Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

死に支度を考える①

2007-12-14 12:37:46 | 民俗学
①寺の危機

 「老い支度、死に支度」でも触れたように、自らのことを思いながらも死に至るまでにやらなくてはならないこと、また死後のこと、などを家庭をもったときから考えてきた。それは自らのことだけではなく、身近で亡くなるさまざまな人たちとの記憶、そして変容をとげてきた葬儀の姿を見ながら思う、自らへ投げかけている課題なのだ。中日新聞に最近「少子高齢化時代の葬儀の゜あり方」という記事が二度にわたって掲載された。「現代の葬儀かあまりにも厳粛ないのちの引継ぎを欠いている」と指摘する大正大学の藤井正雄氏の連載記事である。もともと「葬式仏教」といわれる日本の寺の存在。藤井氏が指摘するのは、「葬儀式の重点が故人がいかに現代社会に生きたかといった、仏教とは直接関係ない故人の業績に移ってきた」という。確かにイベント化する葬儀の中で、故人の業績をパンフレット化して配布するなどということもされるようになった。葬儀が親族だけのものではなく、不特定多数の関係者に広がるにつれて、芸能人の葬儀と変わらないような葬儀の存在が目に付くようになってきている。そのいっぽうで、生前に交友の少なかった人たちや、長い闘病生活にあった人、もちろんその背景として親族がみな地味な暮らしをしてきた人たちの葬儀は、密葬ではないのに密葬に近いほど寂しいものとなっている。

 地域で継承してきた葬儀は、明らかに個の葬儀になりつつあり、それは地域社会の崩壊だけにあらず、人々の意識が多様性を帯びてきたり、少子高齢化という社会の現実が生んできた親族の減少というところにもよるだろう。藤井氏はこうもいう。「故人が会社を起こし社会に貢献し有名人になっていようが、黙々と雑草をむしっている名もない老人とどう違うのか」と。直接的に人の死にかかわることが、子どもが少なくなったということにも関係して減少し、自らも祖父母の死後、葬儀と言うものにあまり縁がなかった。そうした中で葬式仏教がどう変化してきたか直視していないが、藤井氏がいうには、戒名のつけ方は大きく変化してきているようにもうかがえる。金で戒名を買う時代、葬儀の意味するものが変化しても致し方ない現実を産み、それはますます葬儀というものの考え方が問われてきている時代かもしれない。もちろん葬儀だけではないだろう。そうしたなか藤井氏は、さらなる高齢社会化は、さまざまな経済負担が若い世代にのしかかり、いずれ葬儀に対してより経済的な意識が働くともいう。檀家が半減することは当然の成り行きである。このことはわたしも以前から認識していて、現在も住職だけでは生業がなり立たないから、住職という仕事が片手間という寺も多い中、いずれ地方の寺はなくなっていくだろうと予測している。わたしの生家がある地域にも古式ゆかしい歴史ある寺があるが、町中の檀家を一手に請けたとしても、人口減や多様化によって、胡坐をかいているようなことでは生活が立ち行かなくなると考えている。

 寺の危機ともいえるのだろうが、このことについては福澤昭司氏が、「葬儀社の進出と葬儀の変容」(国立歴史民俗博物館編『葬儀と墓の現在―民俗の変容―』2002年 吉川弘文館)の中ですでに触れている。松本市域の葬儀社への葬儀の移行のなかから、まとめとして述べている「葬儀の行く方」において、葬儀社へと葬儀の場が移るなかで「次の変化が予測されるのは、葬式への寺のかかわりである」と述べ、「寺に付属しない公設の霊園を求めた人々にとって、寺はどれほどの意味をもつのだろうか」という。その果てには、結婚式場に専属の神主や神父がいるのと同じように、葬儀社が専属の僧侶をおいても不思議ではなくなる。それがまだ崩れずにいるのは、まだまだ檀家と檀那寺の関係が強いとともに、そうした関係へ葬儀社も足を踏み入れなかったからだ。しかし、かつての地域社会、そして冠婚葬祭というものを伝統的に考えてきた民俗社会はことごとく消え去ろうとしている。そうしたなかに、どれほどコミュニティーが必要だといって地域社会が見直されようと、寺の必要性を感じる人が減ることに変わりはないはずだ。

 とすれば寺は葬式仏教を見直し、人々のこころの助けになるような存在で立ち直るしかないように思うわけだ。

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