とはどういうものを指すのか、という疑問がわくほど、世の中に農家らしい農家はなくなってきている。生家も確かに農家で、五反よりは大きいが、4ヘクタールという大きさではとててもない。そして高齢者が担っているが、サラリーマンである兄が継続的に農業をするとは今の状況ではあり得そうもない。そんな農家に戸別補償をしたとしても、あくまでも主はサラリーマン世帯である。都会の人たちにしてみれば、そんな補償制度は許せないだろう。いっぽ、同じ家に暮らしていたとしても、高齢者のやりがいを持たせるための制度はあってよいだろう。家にとっての所得とはどうあるべきか、というところまで含めて難しい問題がそこにはあるような気がするわけだ。

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