Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

追悼「農を棄てた国」

2015-12-11 23:17:48 | ひとから学ぶ

 

 わたしが高校生のころのことだ、「ソ ソ ソクラテスか プラトンか」っていう歌がテレビに流れたのは。野坂昭如さんが亡くなられた。誰しも年齢を重ねれば迎える「死」。どれほど悼もうと致し方ない現実ではある。広告に鈴木清順、小沢昭一、大島渚、鮎川誠の各氏がカメラを構えているモノクロ写真を並べたミノルタCLEの話をずいぶん以前に記した。小沢昭一さんと大島渚さんはここ何年かで亡くなられた。どなたも野坂昭如さんとは縁が深い。「男の拘泥り」と掲げられた広告には、次のような文がつづられている。

  近頃、クセが無さすぎる。皆が、群れに溶け込んでいる。
  自分であって、しかも自分でないような、曖昧な気分が多すぎる。
  私は、せめて自分だけの色、自分だけの道を持っていたい。
  ただし中身が無ければ、たちまち見透かされてしまうだろう。
  頑固というのではなく、もちろん我が儘というのでもない。
  自分は自分、と言い切れるだけの信念を持ちつづけたい。
  そこに、いまを確実に生きている私の意義があると思う。
  だから私は、時流に流されるのは好きじゃない。

 こんなコピーで物を売ろうとした時代が懐かしいのは言うまでもない。売れなくてもそこには気概のようなものがあったのだろう。そんな時代の終焉は昔のこと。とはいえそんな時代の残骸のような存在が次々とわたしたちの前からいなくなる。とりわけこの国の先々を憂える存在の死は大きい。

 近ごろ野坂さんは『家の光』に「手紙談義」と題して山下惣一さんと誌上でやり取りをされていた。そのテーマは「農を棄てたこの国に明日はない」というわたし的にもインパクトのある見出しだった。その第8回(2015年6月号)において、「おにぎり」のことを野坂さんは綴っている。空襲で家族が離散した際に、焼け出された人だけに配られた大きな「おにぎり」の確かな記憶。「ほくに限らず、昭和ヒトケタ世代にとって、おにぎりは長く記憶にとどまっているたべものである」と野坂さんは言う。そしてかつてのお櫃に入れたご飯が格別だったとも。「お櫃に移すことで、米粒と空気が触れ、水分を上手く保ちながら冷まして保存する」から旨いというわけだ。なるほど今の炊飯器は誰でも上手く炊けるようになったが、保存に関しては納得いかない。我が家で頻繁に交わされるのは、炊飯器から冷蔵庫へ移しておいたご飯をチンした際のイマイチな感触のこと。冷蔵庫に入れてなくても、少し冷ましたご飯もうまい具合に温められない。お櫃の経験は小学生ころまでの記憶で、以後はあまりない。いつまでも炊飯器の中に保温していたという記憶もないので、もう少しあとまでお櫃が使われていたのかもしれないが、30年以上前の話だ。

 同じ号の記事で野坂さんはパン食への流れを書いている。まさにわたしたち子ども時代は、給食といえばパン。「なぜ」と思うところもあったが、当たり前のようにそれを受け入れていた国民は、いいや米作りしていた人々はパン食をどう捉えていたのだろう。まさにあの時代が今の農空間を描いたはずだ。今の子どもたちは全て米の飯では気力が萎えてしまうだろう、と野坂さんは言う。戦後そんな子どもたちを育ててきてしまった、と後悔の言葉を遺された。

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