Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

コト送りの日に

2018-02-10 23:11:50 | 民俗学

 こと八日である2月8日、上田市真田町戸沢の藁ウマ引きがニュースで報じられていた。道祖神祭りのひとつであり、国選択無形民俗文化財の選択名称である「戸沢のねじ行事」と報じていたのは日テレNEWS24、いっぽうNHKでは「戸沢のわら馬引き」と報じていた。地元では後者の呼び方の方が親しみがあるだろう。ところでNHKニュースでは「国の選択無形民俗文化財に指定されています」と報じていたが、この通称「選択」と付される文化財は指定文化財ではない。正確に言うと「指定」という表現は間違いなのだ。しかし国もしかり県もしかりだが、文化財行政の枠組みをふつうの人はわからない。したがって「指定」と表現しても何ら差し障りはないのだが、正確な捉え方をしないと文化財の意図が失われてしまう。

 この選択無形民俗文化財というもの、国が選択したものは県内に27件ある。正確に言うと「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」と言い、「重要無形民俗文化財以外の無形の民俗文化財のうち、記録、保存、公開に対して経費の一部を公費による補助を受けることができるもの」とされている。主旨から想像するに、記録作成等の措置を講ずべき貴重なもの、と言えるのだろうが、あくまでも記録、保存、公開に対して経費の一部を公費によって補助できるという扱いのよう。したがってその主旨にしたがっておそらく地方公共団体にあたるのだろう組織が、主体的に補助を求めない限り、ただの看板だけになってしまうというわけだ。ところが最近広域的な、具体的に言えば「これ」と判断できないような物件を選択する場合があり、そうしたものに対して国が直接記録作成を行っているようなものが見受けられる。その一例が以前記した「伊那谷のコト八日行事」である。この先「選択」から「指定」文化財になるかは別として、広域的に同系の行事が残存していることは、平成26年度に変容の危機のある無形の民俗文化財の記録作成の推進事業により刊行された『伊那谷のコト八日行事』に詳しく報告されている。ところが、これら残存している行事も、衰退の一途であることは否めない。

 今日は、妻の実家のある喬木村富田において「コト送り」という行事が行われた。このことも本日記で何度となく触れてきているが、最近年では2013年に「コトぼた餅を食べる」で触れたし、2011年にも「コトオクリの周辺」で触れた。10日には笹竹に神送りの短冊を付け家の中の払うと、その笹竹を道端に送る。どこの道端でも良いというものでもなく、この笹竹を集める人たちが通る道端まで出すわけだ。2011年にも触れているが「かつてに比べるとずいぶんと笹竹の旗が少ない」と記した。帰宅した妻はこのことについて触れ、「今年は2本くらいしか立っていなかった」という。この地区では前夜「こと念仏」を行うわけであるが、集団で行う行事に比較すると個人で行う行事の衰退は著しいということは何度も触れている。コト送りについても集めて村境まで送るという行為は集団であるが、笹竹を道端まで出すという行為は個々の行事。個人の行事と集団の行事が連携している行事なのである。

 実は国の選択無形民俗文化財であるということは知られているが、そもそも指定文化財ではない。ちなみに喬木村では無形民俗文化財の指定物件は1件もない。これもまた以前触れたかもしれないが、下伊那郡のそれぞれの町村を見たとき、無形民俗文化財指定を行っている町村は極めて少ない。文化財指定しても行政として支えられないという財政状況があるためなのか知らないが、それにしてもこうした行事の衰退をみたとき、これで良いものかと以前から思っていた。そもそも昔に文化財指定したまま、その後ほとんど指定物件が増えないような町村が多い。これは文化財行政に手が回らないという表れなのだろうか。

 さて、今日の夕飯は、1日遅れの「コトぼた餅」であった。コト八日にぼた餅を作る家も少なくなっていることだろう。

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