Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

住所が解らない

2017-12-12 23:13:20 | つぶやき

 11月のうちには、そう思っていた喪中のハガキを、ようやく書いている。間もなく年賀状の受付が始まるという声を聞いて、限界だと思ってのこと。

 ところがふだん年賀状を出している人はともかくとして、香典をたくさんいただいた方にもと思って宛名を書こうとしたらそれができない。そもそも住所がわからないのだ。香典には住所は記載されない。名前だけだ。したがってあらかじめ住所を知っている人にはなんとか出すことはできても、ふだんつきあっていても、名前しか知らない人がけっこう多い。とりわけ会社の同僚たちのこと。かつては親睦の意味で社員の名簿が配布されていたが、されなくなって久しい。いわゆる世の中が個人情報を知らせなくなったことに起因する。会社内のことなのだから名簿ぐらい配布すれば良いのに、と思うのだが、それすらされなくなった。

 ふだん年賀状のやりとりをしていない人ばかりではない。年賀状を交わしていても、「彼は転勤したなー」とすぐに気づくのだが、本拠地のない人はもちろんのこと、本拠地があってもそこに暮らしているとは限らない。異動後の住処がわからないのだ。自分もそうだから人のことは言えないが、かつては転勤すると「転勤しました」という挨拶状が同僚でも必ず届いたものだが、今はそのようなものを出す人は少ない。したがって異動後の住処がわからないというわけだ。これは、おそらく喪中のハガキに限らず、年賀状を出そうとする場合でも「困りもの」の話である。

 とりわけ新年の挨拶欠礼の知らせであるから、年賀状が届くのを待って出すものでもない。まったくもって厄介な世の中になった、そんなことを喪中のハガキを書こうとして感じているところだ。

コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****